渦巻く彼方
元が自由であればあるほど、捕らえられた獲物はその美しさを増すらしい。
半ば馬鹿げたことを本気で考え、ペタは視線を外した。玉座に腰掛けるファントムの横、その膝にぐったり頭を預けて寄り添う、虚ろな目をした少年から。
「……ペタ。ナナシとかいうあの男に、名前を呼ばれていたね。何かしたの?」
まるで猫でもあやすかのように、美しき司令塔は右手で少年の顎をくすぐる。
ぴく、と一瞬細い肩が跳ねたが、それ以上の動きはなかった。
「まったく記憶にありませんね。奴が何者かすら……」
広い空間に存在するのは4人だけだ。玉座に控えるファントム、対峙するペタにキャンディス。そして、苦しげに目を閉じ、浅い呼吸を繰り返す少年。
その頬と首、目に見える範囲だけでもかなりの面積を黒いタトゥの紋様に侵され、彼はただただ苦痛に耐えていた。
ぼんやり、その体が発光しているのは自らの魔力だろう。タトゥの侵食を抑えるために放出しているようだったが、いまやあまり役に立っているようには見えなかった。
「ああそうだ。明日は、シーも連れてってくれないかな」
「……は?」
一瞬、耳を疑った。今、何と。
「大丈夫だよ。じきに、」
まるで慈しむようにその頬を撫で。
「――彼は、堕ちるから」
ファントムは、微笑んだ。
△▼
思い出が多すぎた。
ぼんやり、そう思う。
はっきりしない世界は、何もかもが遠く現実味が無い。
『……シー』
呼ぶ声。
凛とした、それでいて、優しい声。
『アル!』
『どこに行っていたんだ、お前は』
『ちょっと花つみ』
『はなつみ』
アルヴィスが聞いたこともない言語を耳にしたような顔をした。
『どーしたその顔』
『お前が、花つみ』
『俺が花つみしてたらわるいのかよー』
男女差別って言うんだぜ、そういうの、と俺は笑って後ろ手に隠していた物を差し出した。
途端、アルヴィスがわかりやすく驚いた顔をする。
『……これ、は』
『この前アルがきれいって言ってただろ?だから』
これ、摘んできた。
そう言って白い花を差し出しにっと笑えば、アルヴィスは一瞬、呆けたように俺を見つめ、それから。
――ふっと、笑った。
『……ありがとう、シー』
『おおっ!珍しくアルがデレ期!』
『殴られたいのか?』
『すみませんっした』
『……!、シー!!起きろ……!』
『……う、あ、る……?』
『!!……シー!』
目を開ければ、真上にどアップで見慣れた瞳。
『?ち、かい……』
『は?』
頭大丈夫か。言われ、俺は瞬きをする。
あれ。一体、何が……。
『……すまない。シー』
『え……?』
『オレが……オレのせいで、お前まで、タトゥ、を……』
ぐしゃり。頭上を塞いでいたアルヴィスの顔が歪んで、俯く。
俺はわけもわからず、ただ肩に埋まる頭の重さと体温を感じていた。
青の代わりに視界を覆うのは、真っ白な部屋の天井。
『……かならず、』
『え、』
『必ず、オレが……お前のタトゥを消し去って、みせる』
ふいに顔を上げたアルヴィスが、真剣な表情で俺の右手を強く掴んだ。
『……シー!どこへ行く気だ!』
『やだなあ、俺の事そんなに心配?大丈夫、俺浮気はしないから〜』
『違う!ひとりで、お前は……タトゥの事もあるのに、』
『だーいじょうぶだって。な、アルヴィス』
そうだ、多分あの頃からだ。
6年前、第一次世界大戦が終わった瞬間。
ダンナさんが死んで、全てが突き放されるように終わって。
そう、あの瞬間から。
『生きてたらまた会お?じゃあなー』
『シー!!』
『アルヴィスにはベルもいるし、』
そう、あの日から。
『お前のそばにはさ、』
俺は。
『――俺なんかがいたら、いけないよ』
俺は、世界で1番焦がれた人から、逃げる事を決めた。