13-16
サクラの言葉を訊いて、考えを改めさせられた一同の後方から、欠伸混じりの声が聞こえた。
「いったい何の騒ぎなのら〜?」
「ああ、何やら騒がしいが…」
こちらもガラが悪そうに、眠気眼なヴォルフラムの隣で、ボサボサの頭でクルミも、ひょっこり出て来る。
漆黒の姫が、語りかけた言葉に、皆が皆押し黙って、言葉に込められた意味を噛み締めていた、そんなしんみりした時に呑気に現われたヴォルフとクルミ。当然二人に、物言いたげな視線が突き刺さる。
『……』
何ともいえぬ居心地の悪い空気に早変わりしてしまったことに、私も苦笑を浮かべた。
私と丁度視線が合ったクルミは、やべッと口を動かして、慌てて髪を撫でながら、脱兎の如くロッテの隣へと立ち――すかさずロッテから頭をはたかれておった。
――寝てたのだろうな…。
見間違いかなと疑いたくなるほど、いつもの愛らしいクルミに戻った彼女を見て、私はふっと遠い目をした。
シリアスな空気は…やはり続かぬな、うぬ。この面子だからな。……結構、己は善いこと言ったと思うのだが…。
「まことに申し訳ありません、閣下。このような姿を再びお目にかけるつもりはなかったのです」
「……」
やや微妙な空気が流れたのに、ヴォルフラムとクルミの二人を見なかったような、深刻な雰囲気を醸し出すヒューブに、私とグウェンダルはお互い違った意味で眉をぴくりとさせた。
「自分で身を処することも出来ず、卑怯にも他者に斬り捨てられれば、楽になれると思い、流れ者となって幾多の剣豪に挑んでみましたが、結局それも叶わず、ヒルドヤードでウェラー卿の姿を見た瞬間、これが運命だった、と。これで償えると――…」
そこで、ヒューブがコンラッドをチラリと見たので、私もコンラッドに視線を向ける。
コンラッドは表情の読めぬ眼差しで、ヒューブを見ており、ヒューブはすぐにグウェンダルに目を戻した。なんだかグウェンとヒューブの間に立っておるからか…私、板挟み状態。
「しかし、今また魔王陛下に剣を向けしことを――…到底許されることは思っておりません」
ヒューブとユーリの視線が絡み合う。
「へ、へぇぇぇ!おれぇ?いやーいいよ、怪我してないんだし」
「双黒の姫にも、二度も剣を向け……」
『…そのような記憶ござらん』
――ござらん!?って…結城の口調がうつった!
途端、ユーリがござらん…と復唱しておったが、聞こえぬフリをする。二人の相変わらずな対応に、グウェンダルは重い溜息を一つ吐いた。
魔王陛下だけでなく、漆黒の姫に二度も剣を向けたのだ。従来の王達ならば、剣を向けた相手の重い刑罰など気にも留めずに、臣下達に一任していたというのに――現魔王陛下と、漆黒の姫は、つくづく甘い。
片や一人は簡単にこの男を許し、片や一人は憶えが無いと言う――甘い、甘すぎる。グウェンダルと同じ事をヒューブも考えていた。
グウェンダルとヒューブが無言になったので、少しの間し〜んとしていたが、やがてグウェンダルが、重く長い溜息を吐いて、皆の注目を集めた。
「剣を取れ。私は左手で戦おう」
『!?』
「グウェンダル!?」
『なっ、』
――何でそうなるのだぁー!!!!!
飛ばされたヒューブの剣を、グウェダルは手に取り、ヒューブに渡した。ヒューブはそれを大人しく受け取る。ニコラが頭を左右に振って涙目で止めておるのに、ヒューブは彼女に離れていろと告げた。
何故、どうして!未だ死を諦めきれぬ様子のヒューブに私は怒りで頬が紅潮した。
――あんなに自身を慕ってくれるニコラと、守るべき赤子がおるのに、それでもまだ死を選ぶのかッ!己が口にした言葉は、ヒューブにも、グウェンにも全く届かぬかったのか!
少しでも届いておればと思ったのだけれど、無駄な抵抗だったということか。
「私がその未練…断ち切ってやる!」
それは戦闘の合図。
制止の声をグウェンダルにかけようとして――…私は、グウェンダルの覚悟を決めた瞳に息を呑んだ。
「ニコラをお願いします」
それは戦いを承諾した言葉。
ニコラの近くにいた私は、愛する人を失う恐怖から震えるニコラの肩にそっと手を置いて、安全地帯のユーリの傍へ誘導した。
サクラとヒューブが離れたのを確認して、グウェンダルとヒューブは剣を構えた。さっきとは違った緊迫した空気が血盟城を覆う。
「だめ…おねがいっやめてッ!」
「グウェンダルッ!」
ニコラとユーリが互いに叫び合うのを耳で拾いながら、私はグウェンダルをじっと見つめる。
彼が何の覚悟を決めたのか私には判らぬが、眼から伝わる本気の度合に、他人が口を挟めぬ何かを感じ取った。グウェンダルとヒューブは従兄弟同士、それ故…グウェンダルにしか判らぬ想いがあるのかもしれぬ。
グウェンのヤツがヒューブを斬ってしまうかもしれぬのに、私はグウェンダルを止める気が失せてしまった。
私とユーリ、それからニコラからも責められると覚悟した上で、ヒューブと剣を交わすグウェンダルに向かって、何が言えよう。これは怨恨による戦いではない。彼等の譲れぬ戦いなのだ。ならば――…。
『ならば…私たちが止めることは出来ぬ』
「なに言ってるんだよ!ヒューブが殺されるかもしれないんだぞッ!」
ぼそりと呟いたのをユーリに拾われ、キッと睨まれる。
すかさずコンラッドに、「陛下」と宥められたが、ユーリは、さっきは二人を止めてくれたじゃないかと、サクラに詰めよった。
『あれは、お互いが前へ進むための戦いだ。他者が割り込ってはならぬ戦いだッ!』
何でだよッ!と、顔に感情を乗せるユーリを一瞥して、グウェンダルとヒューブに目を戻した。
グウェンダルの剣がヒューブに迫り――ヒューブは防戦に集中していて、やはり怪我がよろしくないのだと…私は眉間に皺を寄せる。
「意味が判らないよ」
『グウェンダルが勝負を投げかけ、それをゲーゲン・ヒューバーは承諾しておる。グウェンダルの一方的な私闘ではないのだ』
云わば――…決闘。
その戦いに他者が入るのは許されぬ戦い。
「ヒューブが死ぬかもしれないのに!?ダメだよ!そんなのッ」
『グウェンだって死ぬかもしれぬだろう!』
「なら何で止めないのッ!?」
『お互い…覚悟の上だ。覚悟の上の戦いなのだ。前へと進みたいグウェンダルと、罪の重さから死を選ぶヒューブ』
剣と剣のかち合う独特の音だけが辺りを支配していて、押されるヒューブを見て、私は下唇を強く噛んだ。
どちらかが死ぬかもしれぬ勝負を見守るのは――…見てる側も辛い。間に助けに入る事も出来ぬ。止めたいに決まっておる。だけど介入を許さぬのだこれは。
「ッ」
辛そうに、だけど真っ直ぐ戦いを見据えるサクラの顔を見て、ユーリは、彼女を責める言葉を飲み込んだ。
いつの間にかサクラの近くに寄って来ていたクルミとロッテとオリーヴの三人の顔には、もう憎しみの色を宿しておらず、サクラと同じく戦いの行方を見守っていて。
自分の護衛のコンラッドも、あのヴォルフラムでさえも、真剣な表情で、ヒューブとグウェンダルを見ている。周りの兵士達も、似たような表情で二人を見守っていた。
彼等の表情を目の当たりにして――…ユーリは、ヒューブが憎いから、誰も戦いを止めないのではないのだと、理解した。だけど、平和の中で育ったユーリには、“見守る戦い”など、理解出来ない。
理解出来ないのに、真剣にやり合うヒューブとグウェンダル、見守る人達を見て、止めようとしていたユーリの体は動かなかった。
『二人を信じておるのならば、大人しく身を引け。これは見守らねばならぬ戦いなのだ』
「グウェンダルにも考えがあるのだと思いますよ」
サクラとコンラッドの言葉に、ユーリは何も言えず、ヒューブ達に目を戻した。
「どうした…お前の腕はその程度かッ!」
グウェンダルは、防戦で手一杯なヒューブの隙をついて、剣を振りかざした。
「おおおお!!!」
「やめろッ!グウェンダルッ!!」
よろめいたヒューブではその一太刀を止める余裕はなく、ヒューブはくッと唇を噛んだ。グウェンダルの剣を避け転んだヒューブの首へと迫る刃。
ユーリとニコラだけでなく、サクラも目を見開いた。ニコラの顔はもう涙でぐしょぐしょで、それでもヒューブに向かって叫んでいる。
「やめろおぉぉぉぉぉぉ!!!」
「キャああああああ!」
『グウェ――…!?』
勝負はそこでついたのだから、殺さなくとも……と思わず近寄ろうとしたサクラだったけど、止めを刺すグウェンダルの剣が僅かに逸れたのに気付いて、目を凝らす。
「っ」
来るべき痛みに目を閉じていたヒューブだったが、耳の横でドスッと音がしたのに痛みは来ず、疑問に思って目を開けると、グウェンダルが感情の見えぬ顔で自分を見下ろしていて。
目だけを横にずらしたら僅か数センチ横で、自分に止めを刺すはずだった剣が地面に刺さっているのを、視界の端で辛うじて捉えた。
…――助けられたのか?殺そうと、憎んでいたのに…?
意味が判らず頭を混乱させるヒューブの上半身を、グウェンダルが起こしてくれて、尚更、困惑した。そしてまた死ねなかったと脱力する。
「なぜ…私を……」
そんなヒューブの眼に映ったのは二人の双黒――…。
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