恋の運命は目隠しゴッコの鬼のようなものだ
「ハローダーリン、ご機嫌いかが?」
目の前、焦げ茶のツインテをふわふわさせて、碌でもない笑みを浮かべた相手が言う。
雲雀はチッと舌打ちをした。だから嫌なのだ、この「女」は。
「君今この状況でそういうこと言う?」
「あらやだ、あなたも口開ける余裕があるあたり――」
にっこり。音符でも出てきそうな笑顔で相手は言った。
「『今回』は時間があるみたいね?」
目の前、血塗れの雲雀に銃口をヒタと当てられた――その体勢で。
「……死ぬ前の遺言くらい聞いてあげるよ。何がいい?」
「遺言って死ぬ前だから“遺言”って言うんだよ。知ってた?」
「それとも君神とか信じてるタイプ?祈りの時間をあげようか」
「昔っから雲雀サンって言葉の使い方ちょくちょく間違ってるんだよねぇ」
噛み合わない会話がぽんぽん続く。相変わらず碌でもない。
壁に背を預けて無様に座り込んだ、そんな相手の額にぴたりと銃口を当てているにも関わらず、舌打ちしたのは雲雀だった。むしろ追い詰められた相手の方が余裕綽々で、まるで自分が有利に追い込んだかのように優雅に笑っている。
「……沢田からの指令が無ければ、君をトンファーでめった打ちにしてあげるんだけど」
「やだぁ女性に対して手をあげる気ですかあボンゴレ守護者?」
「ホントに女になったら考えてあげる」
気持ち悪いから猫かぶりやめてくれる?そう言えば「彼女」は目を細めた。ずるり、笑う。
おおよそ笑い方にふさわしくない擬態語だったが、そうとしか見えないのだから仕方ない。ずるり、そう、そんな感じだ。
ずるり。引きこむように、はぐらかすように。ぐちゃりと。
「……ヒバリキョウヤ」
突然、口調が変わった。囁くような声音が、微か響く。
雲雀はやや眉を寄せた。片膝をついたまま、相手がどう動いても対処できるよう身構える。
最も、こめかみに銃口を当てられておいて、相手に何もできるもないのだが。
そう――雲雀に、撃つ意思さえあれば。
「……お前の今回の任務は、『敵対組織を抹消し、エルザを殺す事』。そうだろ?」
沈黙を貫いた。相手はそれを肯定と取ったらしい。薄い唇がまた開く。
「でも、お前は今、自ら俺に『正体を明かすよう』言った」
そこまで聞いて、雲雀はしまったと思った。やられた。
もう一度、舌打ち。空の左手で、上着の内を探る。
「つまり、」
ここまで、0,1秒。匣を引き抜く。
「――『イルを殺す気』は、無いんだろ?」
リングに炎を燈した瞬間、目の前で女が文字通り“消えた”。
「――ッ!!」
「うわぉあいっかわらずの反射神経。私が泣く」
相っ変わらずなのはどっちだ。
イラ立ちとムカつきを最大限に込めて、雲雀はトンファーをギリギリと音がするほど押さえ込む。それはもう、強烈に。
だが対峙する『エルザ』はうっすら、肉食獣みたいな笑みを浮かべて長剣を交え押し込んでくる。その刃と言わず全身に、藍色の炎が吹き荒れていた。
「忘れていたよ。君が根っからの術士だったってね」
「それはうっかりものの雲雀サン。今度からは忘れないように」
「騙し討ちが君の十八番(おはこ)なのもよくわかったよ」
「それは俺だけじゃないだろう?」
するり、藍色の向こうで瞳が細まる。一瞬だけ光が凝縮した。
視線に刃などあるわけがない。だが目が合った瞬間、ぴりっと頬を何かが焼いた気がした。
息を吐く。炎の勢いが落ちないよう、短くささやかに。
やめてほしいと思う。こうも気まぐれに、「本性」を小出しにしてくるのは。
「今失礼な事考えたデショ」
「例えば、君のその嘘八百をペラペラ吐き散らす口から舌を引っこ抜けないものかな、とか」
「雲雀さんって冗談がお好き」
「まあ咬み殺してあげれば同じことだよね」
互いに炎圧を上げながら言葉を交わす。まるで日常会話のようだった。否、日常と呼ぶにはその中身が殺伐としすぎていたが。
「僕は術士が嫌いでね。尚更這いつくばらせたくなる」
「私そんな特殊性癖に付き合ってる暇も義理もないんでお断りします」
「丁重な辞退のお言葉だね、賢明だ」
「やだ褒められ、」
た、と言いかけて相手の瞳孔が大きく開いた。
っ、と息を呑み込んだ音は確かに聞こえた。
震動の余韻に細かく揺れる手先を押さえ込み、細い首元にひたりとあてがう。
紫の炎を薄くまとった、銀色のトンファーを。
「……これだからボンゴレって嫌い」
「君パスタ好きじゃなかったっけ」
「この状況でそういうこと言うかフツー」
全然笑えないんだけど。そう言って相手は平然と笑った。
一瞬の隙を突き、炎の圧力を上げて押し切った。雲雀の勝ちだ。
床に転がった相手の体からは、僅かの炎も生じない。細身の長剣は弾かれ視界の外のどこかに消えた。
興味もない。雲雀の足下、仰向けの相手は確かに術士だったが、飛んでいった武器を呼び戻せるほどバケモノじみてはない。
だらり。両手を力なく体の横に下げる相手の喉元に武器を押し当て、雲雀は馬乗りになったまま息を吐いた。先ほどよりもずっと深い、長いため息。
「……君の方こそ、その笑えない女装何とかしなよ」
「お前くらいだよ、俺のこの完璧変装を笑えない女装呼ばわりするの」
「霧属性が聞いて呆れるね。幻覚の手管はどこに置いてきたわけ」
「生まれた時に胎内へと」
「頭の良さから純粋さ、それから素直って言葉に幻術。忘れ物が多すぎる」
くだらない。口を動かしながらふっと思った。
首を傾け相手を見下ろす。他意は無い。ただそうした方が見下ろしやすかっただけだ。
跨った雲雀の下で、「じゃあお前は無垢と笑顔だな」と相手がぺらっとぬかす。何の話かと思ったら、胎内に置いてきた物の話だった。その話はまだ続いていたのか。心底どうでもいい。
ふと、相手が頭に手を置いた。
見慣れた仕草だ。雲雀は身構える事もなく、むしろこれから起こるであろう光景にただただ冷めた目を向けた。
する、あっけなく彼の頭から茶色の髪が抜ける。いや正しくは抜けるのではなく落ちるわけで、次にそのふわふわ揺れていたツインテールが傾いた。それからずるっと床に滑り、「彼」はふうっと息を吐いて目元を擦る。
「相も変わらず安っぽいメイクだ」
「ありゃ恭弥はこういうのお気に召さない?最近の流行りだよ」
「擦っただけで落ちるような薄化粧が?別に興味も無いけどね」
「またまたあ、ご冗談を。恭弥だって今年で25歳、そういうコト敏感なお年頃でしょ」
「君、喉か胸か、どっちから先に潰されたいか言ってよ。部位は選ばせてあげる」
「部位って、俺鶏肉とかじゃないんだけど」
滲んだメイクと外したウィッグの下から現れるのは「青年」の顔だ。さらり、床に零れる毛先は趣味の悪い人工色の茶色などではなく、パフなんて叩かなくても白い肌はきめ細やかでその身の艶やかさを強調する。
だから、タチが悪い。雲雀がこの男、イルを「嫌い」だと思う理由のひとつだ。
「ところで部位は決まったかい?イル」
「やだなあ恭弥。『イル』を殺しに来たわけじゃないんだろ?」
「指令が無くとも敵対マフィアの駒なら殺す理由は正当だ」
「ありゃまあ」
イルが気の抜けるような笑い方をした。雲雀の下、仰向けに転がって。
色々な笑顔を作れる男だ。便利なやつだねと雲雀は冷えきった頭で思う。
自分にはできない芸当だ。目の前の男が言う通り、胎内に置いてきたというわけではないだろうが、少なくともどんな場面でもどんな相手に対してもとっさに浮かべられるような「笑顔」の数は持っていない。
別に持っていたくもないが。
「君のその顔、嫌いだ」
「なんなら好み?あ、恭弥を組み敷いて笑ってるカオとか?」
「最中の顔は好みだよ」
一瞬、眼下の顔が完全に固まった。微妙な間を空けて、再びその口が動く
「快感に耐えてるって顔とかね」
前に、更に言葉を続けてやった。
色白な頬に赤みがさす。予想外の攻撃に極端に弱いのは把握済みだ。
「……恭弥ってホント、冗談がいちいち笑えない」
「組み敷くだのなんだの、そういう前フリ振ってきたのは君の方でしょ」
「意味違うの絶対わかってんだろ可愛くないなあ」
言葉の前半と後半で目の色が変わる。それこそ組み敷いた相手の瞳にぎらりと炎が宿るのを見て、どうやら挑発がすぎたらしいと気が付いた。
だが今更だ。それに言うなら、雲雀もさして気分は良くない。
「どけよ万年戦闘狂。どうせ俺の事殺さないんだし」
「殺してあげる」
「……は?」
ふうん、と思った。そこは「殺さない」、なのか。
「ころせない」ではなく「ころさない」。
トンファーを放る。耳障りな音が一瞬、部屋の端から響いて止まった。
その言い方に免じて、手酷くするのはやめてあげようかな。
「……きょ、お前何を、」
「調教」
「ゼンゼン笑えない語彙の選択センスをありがとう、ところで出口は?」
「無いよ」
「お前がどけばあるっての」
「君に拒否権なんか無いって言ってるの」
ねぇ、だから嫌って言いなよ。
僕の事なんて大嫌いだって。
真下、両手を付いたその間、退路を塞いだ顔が歪む。
奇妙な歪み方だった。口元はねじくれているのに目が笑んでいる。
カワイソウに。そう哀しく笑っている気がした。
誰が?誰を?
しゅる。指で引っかけ自分のネクタイをほどく。
いつだって彼を縛るのは自分のネクタイだった。それか、上着か。
相手の物を使うのは嫌だった。まるでこれが合意の上での行いかのように思われて。
「……恭弥さん俺今日セイリなんですよー」
「遂に性別まで自由自在になったなんてね、おめでとう」
「冗談抜きで俺血塗れのお前となんてごめんなんだけど」
「なら僕のホテルに来るかい?」
チャリン。軽く放ったカギが、イルの胸元に落ちた。
イルが目を見開く。ここのところ久しぶりに見る、彼の驚き顔だった。
「何驚いてるの」
「……恭弥サンがカードキーじゃないトコ泊まってるとか俺ビックリ」
「いつもは沢田が手配してくれるからね」
「優秀で優しいボスを持つと部下が横暴になるワケだ」
「今回は僕が手配したんだ」
一拍、間が空いた。微妙に開いたままの瞳孔が、こちらを探るように数秒、見やる。
「……なに、初めてのホテル取りで失敗しちゃった?」
「君のそのべらべら話せる能力は感嘆の一言に尽きる」
「ああ恭弥、アナログが好きなタイプだったっけ。忘れてたよ」
「古い物は嫌いじゃないよ。最新のデータや機械は跡が残る」
雲雀が流れるようにそう言うと、イルの表情が崩れた。
へにゃり。そう言い表すのがぴったりな笑顔で、彼は上手く作った顔をしてみせる。
上手だ。雲雀の微細な言い回しの裏の言葉を理解して、そういう表情で笑ってみせる。
この男の、得意技だった。
もう何度騙されて逃げられたかわからない、この男の。
「……画策済みですかあ恭弥さん。さすが偉大なるボンゴレの守護者は頭が回りますね」
「君の頭はいつだって湧いてるけどね」
これ以上不毛なやり取りを続ける気は無かった。そろそろ、沢田の部下が来る。
ほどいたネクタイの先をイルの首下に通す。素早い動作だったが、相手は身じろぎもしなかった。
ほら、嫌だ。手早くその首にネクタイを巻きつけながら、雲雀の口元は嫌悪に歪む。
イルへのじゃない。しいていうなら自分への、か。何だかそれも違う気がしたが。
ちゃんと抵抗してくれればいい。こうして喉元をきつくネクタイなんかで縛り上げられて、そうして息苦しさに目を細めて唇を引き攣らせて、そんな結果になる前に彼は逃げられるはずなのだ。否、少なくとも暴れるくらい可能だろう。
なのに、そうしない。
だから、いやだ。嫌いだ。
「ッ、くる、しっ……」
「……なら、早いトコ意識飛ばしなよ」
「……っ、」
無茶言うな。そう言いたげに滲み細くつった瞳がこちらを睨んだ。
両の手に力を込める。手加減はできない。
一瞬でも気を緩めたら、この喉元は酸素を取り戻す。
「……ぃ、……」
呼ばれたような気がして、顔を上げた。いつの間にか目線を下げていたらしい。
奇妙な感覚だった。呼ばれた?誰に?何と?
眼下、ぎりぎりとネクタイを手のひらに食い込ませて引く雲雀の影の内で、もがいていたイルの指先が伸びた。
驚く。
伸びた指先の意図よりも、まだ自分の意志で動かせるだけの意識があった事に。
「……て、」
何と続いたかはわからなかった。ついでに言うと「て」と言ったかも疑わしい。
イルの唇は色を失い動かなくなっていた。その目から光が失せていく。
だが雲雀は目を閉じて、「……わかった」とだけ呟いた。
ヒュウッと、微かな隙間風みたいな音がした。
目を開ける。慣れきった心は静かで海のように凪いでいた。
凪いでいた、つもりだった。
「……イル」
呻くように呟いて、雲雀は力の抜けきった指先を拾い上げ口付けた。
慣れた、慣れたはずだ。こんな行為は何度も繰り返した、だから無意味だ。
こんなに心が痛む事も、取ったネクタイの下に浮かび上がる青黒い痕も。
このまま獄寺隼人か沢田綱吉か、そのどちらでもいいがどっちかの部下が来るのを待って、状況を手短に報告すればいい。
そうして死体の処理の手続きを引き受けて、その内に紛れ込ませたこの男を自分のホテルに送り込む。
実のところ動脈を押さえられ意識を失ったにすぎない、この男を。
馬鹿げてるとはわかっていた。
だが何にして馬鹿げているのは、そんな手の込み入った隠蔽工作までしてみせて、沢田達の目をあっさり欺く自分の感情の方だった。
「……ねぇ」
もう意識の無い閉じた瞼に、指を伸ばす。
「……嫌って、言いなよ」
そうしたら僕も、君を手放してあげられるのに。
嘘ばっかりと嘲笑った自分の頭の片隅は無視して、雲雀はどこか荒んだ瞳で、抜き取ったネクタイを内にしまった。