イチサンナナ | ナノ

箱根学園自転車競技部

「…ここが天下の箱学自転車競技部部室……」

尽八くんに連れられて来た部室棟…と思ったものは全部が自転車部のものだった。
流石は名門私立。
聞けば専用のトレーニングルームや室内ローラールームもあるらしい。
羨ましい。本当に羨ましい。

「…うちももうちょっと部費くれたらいいのに」

総北も自転車部に関しては千葉を代表する強豪校だが、そこは悲しいかな公立と私立。
総北が悪いってことではないが、より良い練習環境があれば練習効率は格段に上がる。

「何をぶつぶつ言ってるんだ?」
「いや、私立ってこんなに凄いんだって感動してるだけだよ」
「まあ、自転車競技部はうちの宣伝頭だからな!」

そうニカッと笑って、尽八くんは「連れてきたぞー!」と勢いよく部室のドアを開ける。
ちょ、まだ心の準備が…!と焦った私を出迎えたのは、当たり前に「彼等」だった。

「久し振りだな、唯」
「…ヨォ」
「よく来た」
「……どうも皆さんお揃いで」

隼人に荒北にトミーこと福富くん。
まだ正式に3年生は引退した訳ではないらしいが、実質は総北同様箱学も新チームとなり、彼らが主力となっているようだ。
部長はトミー、副部長には尽八くんというのが、箱学新体制らしい。
昨年のインハイ王者のプレッシャーを引き継ぐというのは、一体どれほど重いものなのだろうか。
――ああ、この人たちが私達…いや、違う。
裕介達総北の最大の壁となるのだ。

「試験どうだった?」
「楽勝。大体総北での成績の時点で仮合格もらってるようなもんだったし、形だけだよ」
「ヒュウ、唯は頭良いんだな」
「いや別に普通だと思うけど……隼人は苦手そうだね」
「食ってばっかで勉強しねェからな」
「それは言い過ぎだぞ靖友。ウサ吉の面倒もみている」
「それ勉強じゃねえヨ!」

尽八くんに促され、部室の中に足を踏み入れる。
顔馴染みの隼人達と会話するが…感じる。
とても感じる。
恐らく…私を知らない3年生や下級生を含めた他の部員の視線。
好奇と拒絶を孕んだ視線。
…気まずい、非常にきまずい。

「君が西山さんか」
「は、はい!」

声をかけてくれたのは、確か今年のインハイで箱学シングルゼッケン1番を付けていた人。
――現箱根学園自転車競技部、つまり、インハイ王者の部長である。

「西山唯です。お世話になります」
「そう畏まらなくて良いよ。俺は部長の伊東だ。…まあもうすぐ引退だけどな」

そう茶化すように付け足された言葉と共に差し出された手を、私は握り返す。
大会で見た時は厳しそうな顔をしていて少し怖そうに見えたけど、こうしてみると案外話しやすい人なのかもしれない。

「おら福富、仕切れよ」

握手を交わした後、伊東先輩はトミーに向かって言った。

「全員注目!」

伊東先輩の言葉に軽く頷き、トミーが号令をかける。
そこで初めて私は馴染み以外の部員と向き合った。
――たくさんの視線が、前に立つ私を射抜く。

「彼女は9月1日から正式にうちの部員になる西山唯だ」
「9月から千葉の総北高校から転校してきます、西山唯です。よろしくお願いします」

一歩前に出て一礼する。
一呼吸おいた拍手の後、口々に述べられる感想が耳に届く。

「部員…?マネージャーってことか?」
「マネージャーなんて1年がいるから必要ないんじゃ…」
「総北っていやぁ千葉のインハイ出場校か…」
「可愛いからいいんじゃねえか?」
「なんで福富さん達と仲良さげなんですかね?」
「…………」

ざわざわとした雰囲気と聞こえてくる声に眉を下げながら、私はトミーを見る。
…因みにトミーというのは、尽八くんが「福だけくん付けじゃ福が寂しがる!」なんて俄かに信じられない理由から決めた呼び方。
初めて電話越しで呼んだときは驚かれたが、何も言わずに返事してくれるあたり容認してもらえたのだろう。
そんなトミーは、私の視線を受けて口を開いた。

「西山はマネージャーではなく、選手としての入部だ。初の女子部員として、箱学の名前を背負ってもらうことになる」

その言葉に、一層ざわめきは強くなった。

「選手だって?」
「背負う…っていくら女子部員がいないからっていきなりユニフォームを着るってことか?」
「…いいよな、女子は」
「マネージャーしてくれないのか…」

…なんていうか、予想通りの反応すぎて逆に反応に困るというか。
私としては総北でもマネ業していたし、別に兼業でも良いんだけど――それはトミーが許してくれなかった。
そういう役割は、1年が担当することが毎年の決まり。
レギュラー選手は王者の名に恥じぬよう、ただ練習に集中するのみ。
そう言われて、私は改めて箱根学園自転車競技部の名前の重さを実感した。

「お前たち、うるさいぞ!色々と聞こえてきているが、唯を見た目で判断するな――というより、見て分からんのか」

そう尽八くんが言うと、再び部室内が静まり私に視線が集まる。
…そうだった尽八くん、次期副部長だった。

「唯は各地のヒルクライムの大会で優勝する、クライマーだ」
「!」

クライマー。
尽八くんの一言で部室内の空気が変わる。

「各々思うことはあると思うが、一緒に活動すれば色々と分かってくるだろう。それでも言いたいことは道の上で示せ」

では、解散。
トミーの一言で、部員達はぞろぞろと練習を再開する。

「ごめんね、わざわざ時間取ってもらって」
「新入部員なんだ、気にするな」
「唯、ユニフォームとジャージは言われた通りのサイズで注文してるからその内届くよ」
「ありがとう」
「こいつらと仲良いって本当だったんだな」
「あ、伊東先輩…別に仲良いって程では」
「俺達はまだこの夏に会ったばかりですけど、尽八とは仲良いですよ」
「俺は春からの付き合いだからな!で、唯はいつからこっちに来るのだ?」
「29日から寮に入るよ」
「では部活は…」
「うん、許可は貰ってるから引っ越してきたと同時に参加できる。だから30日からお世話になるかな」
「そうか…!」

私の言葉に、尽八くんが頬を緩ませる。
そんな私達に、荒北が少し刺のある声をかけてきた。

「なァんか普通に入ってきてユニフォーム貰っちゃってるけどォ?俺達まだお前の走り見てないしまだ注文は早いんじゃナァイ?」
「…荒北、唯は速いぞ」
「ハッ、速いと言っても走ったの1度だけなんだろ?しかもお遊びクライムだったらしいじゃねえか。どんなに大会で優勝してても…俺はこの目で見た物しか信じねえぜ?」
「………」

荒北の言うことはごもっともだ。
彼らはおろか尽八くんの目の前でも私はレースに出ていない。
あれだけ山だのなんだの言いながら、一緒に…目の前で走ったのは裕介の誕生日だけ。
そしてここは王者箱学――このあたりの自転車乗りなら誰もが憧れる名門。
毎日死にもの狂いで練習し、強者集まる部内で勝ち上がり実績を残す者だけが、そのユニフォームジャージを手にできる。
そんなものを、他に女子部員がいないからという理由で手にされるのは当然納得いかないだろう。
――私は示さねばならない。
この箱学の…王者箱根学園の名前を背負って走る力があることを。

「…分かってる。だから私、走るよ――見てて。私の走りを」

私は真っ直ぐ荒北を見つめて言った。
荒北はじっくりと真意を探るような目で、私を見つめ返してくる。
そして。

「…福チャン」
「ああ。次に西山がここを訪れる――30日。その日に、国道から海沿いを南下、天城原峠を越える市営駐車場までの120キロでレースを行う。参加は俺と新開、荒北と東堂を抜いた部員全員だ」

――レース。
しかも、平坦も坂も下りもある120キロ!
距離もそうだがこのあたりの地形を考えると、きっと中々きつい道のりだろう。
けれど…けれど私は、笑った。

「分かった!ありがとう!」

レース。レースが出来る。
120キロも。それも箱学自転車競技部の部員たちと。
――沸々と湧き上がってくる高揚感で、体が震える。
楽しみすぎて、どうにかなっちゃいそうだ!

「任命式の日にレースとはなあ」
「任命式?」

面白そうに呟いた伊東先輩に首を傾げる。

「箱学は毎年夏休み明けに次期部長・副部長の任命を行うんだ。そこで正式に新チームになる。3年は肩の荷が下りるんだ」

まあ部活には来るけどな、と先輩は笑う。

「今年は箱学初の女子部員も入るってことで新体制にするのを早めたんだ」
「え…」
「新入部員と新体制。同時スタートの方が効率良いだろ」

そんな所まで考えられていたのかと、素直に驚いた。
どうやら私が想像していた以上に、王者箱学に籍を置くことは覚悟がいるようだ。
そう私が息を呑んだとき、不意に携帯が鳴った。

「あ、お母さんからだ」

手続きが終わったらしいお母さんからのメールだった。
私は急いで荷物をまとめて、改めて皆を見る。

「手続き終わったみたいだから、とりあえず行くね。今日はありがとう!」
「気を付けて帰れよ」
「またな!」
「では30日に」
「ケッ、ニヤニヤ笑いやがって気持ち悪ィ」

なんか一言余計なのが混ざっていたような気がするけど、今は気にせず一礼をして私は部室を出た。
――見上げた空は青い。

「…次ここにくるときは、この青を一番高いところで誰よりも早く見たいな」

でもまず頑張るのは引越し準備だな、と苦笑いして、私は校門前で待つお母さんの元に向かう。
…ここまできて、ようやく転校という実感がわいてきた。
これから何もかもが新しくなる。
それが楽しいか楽しくないか――それは全て、30日に決まるだろう。
大事な…大事な始めの一歩だ。





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