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 第二十話【ひとときの休息】





絶えず漂っていた血の臭いは薄くなり、乾いた肌と吹き抜ける冷たい風を感じて、本格的な冬が訪れたのだと改めて痛感する。

どんよりとした空を仰いで、一つ溜息を落とした。

戦時中といっても年がら年中ではなく、冬に備えるのは兵士達も同じだった。いつ雪が降るか分からないこの季節は、人間も魔族も視界が悪くなるため、一時休戦となる。暗黙の了解というやつだ。

国民も、厳しくなる冬に備えて穀物を蓄えたり、出稼ぎから家に帰ったりしているようで。厳しい冬は種族関係なく、我々を襲う。

この間に、怪我を負った者は治療に専念し、他の者は一層鍛錬に時間をつぎ込むのだ。きっと人間の国の軍隊もそうだろう。


「気になるんですかー?」


耳慣れた剣と剣が合わさる音に紛れて聞こえた、これまた嫌というほど聞きなれた悪友の声に、ウェラー卿コンラートは目線を下げて。

明るめの声音に似合わないやけに真剣な瞳とかち合った。


「……」

「まだ目を覚まさしてねぇんだろ?そんなに気にしてんの?」


お前もだろうという言葉は、寸前で呑み込んだ。

鍛錬をしている塊からやや逸れたこの位置から目の前の男が指している彼女――ヒジカタ・サクラが休んでいる部屋が見える。

休んでいる、という表現は適切ではないか。……彼女は、バタールに行って何故か国境付近の問題の村で倒れたと訊く。それからずっと彼女は倒れたまま、目を覚まさない。

彼女を慕っている者達が話しているのを耳にしたところ、魔力の使い過ぎなのだと知った。


「知ってたか?」


間延びしたソレにイラッとしつつ、続きが気になるので、何だと問いかける。

男の思惑通りに尋ねてやったというのに、奴――グリエ・ヨザックは、自分から目を逸らして、彼女が眠る部屋へと目線を上げた。つられて、上に目を向ける。

ふわりと風に遊ばれて揺れるクリーム色のカーテンが見えた。

恐らく、ずっと心配して付き添ってる医療に長けた者が、彼女の部屋の換気をしてるのだろう。彼女の気配がしないから、そうに違いない。

サクラが眞魔国に現れて一ヶ月くらい経つのか?目を覚まさない期間を入れて一ヶ月半くらい?

日付なんて気にしないから、正確な期間は分からない。まあそれは問題じゃないから分からなくても困らないが。

一週間以上経っても目を覚まさないなんて、別に理由があるんじゃないのかと、ここ最近は気が気じゃなくて鍛錬に集中出来ない。まさかと否定したかった、でも現に集中出来てないので認める。

知らない間に、俺は彼女に心を許して――…否、サクラの存在が大きくなっていた…?まさかな。


「姫さん、眞王廟に帰ってなかったんだとさ」

「、はあ?」


サクラが気を失っている間に、自分を取り巻く環境が微妙に変化した。

人間と魔族のハーフだから、いくら母親が王様だとしても、俺を煙たがる輩の方が圧倒的に多くて。

俺が率いる部隊にも、俺が気に入らないと思ってる輩はいる。ほとんどハーフの奴ばかりだけれど、純血の魔族もいるのだ。

俺を気に喰わないフォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルが、面倒なものから危険なものまで言い出したらキリが無いくらい仕事を押し付けてくる。

それに屈したくなくて遂行してたら、気付いたら“卿”を与えられていた。

それが幸せな事なのかどうかは俺自身も分からない。名誉だとは思うが嬉しくはなかった。だって突き刺さる視線に込められた感情は未だ変わってないから。

それでもついて来てくれる悪友に素っ頓狂な声を上げてしまった。


「帰ってなかったって、一度も?」

「あぁ、らしいぜ。姫さんが倒れたから、報告にとブレット卿達が向かったらしいんだが……何でもこっちへ来てから眞王廟には戻ってないってさー」

「だが…あいつはあっちに帰ると言っていた」


怪我の治療で自室に連れ込んだ時、去り際そう言っていたのを思い出して、眉間に縦皺が寄る。


「…へぇーそんな話をするくらい、お二人は仲が良かったってか?」

「煩い!仲良くなんかないっ」


ヨザックは、誰にも心を開かなくなったコンラートを見遣って、瞠目した。

思っても見なかった言葉だったから。

ハーフの自分達にとって生きにくいこの国で、道具のように扱われる彼は、昔よりも遥かにやさぐれて荒れるに荒れて、現在進行中で獣のように牙を向くようになってしまった。


「(そんなコイツが、出会って間もない女と親しく話すなんて珍しい)」


ヨザックもまたコンラートと同じ境遇だけれど、適当に力を抜く術を知っている。ヨザックはコンラートほど心の中は冷え込んではいなかった。

なぜなら最初から、魔族に期待などしてなかったからである。

それに王になった母親や、純血の兄弟なんていないから、心に受けるダメージは、コンラートほど大きくはなかった。裏切られたも同然だろ、なのに眞魔国のために剣を振るうコイツは、ある意味尊敬出来る。

血の繋がった者から貰う拒絶の言葉は、鋭利な刃物と同等だ。とヨザックは思う。


「ならどこで、」

「睡眠を取ってたのかって?気になるだろ?」


怪訝な表情をその顔に浮かべたコンラートに、ヨザックは得意気に話を続ける。

遠くで鳴り響く鉄の音など、最早気にならなかった。


「オレも気になって――…」

「おい、まさかあいつの部屋に忍び込んで盗み聞きをしていたとか言うんじゃないだろうな」

「お。察しが良いな」

「お前ッ」


何でか腹が立って、コンラートの目尻が上がる。

感情を露わにしてキッと睨むコンラートを、「まぁまぁ」と宥めて無理矢理、言葉を放った。


「衛生兵の話によるとだなー、姫さん寝てなかったらしい」

「……はぁ?一度もか?」

「だから疲労が溜まってた体で、何十人もの怪我人を診たりしたから、倒れたんだと」


教えられた内容に、頭が数秒停止した。

ほぼ毎日といっていいほど顔を見合わせて、何度か言葉を交わしていたのに、全然気付かなかった。気付いていたら何か変わっていただろうか。

脳裏に、あの忌々しい花が好きだと愛おしそうに笑う彼女の姿が過ぎって、途端、罪悪感に襲われた。


「ただの魔力の使い過ぎなら今頃とっくに目を覚ましてるだろうになア。無理をしたらどうなるか姫さん自身が一番知ってるはずだってぇのに…」

「それでも動かずにはいられなかった」

「だろうな」


そこまで話して、二人して押し黙った。

コンラートは、あの夜のサクラとのやり取りを思い出していて。

ヨザックは、現われた黒を宿す漆黒の姫とやらを見定める為について行った城下町でのやり取りを思い出していた。

ヨザックの場合は、高みの見物でもしてればいいものをと思っていたので、彼女がどう思いどう考えて行動をしていたのかなんて、考えもしなかった――…彼女にやられるまでは。

二度も剣でしてやられたのだ、流石に、暇つぶしで戦場に立つと言ったんじゃないと気付いた……否、気付かされた。

一度目は、城下町で。

それでも彼女のやる事が気に喰わなくて、鍛錬中に剣を向けて負かされたのが二度目。

女に負けたのが悔しくて、それから何度も、城下での彼女の言葉を思い出しては腹が立ち、何故負けたんだと彼女の言葉を反芻して考えて。

上に立つ御人が、好んで戦場に立つのか、理解しがたいなんて思っていたのに。

下にいる人の事を考えて、国民がいないと国は成り立たないと――理想を現実にしようと凛と前を見据えている、そんな彼女を最初は疎ましく思っていた。

いろいろ考えて気付かされた今は、あの姫さんが作り出す未来を見てみたいと思った。少しずつだけど、ヨザックの中で何かが変わっていく。

正直、彼女が言っていた何のために剣を振るうのか、ただ生きるためだけに力を使ってはダメなのか、未だに良く解らない。

姫さんは、姫さんが守りたいと思ったものや彼女の中での決め事を守るために、剣を手にしているってーことは、痛いほど理解した。

揺るぎない意思を持つ姫さんの剣は真っ直ぐで、だからあんなに強いのかと、今では尊敬している。


それでも――…そう、それでも。

どんなに揺るぎない意思で前を見据えていたとしても、劇的に現状が変わるはずがないと。

心の何処かで、あの姫さんだって、過酷な戦場に根を上げるだろうと思っていたのは否定できない。それなのに。


「凄いな。あの姫さんは」


民がいないと国は成り立たない。

鋭く放たれたその言葉を、姫さんが倒れてから、意味を痛感した。

彼女は、やると言ったらやる性格らしい。

バタールの民を助けて、魔術で火を消して。魔力がない自分には想像するしか出来ないが、それだけでも体にかなりの負担がかかるらしいと訊くから、かなりキツかったに違いないのに。

ここを発つときに、どんな状況かありとあらゆる危険性を思考して。

バタールに着いて、そこから国境付近の村に飛んで、人間を殺そうとしていた中央の軍隊を退けて、そこでも治療して。

彼女は、譲れないものの為に、命をも捨てる覚悟をしてる。その姿勢に感服するしかねぇだろう。ホント。

魔力が桁外れの三代魔女たちでさえ、何十人の魔族を視て魔術を使えばそれなりに疲労が溜まると、忍び込んだ姫さんの部屋で耳にした。

それなら睡眠不足のあの姫さんは……ん?そういやあー眞王廟に帰ってなかったんなら、姫さんは何を食べてたんだろうか?


「姫さん、不眠症なのかねぇ〜。頭悪そうには見えないけど、寝なかったら体に変調をきたすって知らなかったのかな」

「お前バカか」


意地悪く口端を上げる悪友を、コンラートはばっさりと冷たく切り捨てた。


「バカだろ。そうだ馬鹿だ」

「酷くね?」

「信じてなかったんだろうな」

「何を?え、誰を?」


そこまで言っても小首を傾げる男を見遣って、わざと溜息を深く吐く。

ゆらゆらと揺れるカーテンを見上げて。


「――全てを、だ」


そう答えた。


「考えてもみろ。いくら“漆黒の姫”でも、ここにいる者達とは初対面だ。漆黒の姫を見定めようとしていた俺達と同じく、サクラも俺達魔族を信用に値するか見定めていたんだろう」


サクラが倒れてから、サクラのことが頭から離れなかった。

ずっと考えていた事がある。

もしも俺が、サクラの立場だったら――…果たして、俺は、戦いの為に勝手に呼び出した魔族の為に、身を粉にして戦うだろうか、と。心の底から信じられるだろうか、と。


「サクラは“黒”が齎す影響を良く理解しているようだったし、シュトッフェルがサクラが謀反を起こすと危ぶんでいると、聡明なサクラがあいつの考えを読んでいたとしたら、」


気を失ったままの彼女に確かめる術などないから、定かではないが高い確率で察していたと思う。

信じられない輩が沢山いる血盟城で、寝起きをするなど彼女の立場で考えれば到底無理だ。寝れるはずがない。いつ寝首をかかれるか不安に駆られるだけだ。

それなら眞王陛下やウルリーケがいる眞王廟に戻った方が、かなり安全だ。

安全だと知っていながら、眞王廟に戻らなかったのは、恐らく、彼女なりに現状を把握しようとしていたのだろう。

ピンッと神経を張りつめて、信じられる存在がいない中で、どうしてあんなに頑張れるのだろうか。人間や魔族を憎むことなく、眞魔国の国民や人間の住民に救いの手を差し伸べるなんて、なんて慈悲深い。


「それはー…おちおち呑気に寝れねぇな」


なんてもんを抱えてんだとぽつりと呟くヨザックに、心の中で同意した。

名も知らない女の軍人が、兄であるグウェンダルに大声で詰め寄っていたから、伯父がバタールを見捨てたのは一般兵士の耳まで広がっている。

権力を思うがままに振りかざすシュトッフェルは、彼等の信頼など頭にないようだ。力でねじ伏せればいいと思ってるんだろ、クソが。その点サクラは本当に凄い。

小さい町だから見捨てた伯父とは違い、漆黒の姫自ら動いて、沢山の命を救った話は、兵士達に希望と衝撃をもたらした。


「いつ目を覚ますんだろーな」


ぐったりとしているサクラを抱えて帰って来たのは、燃えるような髪をした貴族の女性だった。

それまで漆黒の姫を見た事がなかった兵士達も、彼女の顔を見て、「あの顔は…」と、何やら見覚えがあるのか動揺していたのは記憶に新しい。

数人の兵士だけでなくメイド達も、サクラを見て、目を丸くしていたから気になって訊いてみれば、髪の色は違ったけど、仕事を手伝ってくれり困っているところを助けてもらったと彼女達は教えてくれた。

何をしているんだと呆れてしまった。サクラは本当に規定外だ。何を、お庭番みたいなことをしているんだ。

普通自ら忍び込むか?忍び込んで彼女達を助けるなんて目立つ行為をするなんて、誰が考え付くだろう?規定外すぎる。

高貴な色を持っているのに気さくにしてくれた彼女に――…兵士やメイド達は、サクラの虜になっていた。

色めき立つ城内を見渡して、鈍いシュトッフェルの耳にも漆黒の姫の評判は届いているだろう。

三大魔女が今では四大魔女だと言われ始めてるぐらいだ、これで、表立ってサクラを蔑ろには出来まい。ざまあみろ。

いくら魂が魔族だからだとか、伝説の“漆黒の姫”だからだとか、彼女の存在を認めるのに抵抗していた一部の貴族達も、今回の件でサクラを受け入れたらしい。

剣呑な眼差しから、心配する眼差しに変わっていたのを、コンラートは気付いていた。

目の上のたんこぶのあの村をこの機会に潰そうと企んだ伯父によって、皮肉にも漆黒の姫の評価が上がった。もう寝首をかかれると不安に駆られなくてもいいのだ。



――だから…、


「早く目を覚ますといいな」

「――そうだな」


安心して、早く目を覚ましてほしい。






(恐れ多いと思いながらも)
(あの澄んだ黒の瞳に、)
(俺を映して欲しいと願った)



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