Ahh...?
■ ■ ■
「何怒ってんの?」
「俺と後輩のせっかくのスキンシップ時間を邪魔された」
「そんなヒマあるならそこの書類に判押して。ほら早く」
バサッと膝に紙束が降る。全く、気遣いも何もあったもんじゃない。
ユイは小さく息を吐き出し、応接室のふかふかソファから勢いを付けて腰を上げた。同時に膝から滑りかけた書類の束を器用に受け止め、部屋の奥へと足を進める。
「……あのさ、雲雀」
「なに」
この部屋の主、応接室の机を堂々と占拠する同学年の風紀委員長――雲雀恭弥が、いぶかしげにこちらを見る。回転式の椅子に深々と腰掛けて、まるで自分がこの学校の王だと疑っていないような顔付きだ。
む、とユイは眉を寄せる。それからバンッ、と空の方の手で机の表面に思いっきり手を叩きつけてやった。
雲雀とは長い付き合いだ。他人からよく言われるのはいわゆる「幼なじみ」、物ごころ付いた時から一緒にいるのが当たり前で、雲雀の隣を疑いもしなかった。今となっては信じられないが、雲雀と手を繋がなければ外へ行くのも嫌がったような記憶すらある。
そう――全ては遥か昔、雲雀とここまで仲が悪くなる、その前までの。
「お節介焼くのも嫌だし、特にお前に余計な口出しとかどーせ言ったって聞かねぇのわかってっけど、」
お前いつまでもそんなんじゃ、友達どころか後輩のひとりだって。
言いかけた瞬間、
くらり、目の前がいびつに眩んだ。
――は?
「っ、あ……」
「!ユイ、」
どさっ、という音は遠く聞こえた。
ひゅうっと鳴った喉に、やっとの思いで目を開ける。
「……あ……?」
「馬鹿じゃないの、だから言ったろ」
自分の体力くらい、ちゃんと把握しとけって。
ぽつり、呟いた雲雀の声が、やたら弱々しく聞こえた。
けれど焦点が合えば、頭上にあるのは随分苦々しげな顔をした雲雀の顔で、ああまたか、とユイは遠い意識で思う。
「ちょっと、早く起きてくれる?書類整理、終わってないんだけど」
「……すんませんでした」
くらくらする感覚は消え失せていた。雲雀の高飛車な言葉に苛立つが、こればっかりは言い返せもしないのでユイはしぶしぶ体を起こす。いつの間か抱きかかえられるように雲雀の膝に頭を乗せられていて、その距離間にまたイラッとした。
一瞬、離れゆくユイの腕を、雲雀の指先がためらうように追い掛けていって、
けれど、その一瞬で離れていった。
「検査を自分1人で仕切ったくらいで倒れるだなんて、本当に君は貧弱だね。これだから草食動物は弱くて困る」
「うるっさいな、別に倒れたわけじゃなくてちょっと目まいがしただけで、」
「薬」
「は?」
「薬。飲んだの?」
目まいを起こしてフラついた(断じて倒れたとは認めない)ひょうしに散らばってしまったらしい、床に舞っていた数枚の紙切れを拾い上げながら、ユイはくるっと首だけ回す。
自らの玉座へと引き返しながら、こちらを無感情に見る黒い目と目が合った。
「……ああいうのに頼ってばっかだからこの体質が治らないん、」
「よくわかった。飲んでないなら今すぐ飲め」
「は?」
「今すぐ飲めって、言ってるんだよ」
クルリ、椅子を回転させて、雲雀はまるで命令のように、一言一言区切りながら言い放つ。
ドサリ。椅子に深く腰掛けて、こちらを見上げる目は完全にいつもの雲雀だった。
「……あーあー、わかりましたよ」
吐き捨てるようにそう言って、ユイは仕方なしに上着のポケットに手を入れる。
そこから乱暴に小さなジップロックを取り出して、中に入っていた錠剤を取り出した。
白丸、ピンク、細長に粉状、色も形も様々な薬の数々を。
「……お茶、」
「要らない。そのまま飲めるっての」
何歳だと思っているのだ。
ごくん、お目当ての錠剤を一粒だけ飲み込んで、ユイはキッと雲雀を睨む。
ほら、これで満足かよ。そういう意図を目に込めれば、雲雀は瞼を下ろし、それからふいっと横を向いた。
「いちいち僕の手を煩わせないでくれる。迷惑だ」
「すいませんでしたね。以後厳重に注意します」
だったらさっさと風紀委員を解雇すれないいのに。イライラと背を向けながらそう思う。
ユイも別に進んで風紀委員をやっているわけではない。幼い頃からの習慣というか悪癖というか、両方の親がうるさいのだ。いつの間にやら仕組まれて、同じ学校に同じ委員と、一緒にいるよう強要される。
まあ最も、その行動の大半の裏は、「病弱なユイを雲雀に見張らせるため」というこっちの親の心得だろうが。
良い迷惑だ。そう思う。
もう俺も雲雀も15になった、互いに何も知らずに慣れあっていた年頃じゃない。だいたい雲雀はとっくの昔に自分を見張るような性格なんかじゃなくなっているし、むしろどっちかというとお荷物だろう。
並盛最強、そう呼ばれトンファーを振りかざすこの幼なじみにとって、自分は大嫌いな「草食動物」の1人と変わりない。そんなこと、もうわかりきってしまっているのだ。
「……ユイ」
「は、何?まだなんか」
「君は知らないと思うけど、」
ガタリ。主の消えた椅子が音を立てる前に、雲雀の姿が振り返った目の前にあった。
「え、」
「僕は、君が僕の知らないところで倒れたり目まいを起こしたり、それで誰かに触れられたり助けられたりしてると思うと、」
くい。
自然に、まるで当然のように顎を上に向けられる。
すぐ目の前には雲雀の顔。黒く鋭い、強者の瞳。
「すごく、ムカつくんだよ」
君に触った奴を、全員咬み殺したいほどに。
「……何それ」
はっ、と鼻で軽く笑って、ユイはパシッと雲雀の手を払いのける。
ああうんざりだ。こんな風にイラついた瞳で見られるのも、殺意に近い感情のこもった言葉を投げつけられる、そのことにも。
「そんなに俺の世話すんの嫌なら、幼なじみとか解消すれば?」
吐き捨て、ユイはぱっと背を向けた。そのまま一気に駆け出して、応接室の扉を開く。
ユイ、背後で自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、当然振り向きもしなかった。
そんなに嫌いなら、風紀委員なんて解雇すればいのに。
妙に目頭が熱くなる。目元を手の甲で強く擦って、ユイは廊下を突っ走った。
すれ違い幼なじみ設定。夢主は病弱体質。
1周年企画予定でした……。