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人が恋をする時、それはまず自己を欺くことによって始まり他人を欺くことによって終わる

「多分私と彼って、毛糸とミシン糸みたいな物だと思う」

 これまた難解な例えがきた。
 ディーノは思わず凝視する。何をと言えば、窓辺に座る白い横顔を。

 薄い月光に照らされて、割れたガラス窓に寄り添う姿は綺麗だった。本来の性別を知っているディーノですら、そう思う。「彼女」はいつでも綺麗だった。
 最も、その綺麗さを生かして「彼女」は日々業務にいそしんでいるわけだから、当然と言えば当然なのだが。

「……けいと、と、みしんいと?」
「そう。毛糸とミシン糸」
 彼が黒で私は白かな。そう笑ってこちらを見る、引き伸ばされた薄い瞳。笑みを含んで白くまたたく。

 黒と白。なるほど、わからなくもない。

 脳裏に一瞬浮かんだのは、黒く光る切れ長の瞳だった。最初で最後のかわいくない弟子。
 ディーノの中で、彼の姿は黒スーツに身を包んだ20歳だ。それ以来時は止まったまま。
 止めたのは、ディーノだ。そして、それに加担しているのは目の前の「男」。

「……あのさ、エルザ」
「なあに」
 がしがし頭をかきながら口を開く。
「オレにもわかるように言ってくんねぇ?」
「やだなあ、同じ言語でしょ?」
「オナジゲンゴ。さっきの発言よく思い出して胸に手を当ててもういちど」
「毛糸とミシン糸。それか水蒸気と空気」
「すげぇますますわかんねえ」

 例えが難解を極めてきた。これは傑作だ。
 ディーノは空を仰いで一歩踏み出す。足元でパキリと音を立て何かが割れた。そこらに散らばる破片のひとつ。ガラスかコンクリか。

「エルザって年々ひねくれ具合が増してくよな」
「すぐ側に真っ黒っけっけなボスさんがいるもので」
「誰が黒だよ、この見事な金髪」
「ボスも年々私の扱いが上手くなっていきますねえ」
「なかなか苦労したぜ。扱いってかあしらい方」
「ヒドーイボスが大切な部下をあしらうとか言ってます〜」

 笑う。髪をくしゃくしゃかきながら出た笑いは、我ながら非常に空虚で薄っぺらだった。

「……ホント、オレお前のこと好きだわ。エルザ」
「身分差恋愛ってたいてい悲恋に行き着くんですよ。知ってます?」
「そのワザと斜めに話持ってく軽口も」
「ロミオとジュリエットが良い例です」
「まるで本当の女みたいな立ち振る舞いもその見た目も」
「典型的で素晴らしい悲恋のカタチ。いにしえの人は良い物作ったもんです」
「目的のためならアッサリ自分の体も感情も利用するところも」
「ロミオよロミオ、貴方はどうしてロミオなの?とか、最高に馬鹿げた言い回しなのに人類皆が一度は思う、簡単でどうしようもない悲惨な疑問ですよね」
「でも本当に好きなのは、素のお前だぜ。"イル"」

 笑んでいた瞳が、歪んだ。

「……俺はお前のそういうところが嫌いだよ、ディーノ」

 向けられた言葉には棘と毒があった。ディーノは怒る事もなく、ただ笑う。
 空気の抜けきったような、空っぽに近い笑い方で。

「ホントだぜ。愛してる、お前の全てをな」
「そのセリフは人生何回目?ちなみに俺の予想はきっと5ケタを超えていると見た。どう?」
「残念だったな。心の底から思って言うのはこれが初めてだ」
「そりゃ残念だったな。人生初めての告白が無残に踏みにじられるとか」

 目を合わせる。気まぐれな猫みたいな瞳が、冷え冷えとした光を宿してこちらを見ていた。
 ディーノは微かに微笑む。「エルザ」の仮面をかなぐり捨てたこの部下の感情は、案外読みやすく、そしてあしらうには困難だ。

「ちなみにここで重大発表」
「おおっと」
「俺、イルは男なんですねー。知ってましたか我らがボス」
「愛に性別なんて関係ないだろ?」
「すげぇ、これまたベタなセリフ。ちなみにそれは?」
「人生初だ。さっきと同じ」

 冷えきった空気に会話がポンポン続く。交わすやり取りはくだらないのに途切れないあたりが重症だ。15年、共にいすぎた結果。
 そう、多分「いすぎた」のだ。

「言ったじゃん、俺。身分差恋愛の行き着く先はたいてい悲恋」
「ロミジュリは身分差じゃないぜ。あれは敵対してるだけ」
「俺根っからのジャパニーズだから詳しくなくて」
「恭弥とお前みたいだな」

 沈黙。

 窓辺、割れたガラスの隙間。射し込む月光に照らされた、その顔は悲しいほどに綺麗だった。綺麗すぎた。
 投げた小石は、どうやら思っていたより大きかったらしい。こちらを見据える両の目が、氷じみた冷ややかさを含んだまま固まっていたから。

「……毛糸とミシン糸。絡まったのほどいたことある?ディーノ」

 予想外の攻撃には弱い。でも立て直しも早かった。
 知っている。この男はそういう人間だ。

「いや、ないな」
「だろうな。なら水蒸気と空気を分けたことも」
「幼児でもわかる挑発をどうも」
「哲学的って呼んでくれ」

 細く動いた瞳に笑みが浮かんだ。

「恭弥は俺が嫌いだよ」
「……それも挑発か?」
「いや、真実だ」
「お前って冗談キツいよな」
「俺は誰も好きにならない」

 言葉を呑み込む。初めて、何と切り替えしたらよいのか見失った。
 見返した先の両目に炎が燃えていた。触れたら火傷する。間違いない。だがその炎の印象は冷ややかだった。冷え冷えとした色。凍り付いた炎。
 まるで、彼の本性を凝縮して表したような。


「俺は恋愛なんてしないよ、ディーノ」


 ガラスの破片と瓦礫の散った廊下の上。数刻前、抗戦の舞台となったその場所で。

「絶対に、しない」

 彼は、嘲笑するようにそう言い切った。




 ――5年。
 同盟3位のキャッバローネがボンゴレを裏切り、敵に回った。
 何もかもがひっくり返り、白が黒に染まり、朝と夜を繰り返して、

 膠着状態を経て、時は止まったまま。