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 第十六話【御国の為に】





落下していた自分の身体は、ふわりと浮いて何処かに落とされた。

感じていた圧迫感からも解放されて、背中に感じる床の冷たさにぶるりと震える。先程まで熱気の中にいたのに――…と、そこまで思考して、起き抜けのような頭が急速に働いた。


「っ、……ここは――…」


体を起こして自分がいる場所を確認するように、室内に視線を走らせて、自身がいるのは何処かのお風呂場だと知る。

背中を冷やしていたのは、タイルだった。肌寒く感じたのも頷ける。

ブラウンの瞳に映ったのは、血盟城にある自分のお風呂場よりも小さいが、民家の風呂にしては広い浴槽で。ここは何処かの貴族の家なのか?と考えを巡らせる。

気配を探ると、家の中には住民はいない様子だった。


「…サクラ……」


不法侵入をしているのは自分だと知っていたが、今この家に誰もいない事を確認し、ウェラー卿コンラートは、最愛の人を思い浮かべて、彼女が好きな星空のような瞳を陰らせた。


「サクラ」


名前を呼んでも、返事など返ってこなくて。

澄んだ黒曜石のような瞳を目にする事もなく――…その事実が、あの忌まわしい出来事が夢ではないのだと、あれは真実なのだと、コンラートの胸を重くしたのだった。

ユーリは、自分が絵画へと落とされる前に、サクラの手により地球へと帰ったみたいだったので、彼はもう大丈夫だろう。

ならば、早く城へと戻り、知る得る情報を手にすべきか、はたまた“箱”を人間達に悪用させぬ為に、シマロンへと赴くべきか――…いずれにしろ今どうなっているのか新しい情報を手に入れるべきで。

一刻も早く動くべきなのに、最愛の人――…サクラの姿が、コンラートの判断を鈍らせる。


「――サクラッ」


“箱”を喰いとめるのは、自分の役目だと誓ったのに。

陛下に戦争は駄目だと言われて、あの時、俺は揺るがない決意を心に秘めたのに――…今、頭を占めているのはサクラだった。


――サクラは無事なのだろうか?

あの場からサクラに無理やり移動させられる寸前に、派手な爆発音を…確かに自身の耳は聞いたのだ。

サクラは……。サクラが無事だったと、眞王陛下は何も言わなかった。

コンラートは、ある筈もない、そう“あの時”斬り落とされてない筈の左腕を動かした。

彼の左腕は、眞魔国であの小さな教会で発掘されたのだ、コンラートに左腕はない筈のなのに。彼の左腕には、ちゃんと腕が肩からついていて、問題なく動いていた。

その理由に――…コンラートの身に何があったのか、本人以外に、唯一知っていそうなサクラは、幸か不幸かこの場にはいなくて。サクラもユーリも自分の左腕を見たら驚愕するだろうとコンラートは自嘲気味に口角を吊り上げた。

ここが何処なのか知らないが、ここへ飛ばされる前に、絵画の中へと落とされた時に――…俺は眞王陛下と会話をしたのだ。

姿を見る事はなかったが、あれは眞王だったと確信している。そして俺は眞王陛下にある話を持ちかけられて……それに承諾したため、俺に新な“左腕”が与えられた。



カサッ



ふと、動かした“左腕”に、何かが当たって、視線を落とした。


「っこれは…」


冷たい床に落ちていたのは、あの場所で、あの時、サクラに渡された高級そうな黒の紙で包装された箱だった。

コンラートはゆっくりとそれを手にして。服も髪もびしょ濡れで、早く住民が戻って来る前にここを去らなければならないのに、サクラがくれた箱から目を逸らせなかった。

サクラ、サクラ、サクラ――…と、コンラートの唇は愛しい彼女の名前を紡ぎ、ぎゅうッとそれを強く握る。まるでその箱がサクラだと言わんばかりに――…。





『私は、コンラッド――…貴様が好きだ。貴様が思っておるよりも、私はコンラッドが好きだぞ』


サクラが、あのサクラが面と向かって、俺に好きだと言ってくれたのは初めてで。喜ぶべきなのに喜べなかった。

彼女のあの瞳は…嘗てのサクラがしていた……死を覚悟した眼だった事に気付いて、不安で胸がざわついて。


『すまぬ、コンラッド。私が動くから、コンラッドはユーリの側にいてくれ』

「!」

『コンラッドが自己犠牲して傷つくのを見るのは耐えられぬ。約束…、コンラッドが近くにおらぬと無茶をするなという約束、破ることになる……すまぬ』






俺の不安を肯定するかのように、サクラは、コンラートとの約束を破ると口にしたのだ。

いつもいつも無茶をするサクラだけど、それは彼女に無茶をしていると自覚がないだけで。それなのに、彼女は、俺に約束を破ると言ったのだ。

俺に陛下の側にいてくれと言ったサクラの眼は――…俺が何をしようとしていたのか、知っている眼だった。サクラは俺に、傷ついて欲しくないから自分で動くと決意したのだろう。

悲しかった…サクラがそう選択したことを。悲しかった…サクラにその選択をさせてしまったことが。

俺だって彼女を置いて、シマロンへと向かうつもりだったけど、サクラにまでそんな覚悟をさせた事に、悲しくて仕方なかった。

俺をっ、眞魔国を大切に想ってくれたから――…だからサクラは、俺がしようとした事を代わりに成すつもりなのだ。

きっとサクラがこの腕を見たら、全て、察してしまうのだろう。それでも、俺はサクラだけに重荷を背負わせたくはなかった。だって、サクラは俺にとって全てなのだから。

好きだから、サクラの事を愛しているから、ただ傍にいて何の不自由もなく笑っていて欲しかった。


「……、」


サクラを思い浮かべながら、コンラートは包装紙を解いて、出て来た高級感溢れる黒い箱をそっと開けた。黒を目にすると、サクラを思い出す。


「これは…」


中に入っていたのは、ブレスレットだった。サクラが左手首に嵌めていたブレスレットと同じデザインで、彼女のよりもごつごつした男物のブレスレット。

サクラがしていたのは、紅い石でデザインされた物だったが、コンラートの手の中にあるブレスレットは、黒い石であしらわれた物で、サクラとお揃いの物。

サクラがアクセサリーを自ら買うような方じゃないと知っていたので、彼女が自分で買ったと言っていた時は訝しんだが……そういう事なのかと、愛しさが込み上げる。


――俺とお揃いの物をしたかったのか…と。

サクラがしていた物も、俺にくれた物も、どちらもガーネットの石だ。その事に気付き、浮上した気持ちが…喜んでいる胸の中にあっけなく沈む。

サクラはガーネットの意味を知っていたのだろうか?

ガーネットは、大切な人との別れの際に、再会を願ってこの石を贈りあうのだ。友情の証とされたり。それ故に、“絆”とか“一途な愛”とか言われたりしている。


「(それなら…それだけなら、まだいい)」


俺を想って、くれたのならば――…サクラが俺を好きだと言っていると浮かれるのだが…。

中世ヨーロッパの十字軍の兵士達が友情の証に贈り合ったり、戦いに行くお守りとして厄災を払ってくれるルビーやガーネットなどの紅い石を身に着けていたとされる。

サクラのは、紅い石のガーネットだった。それが意味する事なんて……考えたくない。

ガーネットの別名――…勝利の石。彼女は知っているのだろうか、この石の意味を。あの紅い石を持って剣を握る意味を。

知っていて、戦地へと赴くつもりだったのだろうか――…だから、紅いガーネットのアクセサリーを身に着けたのだろうか――…。


「サクラッ」


自分にお揃いのアクセサリーをくれたという事は、あの彼女からの告白が本物だと、信じて、と言っているのだろうか。

俺の事を好きだと――…何処で、再会しても、心は俺にあると言っているのだろうか。

サクラは、何処まで先を読んで行動していたのだろうか。どれだけの覚悟をあの瞳に込めていたのだろうか。



――ああ…今、どうしようもなくサクラを抱きしめたい。


「サクラ、サクラサクラっ」


サクラに会いたい。会って、サクラを強く抱きしめたい。

左腕はもう自分の腕ではなくなったけど、サクラの温かさを感じたかった。

コンラートの胸の中は、サクラが愛しいと言っていて、その感情とは別にサクラが自分を置いて無茶をする選択をした事に悲しみでいっぱいだった。複雑な感情を落ち着かせたくて、とにかくサクラに会いたくなった。

会って彼女が自分のものだと、サクラが生きているのだと――…確かめたかった。

コンラートは愛おしそうにブレスレットを撫でて、左ではなく右腕に嵌めた。

指輪ではなかったのは、きっと剣を持つコンラートを想ってブレスレットを選んだのだと推測して、サクラが愛おしくて好きだという感情が溢れていく。

黒のガーネットを選んだのは……もしかしたら双黒のサクラが、自分の事を思い出してほしくて、これを俺にくれたのかもしれないと考えるだけで、どうしようもなくサクラが愛おしくて堪らなくなる。

そんな時だった、元気な高い声――恐らく幼い子供の声が聞こえたのは。


「ただいまーでござるっ」

「――!」


この家の住人が帰って来たらしい。

お邪魔しているは俺の方だが、この地が人間の土地かもしれない為――…コンラートは腰に差した剣の感触を確かめて、お風呂場から外へと続く扉に手をかけたのだった――…。







(サクラ――…)
(今どうしようもなく君に会いたい)




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