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 第十九話【悲痛の中で】




この時代へ来て、半月が経った。

漂う空気も、濁って見える青空も、常に匂う乾いた土や血の臭いも、慣れてしまった今日この頃。

感じていた違和感も感じなくなって、それなりに過ごしていた。


『おっ』


今日も朝から斬魄刀との修行を終えた私は、中庭をぷらぷら歩いていて。ふと視界の端を過ぎった青に足が止まる。


『この花は…』


花、なんて、何処を見ても荒れた土地では見た事がなく、しかも見覚えのある花に目を奪われた。

その花壇は、手入れをされてないのが伺え、どの花も枯れているのが寂しさを誘う。

少し前までは咲いていたのだろう、水分のないカラカラな茶色の花弁が風に揺れていて。花だったのだろう残骸が剥き出しの土の上に転がっていた。その中でも、端にひっそりと咲いてる青の花。

他の花達は枯れてしまっておるのに――…一輪だけ咲くその花は、凛と立っており、相も変わらず美しかった。




どれくらい眺めておっただろうか。


――うぬ?

隣りに誰か立つ気配がして、そちらに意識が向かう。

誰かが近寄ってるのは感じておったが、まさか己に近寄って来るとは思わなかったので、誰だと見遣ると、コンラッドの姿が映った。


「もうこっちに来てたのか。いつも早いな」

『…うぬ、まあな』


彼の事を、コンラッドではなくウェラーと呼ぶのにももう慣れた。

幼さが残る顔立ちから視線を花に戻して。ふわりと吹いた風から、嗅ぎなれた彼の匂いがして――…どくんッと心臓が反応してしまう。

こちらの環境にも慣れたのに、彼と接する際は必ずといっていい程心臓が忙しない。

ほぼ毎日、彼の部隊と鍛錬をしているのに、彼だけは慣れぬ。

毎日行かぬのは、私がコンラッドと剣を交わしたとなれば、彼の部隊の兵士達の士気が下がるだろうと容易に想像できるからで。だからといって、わざと力を抜いても、漆黒の姫に期待してる人達を幻滅させてしまう。

私としても、たとえ練習だとしてもコンラッドと対峙したくはないので、鍛錬とはいっても私は彼等を避けていた。これから先もコンラッドと対峙する事がないよう祈る。

だから、毎日ではなく、たまに行っていた。と言っても真面目にやれと声が上がらぬのは、練習試合で、ヨザックに勝ったからだろう。

あの部隊ではコンラッドの次に腕の立つらしいから。実力がものを言う世界故、すごいなと素直に言えば、コンラッドは自分の部隊を便利部隊だと皮肉気に言った。

環境が環境だけに…彼の元には、似たような境遇の者しか集まらなく、政権を握っているシュトッフェルに、誰もしたがらない仕事を与えられるのだろう。

簡単に想像がついて、シュトッフェルにたいして黒い感情が腹の底で芽生えた。


肝心の練習試合は――とある日の鍛錬で、ヨザックの奴がまた私に突っかかって来たので、致し方なくこてんぱんにしてやったのである。

それからは、ヨザックに絡まれる事はなくて、だが代わりに物言いたげな視線をいつも寄越されるのだが……。何か言いたい事があるなら、直接言いに来ればいいものを。身分とか関係なく突っ掛かって来たくせに、何を考えておるのだろうか。

あの大きな体で、しおらしい態度を取られると笑ってしまうぞ。



「この花…」

『っ、え?』


コンラッドの視線が斜め下へと落ちて、私が見ていた花の事を言っているんのだと気付く。

そう言ったっきり黙ったコンラッドにより、沈黙が降り落ちる。必然的に私もその花を眺めるほかなく、青を見つめた。

そう言えば、この花を初めて見た時も、傍にコンラッドがいたなと思い出す。

あの時は…既に彼に対しての恋心を自覚していて……自覚して、というより、恋心を認めたと言った方が正しいかもしれぬが……、誰よりも大切なコンラッドとなんてことなく過ごす時間が好きだと思った瞬間で。

わざわざ私を探しに来てくれて、風邪を引きますよと苦笑したコンラッドに、心配してくれてるのだと嬉しさが込み上げて。嗚呼、好きだと思った。

青を見たら、コンラッドとユーリを思い出す私だけれど、ユーリに比べるとコンラッドの方が思い浮かぶのは、私が彼が好きだから。

過酷な環境にも負けぬ、けれど品を持って咲くその花を見て、私は、コンラッドのようだと思ったのだ――…本人には恥ずかしくて告げなかったが。その後、彼と花について会話をしたので、善く覚えてる。


「――花、咲いていたのか」


ささいな会話も鮮明に思い出せるのは、コンラッドの事を好いておるからだ。

ちょっぴり甘くて、くすぐったい感覚は――…幸せ、という感覚。あれが幸せという感情。

死神として長い間生きておったあの頃でも、甘味を食べる幸せや友と過ごす幸せを感じることはあれど、甘い幸せを感じた事などなく。初めての感情を教えてくれた彼が愛おしい。


「他の花は枯れているのに、」


ふんッと彼の弟――ヴォルフラムのように鼻で笑うコンラッド。それに嘲りが含まれているのを、感じ取った。

皮肉を言うコンラッドに何故だと疑問が湧くが、それよりも不意に放たれた言葉が、青のこの花と初めて会ったとの時と同じで、一気に思考が奪われた。

過去だろうと未来だろうと、荒れていようと、本質は変わらぬのだと――…。コンラッドだ、私が知るコンラッドと同じだと、全身が震えた。

隣にいるコンラッドは、未来で同じ言葉を口にしていると思っておらぬだろうと、充分知っておるが、それでも歓喜で震える心は止められなくて。頬が自然と緩む。


『キレイな花だとは思わぬか?』


サクラは、同じ言葉に同じ言葉を返したなんて気付かぬかった。

もちろん未来のやり取りなど知らぬコンラッドもまた気付かなかった。思ってもみなかった言葉に、コンラッドの思考は鈍る。――キレイ?この花が?

中途半端に開いた唇から、渇いた息が漏れた。


『透き通る花弁もキレイだろう?他の花は残念だが枯れてしまっておるのに、この花は力強く咲いてて』

「……図太いだけだろう」

『そこがいいのだ!強く、けれど上品さも兼ね備えて咲くところが目を惹かれる。派手さはないかもしれぬが、しっかりと自分を持ってる一面が、特に目を惹かれる』


甘い香りも好きだなと言葉を続けて。


『好きだなー』


そう言わずにはおれなかった。




自然と零れ落ちたサクラの言葉に、コンラッドは鈍った思考のまま彼女を凝視した。

この花が好きだと言った彼女の言葉は、そのまま自分に向けられているように聞こえて、鼓動が早くなる。

自分が好きだと言われたわけじゃないのに、反応する心臓を止められなくて。どくん、どくんッと熱く跳ねて呼吸が難しくなったみたいだ。だってその花は――…。


「っ」


謎の息切れの原因であるサクラは、未だ花を見つめている。彼女の眼差しが、優しい色を放っていて、幸せそうに微笑む姿に、見惚れた。

優しさが滲んだ漆黒の瞳に、吸い込まれる。その瞳を、自分にも向けて欲しいと思って――…はッと我に返った。

何か言わないとっ!と、焦る自分がいたが、唇からは息しか出ない。

じっと見つめていたから、視線を感じたのだろう彼女の高貴な色を宿した瞳がこちらに向けられて。絡まる瞳にひゅうッと息を呑む。


『ウェラーは、この花を名前を知っておるのか?』


そう言えば、コンラッドとこの花の名前を当ててみてと約束したのを思い出して。隣りに立つ彼を見上げた。

隣りにいる彼はもうこの花の名前を知っておるのだろうか?と気になった。あー…本人に訊くのは反則だろうか?


『あ、いや…今まで見た花の中でも、この花が一番好きだと思えるのに、名を知らなくてな。………し、知りたいなーなんて』

「………」

『ぬ、貴様も知らぬのかー?』


不気味なほど黙ったままのコンラッドの顔を、善く見ようと下から覗く。

コンラッドは目を見開かせて硬直してて、その表情に見覚えがあった私もまた固まって困惑した。――ぇ、…ぬ、ぬぬぬ。まさか…こやつ…。

コンラッドが黙るので、私も口を噤んであわあわ慌てる。だってその表情は見た事があるのだ。だが、何故このタイミングで…。この花に何かあるのか。


「ばっ、バカじゃないのかっ!」

『…う、ぬ?』

「こ、こんな花が好きとかっ、名前が知りたいとかっ!バカなんじゃないのかッ!」


いきなりの怒声に、吃驚して、ぽかーんと口が開く。

何故に己は怒られておるのか、気にはなるが、それよりもその茹でタコのような顔が気になる。怒声を浴びせられても、全く怖くない。

じっと見つめる私の視線から逃れるように顔を背けておったが――…長く伸びた彼の髪から少しだけ出てる耳が赤く染まっていて。その赤を見逃さぬかった。


『……え、っとー…』


莫迦だと一しきり怒鳴った彼は、落ち着いたのか、ふんッと鼻を鳴らして私に背中を見せて去っていく。

普段から足音を消す癖に、今、コンラッドは足音を立てて、城へと歩いて行く。わざと立てられる足音から、彼の動揺が窺い知れて。私はと言うと、突然の彼の変貌に沢山の疑問符を飛ばすのだった。


――意味が判らぬ…っと、うぬ?

悩んでも答えが出そうになかったので、話題の中心にいた青い花に視線を戻そうとしたら、コンラッドが足を止めたので、それは叶わぬかった。

コンラッドは振り向かず、立ち止まったままで。依然として背中を向けたままの彼の背中を疑問符を飛ばしながら凝視する。


「お前…俺の事、名前で呼んでただろう。それも不思議なイントネーションで」

『う、ぬ。うむ。呼んでたな』


一瞬なんのことを言っておるのか、わからぬかったが、すぐに眞王廟で会った時のことだと、頷いた。

恥ずかしながら…あの時は、目の前にコンラッドがいて、無事だったのかと感情が高ぶって――…未来の彼よりも目の前に立つ彼は髪が長く幼い顔立ちをしてるのにも気付かなくて、コンラッドと言ってしまったのだ。高ぶった感情のまま抱き着かなくて心底善かったと思う。あそこで抱き着いてたら、きっとヨザックに斬られてただろう。

うぬぬ。まさか、まさか己が過去の世界へと飛ばされると思っておらぬかったので、致し方なかろう!

馴れ馴れしいとか思わないで欲しいぞ。

何を言われるのかと、内心びくびくと震える。いくら目の前に立つ彼が、婚約者である彼ではないとしても、同一人物には違いないので、彼に嫌われるのはイヤだった。


「ウェラーと呼ぶな」

『………うぬぬ?』

「だからっ!俺のことはっ、名前で呼べと言ってるんだッ!判ったなッ!」


言うだけ言って、また鼻を鳴らしたコンラッドは、ズカズカと城へと足場やに去って行った。

鼻を鳴らす仕草も科白も、彼の弟のようで、私は呆けた表情で、『見事な…ツンデレ』と、誰に言うでもなく呟いた。

つまり、コンラッドは私に名前で呼んで欲しくて、でもそう言うのは恥ずかしかったのか、振り向かずに叫んでおったわけで。全てを理解して、じわりと頬に熱が集まる。

結局、花の名を教えてはもらえぬかったが、それすらどうでもよくなって頭の中はコンラッドでいっぱいになった。

遠かった距離が近くなったように感じて、じわりじわりと心に温かい感情が広がって。あまりの嬉しさに、うが〜っと叫びたい衝動に駆られた。

全身がむず痒くなって、両手が意味もなく動く。


『な、なんだったのだ』


明らかに照れてたコンラッドに、私まで照れてしまって。

誰に見られてるわけでもないのに照れてると悟られぬようにそう呟いた。あーだが、力を入れても口元がだらしなく緩んでしまう。

何度とこの時代の彼は、婚約者兼恋人であるコンラッドではないのだと言い聞かせておるのに――…彼は、ああやっていとも簡単に私の心を奪っていく。とても悔しくて、とても憎くて、とても嬉しい。






(好き、好きだ)
(どの時代の彼だって――…)
(コンラッドだからこそ胸がときめく)


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