13-7
「やあお嬢さんたち、お父上と姉上とお話ししていたところなのですが……」
ヒスクライフさんがグレタとレタスの前で、しゃがんでそう切り出したので、私とユーリは視線を合わせた。
「グレタ、ヒスクライフさんと一緒にいくかい?」
「え?」
『レタスも、ヒスクライフさんの国へと行ってみぬか?』
「サクラおねぇちゃん?」
ヒスクライフさんに全てを言わせてはダメだと、自分でつげなければなるまい。そう思って、ユーリと共に私はレタスと目線を合わせて問うた。
突然切り出された話に、レタスとグレタは顔を見合わせて一緒に小首を傾げる。
『ヒスクライフさんの育った国で、彼の娘さんと一緒に勉強せぬか?』
「……なんで?」
「ベアトリスは今年七歳で、世界の歴史や文化や芸術をカヴァルケードの学校で学んでるんだよ。国と国との関係だとか、王女様としての心得なんかも、年の半分は両親から離れて、お父さんの生まれた国で勉強してるんだ。もしよかったら、お前たちもそこに……」
「いやだ!」
「どうして?サクラおねぇちゃん…」
『レタス、私は』
親に捨てられるような…悲しさと不安を揺れる瞳に宿して、レタスはワンピースの裾をきゅうッと掴み、全身で辛いと叫んでおるようで…。その姿に、私は言葉を失った。
ユーリの方からは、グレタの震える声が聞こえて、そちらを見遣る。
「だってユーリもううちの子だって、グレタはうちの子だって言ったのに! なのにまた国のためにとか難しいこと言って、グレタをよその国にやるの!? お母様とおんなじ理由を言って、お母様と同じことまたするの!?」
「そうじゃないよグレタ」
「だって同じだよ! よその国にやるんだもん! もうグレタが要らないってことなんだっ!サクラだってグレタのこと義妹にしてくれるって言ったのにっ!!」
『グレ――…』
「同じじゃないって!」
グレタに叫ばれて、胸が痛くなった。
グレタにとっては、実の母親に今の城まで追いやられて、家族もいなくなって、家族欲しさに眞魔国に来たのに……また同じようなことをされて、辛くて悲しくて…捨てられる怖さが彼女に根付いておるのか。
叫ばれなかったら、グレタの気持ちに気付けなかった。…――妹みたいだと言ったのに。不甲斐ない。
レタスも琥珀色の瞳に涙を浮かべて、イヤイヤと頭を左右に振っている。その姿にも胸が張り裂けそうになる。
ユーリもサクラも、二人でレタスとグレタと同じように悲痛な表情を浮かべて、今にも泣きそうな顔になっていた。
「同じだろうが」
お前等まで泣き出してどうすると言わんばかりに、ヴォルフラムは溜息を吐き出して、鋭くツッコミを入れた。
涙目のグレタとレタスも、私とユーリも、仁王立ちのヴルフラムに目を向ける。視線を独り占めした彼は、自分に意識が向いてることを確認して、ふんッと鼻を鳴らした。
「どこまで理解力のないバカ四人なんだ。まったく親子と姉妹でそっくりだ」
「ヴォルフ、お前のことじゃないんだからさ……」
「母親がスヴェレラに送ったのも、ユーリがこの“ハゲ”に預けるのも、理由は同じだ。サクラだって何もお前達を捨てるわけじゃない」
ヴォルフラムの言葉に、グレタはユーリに、レタスはサクラに涙目の瞳を向けて、
「お前のためを思って、そうするんだ」
グレタの瞳は疑心暗鬼に揺れており、ヴォルフラムは言葉を続けた。
「だいたいどこの世界に、子供のためにならないことをする母親がいる?そういうところ認識不足だというんだ。 しかもこんなちんけで非力なガキが国のためになんて逆立してもなるものか。そんなことも思いつかないへなちょこだから、ボクがついていないと旅もさせられないというんだ。おいユーリ、それにガキ、聞いてるか?サクラとレタスもだぞ!」
いつも傲慢で他人のことなどどうでもいいように見えるヴォルフラムが、ここまでグレタに言葉をかけておるのは、グレタが心配しているってのもあるだろうが、きっとユーリを想ってだろう。
ユーリがグレタを想っておることも、グレタのためを想っての行動だってことも、ヴォルフラムはグレタに言わずにはいられなかった。
「……そうだよ、お前のためにはそのほうがいいかなと思ったんだ」
ユーリは、寂しさを隠してグレタに優しく微笑んだ。
「サクラおねぇちゃんも?あたしの為を思って?」
レタスもサクラから目を離さず、消え入りそうな声でそう尋ねる。そうじゃなくても悲しいけど、そうだとしても訪れる別れを予感してレタスはより一層涙を大きな瞳に浮かべた。
ユーリもヴォルフラムもコンラッドも――…心配で、サクラとレタスのやり取りを見守る。
『行きたくないなら善いのだぞ?だが、魔族として生きると決めたレタスに私が言った事を覚えておるか?』
私は、レタスの顔を覗きこんで、レタスの涙を拭ってやりながら、静かに問うた。
『ならば…レタスは魔族と人間の架け橋になれるな!』
「……うん」
コンラッドが連れて行ってくれた展望台で、言われた事を思い出して、レタスはコクリと頷く。
レタスが、姉になってくれたサクラに、魔族としてサクラおねぇちゃんと生きていくと伝えた時に、返って来たその言葉。
意味はまだぼんやりとしか解らないけど、それは姉の言う通りにヒルドヤードに行ったら解るのかな。 レタスはぐるぐる考えた。
『私はな、嬉しかったのだ』
私は、口をきゅうッと真一文字に閉じておるレタスを覗き込んで、ふっと笑った。
「おねぇちゃんと一緒に生きるって決めたの!」
こちらでは大切なモノを作りたくないと思っていた私に、そう言ってくれて。
あの世界を忘れられなくて悪足掻きをする私に――…そう言ってくれて、私は嬉しかった。
ユーリに私の居場所はここだよと言われて、腹を決めたのだが、レタスのあの飾らない笑みに、また私は救われたのだ。レタスがああ言ってくれたのに、私が逃げておってはダメだと思った瞬間で。
『レタスにああ言ってもらう資格も私にはないと思っておったのに……そう言われて、嬉しかったのだ』
「な、んで…だってサクラおねぇちゃん、あたしのおねぇちゃんになってくれるって言った!」
『うむ。……そうだな、ありがとう』
当たり前だと、何を言っているんだと、言われたようで――くだらぬ事を考える私に、レタスの無垢な感情に触れて、そんなところに己は救われたのだと思う。
『私の義妹が故に…いろんな世界を学ばなければならぬと。それに、魔族と人間の架け橋になるには…どちらの勉強もしておかねばならぬと、私は思うぞ。一生逢えなくなるわけではない。…――レタスのしたい通りにしなさい』
「……コンにぃも?」
「う〜ん。レタスはまだ若いから、魔族としてとか人間としてとかじゃなくて、幅広く学んでから、どう生きるか決めても遅くはないと思うよ」
「……」
レタスから助けを求める視線に、コンラッドは柔らかい笑みを浮かべて、しゃがんで目線を合わせた。
私の言葉と、コンラッドから言われた言葉を、一生懸命に理解しようとレタスは黙り込む。
サクラとレタスの会話も一旦途切れたので、ユーリは深く頷いて、ぱんッと手を叩いて、皆の注目を集めた。
「うん。レタスもグレタも、サクラが言ったように、魔族だけの中で生活してくより、半分は人間の社会を体験して、もう半分はおれたちの国に住むほうが、両方味わえてお得かなって、いや公平かなって思う。でも、おれも、サクラと同じで、グレタが嫌ならそれでいい。おれと一緒に王都に戻ればいい」
「……グレタ、ハゲのうちの子になるの?」
「…えっ!?あたしも?ついて行くだけじゃないの?あたし絶対いやー。なるならサクラおねぇちゃんの子がいいー!」
ユーリが善い事を申したのに……グレタの言葉に、レタスまでもが絶叫の声を上げた。……――本人がおる前で…たとえそう思っておっても、口にすることは失礼に値するのだと、後で注意しておかねば。
そう言えば……ヴィルフラムが先に、ヒスクライフさんの事をハゲだと宣言したのでは…なかったか……。
『(あれ…?)』
「それなら俺の娘になるのかな」
――うぬ…コンラッドの意味深な笑みと言葉は、スルーすることにする。
レタスもきょとんとした顔でこちらを見るでないッ!こやつのことは無視するのだー!!サクラは視線で訴えた。けれど、グレタの次の声にレタスも悲鳴を上げる。
「……グレタもすっかりピカピカにるすの?」
「ひぇっ!!!」
『レタス…』
流石に……そこまで正直に、ハゲだとかピカピカだとか悲鳴を上げるのは……ヒスクライフさんが可哀相。うむ可哀相だから…笑ってはダメだぞ、私。
正直な子供の声に、私は唇を噛んで、笑いを堪えた。
「バカだなグレタ、お前はおれの隠し子だろ!? ぴっかりくんちの子供になんかさせないよ!」
「ほんっ……ほんとに……っ?」
ユーリも、笑いを堪えて、話を元に戻したので、私もレタスに視線を向ける。
『勉強に行かせるだけだ、グレタもレタスも私の義妹だよ』
「っ!…ぅっ、ぐずっ」
また泣き始めたレタスの頭を撫でたら、レタスが抱き着いて来て、私の腹に頭を埋めた。
ふっと笑って、ぽん、ぽんッとあやしながら背中を優しく叩く。コンラッドが、私の横からレタスの頭を撫でておる。
『レタスはどうしたい?無理に行かなくても善いぞ』
「…ぅ…い゛くっ、行くッ!」
『……うむ』
「あ、たし…ちゃ、んとっ勉強してくるッ!サクラおねぇちゃんの妹だって、むねはって言えるようにっ頑張るッ!!」
『……うむ』
意に反してこちらでは姫などと地位の高い身分になってしまった私、そしてその私の我が儘でレタスを妹にした故……レタスには普通の女の子とは違う、教育や環境を押し付けてしまう。
罪悪感を少なからず感じておる私に、レタスは真っ直ぐ嬉しいことを言ってくれる。レタスは幼いながらも、私の立ち位置を理解してくれていて、なのにそれでも私の妹でありたいと思ってくれておるのだな…。
嬉し涙を浮かべるサクラの黒髪をコンラッドは優しく触れた。ユーリとグレタも抱き合って、泣いておる。ヴォルフラムも涙目で。
『レタスの帰って来る場所は、私の所だからな』
「っ、うんっ」
「うん。レタス、いつでも帰って来ていいんだよ」
「ぅんっ、うんっ!!サクラおねぇちゃんとコンにぃが、あたしの家族?」
『……ああ、だからそう悲観することもない。いつだって帰って来ていいのだから。ただほんの半年、眞魔国を離れるだけだ』
腹に頭を埋めておるレタスの空色の髪を見下ろして、そう優しく答える。コンラッドもまた、柔らかい声音で言葉をかけておった。
私に抱き着いたまま震えるレタスの背中を、尚も優しくリズム善く叩く。
「レタスがちゃんと勉強して帰って来るのを、首を長くして待ってるよ」
「ホント?」
「ああ」
『うぬ』
やっと顔を上げたレタスは、サクラとコンラッドに、何度も何度も、胸に残る不安を払拭させるように、尋ねて。
サクラとコンラッドは、安心させるように、何度も何度も、レタスに頷いた。
(サクラおねぇちゃん)
(コンにぃちゃんも)
(だぁ〜いすきッ!!)
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