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悪態を吐いているのに彼女の声は震えていた。

一見、現実を突き付けているように見える瑞希を誰も止めないのは、ナルも麻衣も瑞希が彼女のこれからを考えて行っているからだと理解しているから。

笠井さんに文句を言っていた麻衣も、中途半端に開いていた口を閉じた。大人しく見守る。


「笠井さんを責めるのは止めて下さい。彼女は傷ついているんです、それなのに言葉の刃で傷を抉るなんて笠井さんを傷つけた人達と同じですよ」


それまで黙っていた産砂先生が、やんわりとだけど厳しい眼光で瑞希の前に立ちはだかった。

先生の乱入に否が応にも彼女から離された先輩の姿に、麻衣はおろおろとした。先生の言い分も分かるし、瑞希先輩の言ってることも分かるし……冷え込む空気にただおろおろと慌てるのだった。

…ナルは、変わらずの通常運転で落ち着き払っている。あたしゃあ〜アンタのその冷静さが羨ましいよと麻衣は心の中でひっそりと思った。


『彼女のためを思うなら、教師として甘えさせるべきではないと思いますが』

「これ以上笠井さんを傷つけたくはない私の気持ちが判らないのでしょうか?」

『本当にそう思っていらっしゃるのなら、笠井さんに詐欺まがいな行為を教えるべきではないかと思います』


ナルとの応酬も冷え込むのに、ナル以上の冷気が二人の間に流れている――…麻衣はぶるりと震えた。


『もしもトリックだと誰かに気付かれてしまえば、更に傷を負うのは他でもない笠井さんです』

「先輩…?」


立ち上がった瑞希が、ペン立てから新しいスプーンを手に取ったので。先輩は何をするつもりなのかと麻衣の訝しむ視線が瑞希に寄せられる。

準備室にいる全員の視線が集まっているのを感じながら、瑞希は数分前にナルがしたようにスプーンのくびれに親指を乗せた。

まさかとナルが興味深い眼で助手を見つめ、麻衣もまた先輩を凝視して。

儚い印象を受ける瑞希の栗色の双眸が伏せられ、幻想的にも見える光景に、麻衣は息を呑んで見惚れた。ふるりと瑞希の睫毛が揺れて、麻衣の意識が浮上した刹那――…、





カラーン



ナルがしてみせたみたいに、スプーンが二つにわかれたのだった。

曲げるだけじゃなく、ぽっきりと簡単に折れた。ナルと同じだと麻衣は瞠目した。

何が起こったのか理解するのに時間がかかり、シーンと静寂が流れて。ごくりと生唾を飲んだのは、誰なのか。もしかしたら自分かもしれないと麻衣は何処か他人事のように思考した。

ナルがしてみせたアレも衝撃だったのに、彼でなく一緒にいた助手も超能力を持っているのを目の当たりにし、笠井千秋は茫然と床に落ちたスプーンだったものを見つめた。

今見たものを処理するのに、時間がかかるのは麻衣と同じく笠井さんもだった。

ナルが目を丸くして口角を上げていたのに気付かず、産砂先生が表情を消していたのにも二人は全く気付かなくて。二人の変化に気付いていたのは当事者の瑞希ただ一人。

顔を上げた瑞希の栗色の瞳と、感情が消えた産砂先生の瞳が交じる。すうっと目を細めた。


『これくらい出来て、特別だと思わないで』

「せ、先輩?」

『自分が特別だと優越に浸るのも貴女の自由だけれど、社会から排除される辛さを経験しても尚その力が欲しい?覚悟は出来てる?』


彼女は痛いほど理解している。

なのに意地悪く言葉を突きつけるのは、笠井さんが逃げ続けているから。このままではいけないよ。

もしも、力を安定させたいのだったら、私だって協力する。だから敢えて厳しい言葉を放つ。

目覚めたばかりだから失うのも早い。このまま殻に閉じこもったままで力を失ってしまえば彼女はもっと人を信じられなくなってしまうだろう。

出来ると尚も言い続ける彼女が、突然力を失って、周りがそれを素直に認めるはずがないもの。

ほら嘘だったと嘲笑を貰うのは笠井さん。日常を過ごす上で、彼女の信頼は地に落ちるだろう。その道を通って来た私だからこそ、想像しなくても未来が視える。皮肉なものね。

まあ私の場合はPKじゃないんだよねー。結界術の応用で、空間を捻じ曲げる感じでスプーンを切り分けた。

ナルに勘違いされるのも追及されるのも厄介。なら、見て見ぬふりをすれば良かったんだけど、私のようになりそうな笠井さんを放っておけなくて。後悔はしてないからいいか。


「っあ、待って」

『――はい?』


ずっと黙ったままの笠井さんに、今言葉を重ねても答えは出ないかなと思い直し、用も終わったとナルに目配せしてベースに戻ろうとしたら。背中に産砂先生の声がかけられた。

先に廊下に出たナルと麻衣の二人が振り返ったのを視界の端に捉え、私も振り返る。

険悪な雰囲気がなかったかのように産砂先生は、ふわりと笑って駆け寄って――…って、瘴気をまとったその身で近寄らないでっ。


「さっきはゴメンなさいね。てっきりあなたも冷やしだと思っていたから」

『いえ。私も言い過ぎましたから、気にしないで下さい』

「あのあなたは…渋谷さんの助手なの?」

『そうですが』

「ただの助手?…――名前を伺っても?」


わざわざ引き止めたのはそれが本命か。

何の脈絡もない質問に、麻衣はきょとーんと瞬きしていたけど唯一ナルが怪訝な顔をしていて。産砂先生は、柔らかい笑みを崩さない。


『ええ構いませんよ。笠井さんと同じく高校三年で、名前は佐藤瑞希と申します』


「…ぇ、」と間抜けな声が斜め後ろから聞こえた。

疑問を持たれないように、私も産砂先生に負けないくらいにっこり微笑んで、失礼しますの科白とともに麻衣の背中を押して生物準備室から後にした。

準備室は暖房が効いていたから余計に廊下が寒く感じる。何か言いたげな後輩の視線は黙殺。


「麻衣、瑞希」

「?」

「頼みがあるんだが…、」

『なに?』

「さっきの……スプーン曲げだが、みんなには秘密にしてくれ」

「な、なんで?凄いのに」

『……(そっか。能力を使うの止められてるのね)』


廊下を歩きながら目を合わせないナルの背中を眺めて、そっと頷く。

あー後輩は、なんで?どうして?と疑問に満ちた表情をしているけど。哀愁漂う所長の横顔に、閉口していた。


「頼む。特にリンには」

「い、いいわよ。言わない」

『…私も黙ってるよ』


――リンさんの説教って長いし堪えるものね。

ミニーの事件の時に、ジェットとタッグを組んで叱れらたのを思い浮かべて、半眼になる。


「すまない」


そう言って頭を下げるナルの姿は希少だ。

うんって麻衣が頷いてる――…麻衣ってば、顔に珍しいもの見たって書いてあるよ。思わず笑いそうになった。


『あーその代わりにって言うか……私がスプーン曲げたのも皆に内緒にして欲しいな』

「えっ瑞希先輩もっ!?ど、どうしてですかっ」

「あぁわかった」

「えぇぇ……、わかりました。あ、そう言えば、佐藤って誰ですか!」


会議室もといベースの前に辿り着いて、人気がない廊下に麻衣の元気な声が響く。

元気だなー私は午前中校舎の中を行ったり来たりしていたから、彼女のように元気な声を出せそうにない。否、疲れてなくても大声を出すなんてないけど。


――今日のお昼は、抜きかな。

ナルもリンさんも仕事にストイックで、休憩は取れど放っておいたら二人はご飯を口にしない。誰かが差し入れしてようやく食べてるといった感じ。

リンさんで思い出した。

リンさんに借りていた黒の上着、クリーニングに出していたのが戻って来たから紙袋に入れて持って来たんだよね。ベースの隅にちょこんと置いてある。

お礼も込めて、スコーンを作って茶葉も買って紙袋に入れてる。リンさんの好みって判らなかったから、独断と偏見により…中国の人だしと思いプアール茶とジャスミン茶を適当に見繕って。


『私のことだけど?』

「ぇ、え?瑞希先輩の名字って葉山じゃなかったですか?」


――問題はどうやって自然に渡すかよね…。

いやいやただのお礼なんだから、別にさらっと渡せばいいのよ。

最近リンさんの様子が可笑しいから戸惑ってるだけで……って言うか何で私がリンさんとの距離にここまで悩まなくちゃいけないのかしら。


「バカか。――何故、偽名を?」

「……偽名…」


ナルの馬鹿にした音に、ハッとした。

うわっ私ってば麻衣と話していたのに誰のこと考えてた?今考えなくちゃいけないのは、佐藤…じゃなくて、笠井さん。でもなくて、そう!調査のことよ。


「彼女になにかあるのか?」

『私の気分。ってことで、今回の調査では私は佐藤ね』

「なぜに佐藤…」

『あら麻衣ってば知らないの?日本で最も多い名字は佐藤なのよ』


頭の中の半分を占めていたリンさんの姿を外に追い出して。

さも話を訊いてましたとばかりに、しれっとナルと麻衣に答えた。


「いやそういう意味じゃなくて」

『やっと一息つけるー』

「…って訊いてないし…」


ベース内には既に、全員揃っていて。ガラッと開けた途端滝川さん達の視線が集まった。気にせず中に入る。

彼等――特に、滝川さんとジョンが行った場所が気になっていた為、無意識に視線が二人に向いた。

狐憑きの少女に会ったにしては、滝川さんもジョンも元気そう。怨念も産砂先生みたいな瘴気も感じられない。


――気のせいだったってこと?

本物の狐憑きに出逢えるのは稀。それもこの現代に、狐に憑りつかれたという話は早々聞かない。

しかも相手は感情豊かな少女だ。自らの暗示に憑りつかれたと思い込んでるケースなのね。断定は出来ないけど大方そうなのだろう。

それなら狐に憑りつかれたと言ってる少女の友達――伊藤清美の周囲に霊の気配が感じられなかったのも頷ける。




「うわぁ」

『……なにこの険悪な空気は』

「瑞希達か、何か進展はあったかー?」


真砂子と綾子さんが睨み合ってるのを見てしまって、口元がぴくりと痙攣した。

なんでこう…毎回毎回、話し合いの時間になると喧嘩が勃発するのかしら。綾子さんの喧嘩相手は、真砂子になってるし……そこは滝川さんじゃないの。

ああ、そっか。二人で除霊してまわったんだっけ。と、瑞希は誰に言うでもなく一人ごちた。


「それで?結局、何ヶ所除霊できたんです?」


滝川さんをまるっと無視したナルの絶対零度の眼差しに、


「……真砂子は霊がいる場所は、一つもないって言うんだもの……」


真砂子と言い合っていた綾子さんが不貞腐れながらもごもごと口を動かして。滝川さんが、綾子さんに向かってわざとらしく長い溜息を吐いた。

ナルは少し驚いたらしく、「いない?」と、真砂子に何度も確かめている――…嗚呼…これは、とばっちりが私に回ってきそう。

険しい顔のナルを真っ直ぐ見据えて頷く真砂子を横目に、私は天を仰ぐ。……人工的な光しか視界に入らなかった。憂鬱。


「そんなはずはないと思いますが」

『!(えぇー)』


いつも冷静に物事を考えるあのナルが、この段階で霊の仕業を前提に話を進めてる!

今朝の指示からそうじゃないかと考えていたけど…でも、前回も前々回も、人に催眠をかけて考えられるあらゆる線を消して最後に残ったものが答えだと慎重に動いていたあのナルが。

真砂子の否定を認めない姿勢だ。驚いた。


「でも、いませんわ。問題の個所は全部見て廻りましたけど、霊はいませんし、悪い気配も感じられませんでした」

「そんなはずはねえだろ。ぜんぜんいないはずがない」


滝川さんも真砂子に抗議したけど、真砂子は毅然とした態度で。


「いないものは、いないとしか申し上げられません」


と、湯浅高校に一体も幽霊はいないと言い切った。

この空気の悪い感じは……旧校舎の事件以来だ。あの校舎内には幽霊はおらず老朽化と黒田さんが原因だったわけで。

今回、これに人の手が加わっているのかは一先ず横に置いて、霊の気配がしない点だけ考えると旧校舎と同じ。唯一、霊視の力を持つ真砂子に非難の声が集中するパターンだ。

視えないから呼び出しているのにも関わらず、真砂子が否定すると、どういう事だと責めるのよね。全く変わってないわ。

滝川さんや綾子さんの二人にナルが参加しているのも珍しいけどね。


「少なくとも例の席にはいて当然だ。四件も事故が続いてるんだぜ!?」

「あたくし達は騙されてるんですわ」


狐に憑りつかれた、ポルターガイスト、家に何かいる、机に何かいる、電車の事故多発、金縛り――…今日までで集まった被害情報だけでも、疑うのは当然……でも、視えない。

笠井さんの件は、まだ保留かな。

気になるのは、学校全体が超能力云々の眉唾ものなお話には否定的な点。

もともとそういう厳しい校風で、そういった生徒が集まっているのだと職員室にいたとある先生が言っていた。それなら何故、笠井さんを中心にスプーン曲げが流行ったんだ。謎だ。

オカルトに眼中がない生徒達がほとんどで、笠井さん否定派も攻撃的な人達には見えない。

否定派の先生方がいる中、いかにもな私達を表立って依頼して来た背景も気になる。なんだこの矛盾は。

瘴気によって空気が汚れてる校舎にいるからカリカリして笠井さんを全校集会で晒し者にしたのかしら。そう考察した。


「学校の連中ぜんぶに!?冗談じゃねえぞ!」

「た、滝川さん」


真砂子さんに声を荒立てる滝川さんを一瞥。

集めた情報を交換して思案する場は必要だけれども。こうも毎回毎回言い合いになるのは…馬が合わないから?それとも血の気が多いから?

困ったような微笑みを浮かべて、滝川さんを宥めているジョンのその優しげな表情は、ピリピリした空間には酷く輝いて見える。

後光が差したってこんな感じかな。流石、神道に身を置いてるだけあって、ジョンの雰囲気は洗練されている。人間を信じない私の警戒心も意図も簡単に溶かす威力があるのだ、凄いの一言につきる。






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