やわらかな日常
「最近、キメラと仲が良いらしいな」
突然廊下で声をかけられたと思ったら、これだ。
「……耳敏いな」
「ここ数日間、姿をあまり見ないと思ったらそれか」
僕の発言は綺麗にスルーらしい。
まあいつものことだ。もう慣れた。
ペタは片手になにやら分厚い書類を持ち、金色の目を不機嫌そうに細めている。漆黒の夜空を背景に浮かぶ黒服は、そのまま闇に溶けてしまいそうだ。
「…で、僕に何か用か?」
「別に」
特になにも無い、とペタが口を閉ざす。
沈黙。
何も無いならさっさと立ち去ればいいのに、なぜかペタは書類を持ったまま動かない。
同じく振り返った体勢の僕もなんとなく動けず、お互い見つめ合う格好で停止した。
……ん?見つめ合う?
えっと、んん?
金色の目から、視線を外すことができない。
やたら自分の心臓の音が耳につく。
視界の端、ペタの腕から書類が滑り落ち、その手がこちらに伸ばされたのが見えー。
「2人とも何してるの?」
「っわあっ?!」
どっから湧いてきた白髪司令塔!
僕とペタの間、ひょっこり割り込んできたファントムはにこにこしながら超楽しそう。そうか良かったな、ところで僕は心臓止まりかけたんだが?
「…ファントム」
「こんな所で立ち止まって、2人ともどうしたの?」
まばたきを繰り返すペタに、再度同じ質問をするファントム。
…あれ、ファントムから妙に魔力が拡散しているように見えるのは、僕の気のせいなんだろうか。
「……わざと、ですね?」
「ペタがそんなに早く手を出すとは、思わなかったなあ」
確信めいた声音で、すっと目を細めるペタ。
語尾にハートマーク付きなわりに、なぜか目が笑っていないファントム。
…やばい、どうしよう。
状況が全く読めないこの感じ、僕には非常に覚えがある。
「…だいたい、あなたは書類終えられたんですか?」
「ううん」
素敵なハートマークだ。思わず僕も感心する。
ペタの口元が引きつったのがはっきり見えた。
「書類よりも、部下の統率取る方が大事かなあ、と」
「…おっしゃる意味がわかりませんが」
「僕もわりかし本気なんだ、って言ったら?」
…これは何かの暗号なんだろうか。
僕は呆然と目の前のやりとりを見つめる。
「…本気で、言ってるんです?」
「うん」
散る魔力。対峙する両者。
…間違いない。僕の気のせいじゃない。
2人の全身からかなりの魔力が放出されている。
え、なんで?
「…横取りはよくないと思いますよ」
「最初に目を付けたのは僕だと思うんだけど」
確信した。これは暗号だ。
じゃなきゃ同じ言語を話してるはずの僕に意味が通じないワケがない。うんそう、これ何か別の伝達手段。
…だよね?
「今回ばかりは申し訳ありませんが、お譲りする事はできません」
「僕も右に同じかなあ。そもそも欲しい物に妥協したりなんてしないけど」
「…どうするおつもりですか?」
「ふふ、どうするつもりだと思う?」
「2人して、何をやってんだ」
穏やかな声と笑みのわりに、なぜか恐怖を感じる目の前の現状に、僕が泣きたくなった、その瞬間。
「キメラぁ!!」
「うわっ、なんだノアっ?!」
勢いよく反転、僕は目の前の体に抱きつきにかかる。
良かった、神さま今だけ感謝します、本当にありがとう…!
「…キメラ」
「あれ、キメラ」
「2人して何を…で、ノアはどうしたんだ」
「た、助かった…大好きだ、キメラ…」
「っ?!」
頭上で息を呑む大きな音が聞こえたが、僕はかまうことなくぎゅうぎゅうと抱きつく。
うん良かった、やっぱり友達は最高だ。
「…ふーん…キメラ、君も、ってとこかな?」
「…同性はハンデが過ぎるな」
「は?2人して何言って…ていうか離れろノア!くっつくんじゃないよ!」
「嫌だね!キメラ、僕といっしょに部屋に帰ろう!てか帰ってくれ頼むから!」
「…へーえ、なるほどねぇ」
「…そうきた、か…」
「ちょっと待てなんで真顔なんだ2人は、でお前はいい加減離れろノア!ええい!」
「嫌だ!絶対離れないからな!!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ声が響く廊下。
後ろでなぜか殺気を放つペタと腕組みをしてにっこり微笑む司令塔の前、
わめきつつも頬を赤らめるキメラのローブに包まれて、僕はいつの間にか、心の底から笑っていた。
『やわらかな日常』
そう、心の底から楽しかったんだ。