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そう、これは

 雲雀がいた。夕焼けに身を委ねるみたいに、屋上のフェンスにもたれかかっている。
 学ランの黒が強烈なほどにくっきりしていた。陽の赤と完璧なコントラストを成している。

「あれ、また来たの」
 そう言って笑った口内も黒く見えた。三日月形に動く黒色。
「ごめん待ったあ?そこで元カレと出会っちゃって」
「君、よく毎度開口1番にそのフザけた芝居できるよね。しかも毎回違うパターン」
「服に悩んでて遅くなっちゃったバージョンの方が良かった?」
「フェンスの向こうから特攻仕掛けてくるバージョンはないの?」
「それどんなラブシーンだよ。むしろただのアクション映画」

 相変わらず面白みのない相手をよそに裾を払う。黒曜の制服はすぐに白っぽい埃が目立って仕方ない。

「今日、あの人は?」
「仕事。部屋にこもってパソコンと見つめ合ってた」
「新しい愛人か」
「パソコンだけじゃないよ。しょっちゅう書類とも浮気してる」
「不誠実だね」
「お前もそんな感じじゃないの」
「僕は書類に一途だからね」
「デジタルの食わず嫌い」
「何それ。どういうこと」
「せっかく人がオブラートに包んでやったのに。つまり、ただデジタルが苦手なだけだろ?」
「何言ってんの?アナログが好きなだけさ」

 やり取りの中身がくだらないのは定番だ。

「そっちこそ、今日見回りは?」
 雲雀の顔付きが微妙に動いた。まるで余計な考えを顔の奥に押し隠すみたいに。
「草壁たちが行った」
「恭弥は行かなくていいの」
 珍しい。毎日自ら率先して見回りをしているらしいと骸から聞いていたのに。
「……君が来るから」
「は?」
 目を瞬く。予想外の返答に切り返しを忘れた。
 雲雀はフェンスに背中を預けて、ちょっと首を傾けこちらをじっと見ていた。さながら絵画のように。
 赤黒い夕焼けに包まれて、影の落ちる傾けた無表情。それこそ映画のワンシーンのような。

「君が寂しがるから」

 口を開いて、雲雀が今度ははっきり言った。

「……は?」
「君が来ると思ったんだ。なのに僕がいなかったら、君が寂しがるだろう。だから」
「いやいや、何それ」
「だから、待っててあげたんだ」
 この時間まで、わざわざね。雲雀がニヤッとして腕を組む。
 まるで名案を思い付いた子供みたいに、急に偉そうに胸を張られて思わず笑った。
 なんだこいつ。

「俺別に寂しくても死んだりしないんだけど」
「当たり前でしょ。君はウサギみたいに繊細じゃない」
「いやそこはあってるだろ。俺触れれば壊れちゃうような繊細なハートの持ち主だし」
「はあ?」
「その完璧に人を嘲笑う薄ら笑いの仕方はやめろ」
「さて、とっとと始めようか」
「急に戦闘モードに入らないでよ恭弥さん」

 振り被られたトンファーに、夕陽の光が白く赤く反射する。目に痛いほど強く。

「ほら始めるよ。準備はいい?」
「セリフはこんなに可愛いのにやろうとしてることは凶悪だもんな」
「何ブツブツ言ってんの?徹底的に咬み殺してあげる」
「おうおう来てみろ、俺を甘く見てたら怪我するぜ」
「よくそんな恥ずかしいセリフ口にできるね」
「間違っても『咬み殺す』が口癖の奴に言われたくない」
「そのお喋りな口を二度ときけなくしてあげるよ」
「そう殺気立つなって。ほら行くぞ、せーの、」






 銃声が痛く痛く響いた。
 止まった時を動かす合図みたいに。


「……君……!」


 煙の向こうで、黒い瞳孔が極限まで開く。
 ゆっくり傾いていく視界に、その唇が動くのが見えた。


「……弾倉を、外して……!」


 笑う。視界の端で赤色が尾を引くように飛んでいた。
 毒々しいほど鮮やかなのは、きっと血が新鮮だから。だっけ。





 これは、恋なんかじゃなかった。
 出逢った屋上で全部が輝いて見えたのも、あの青空が目に焼き付いたのも、何気ない会話がいとしくて仕方なかったのも、会えるだけで楽しかったことも。
 15の時びりびりに破り捨てた黒曜の卒業証書も、ディーノのためだけに生きようと誓ったのも、情報収集を名目に『エルザ』を演じ始めたのも、一度も日本に行かなかったのも。
 20の時再会して、その切れ長の瞳に、すらりと伸びた体躯にあどけなさの抜けた顔立ちに変わらない声音に目が熱くなったことも、



 そう、これは恋なんかじゃなかったのだから。



 空っぽの銃が、がしゃんと落ちる音がした。
 はじめから弾なんて入ってなかった。弾倉は抜いてあったんだから。



 もし、これが恋だと言うのなら。
 きっと、今自分は世界で1番残酷で幸せな返答を返したのだろう。







 10年前、恋をした。
 世界が全て輝いて見えるような、そんな初恋を。