イチサンナナ | ナノ


「唯!」
「すまないね、裕介くん。ありがとう」
「いえ、気にしないでください」

1時間前に出てきたはずの玄関に、今度は裕介と一緒に戻ってきた。
出迎えたのは、ほっと安心したような顔の両親。
じゃあまた、と裕介は軽くお父さん達と会話を交わしてから帰った。
残された私は気まずさと怒りと悲しさととにかく色んな感情が渦巻いていて、まともに彼らを見ることは出来なかった。
きゅっと拳を作りながら泣かないように俯くのが精一杯だ。

「………」
「話の途中で出て行くから驚いたよ」
「…ごめんなさい」
「いや、いい。先に言わなかった父さんも悪いからね」

先に言わなかった?
お父さんの言葉に、私は思わず頭を上げる。
ようやく話せるとお父さんは微笑みながら言う。

「唯。確かにお前には9月から他の高校へ転入してもらわねばならない」
「………」
「ただしそれはな、イギリスじゃなくて――箱根学園。神奈川の箱根学園だ」

――告げられた言葉に、勿論反応なんて出来なかった。


〜・〜・〜


2日後。
私は総北の制服に身を包みながら、お母さんと共に箱根学園を訪れていた。
転勤話自体があまりにも急だったので、今家の中はてんやわんやしている。
実際に向こうに行くのは9月の半ばだが、高校生である私はタイミング的に2学期が始まる9月1日の転校が望ましいとし、急いで編入の準備をすることになった。
今日は編入試験を受けにきている。
…まあ試験と言っても総北での成績は見せているし、このくらいなら問題ないと先生にも言われているので、ほとんど形だけの試験だ。
だから試験の後は、お母さんが本格的な手続きをしてくれる。

――まさか自分が因縁と良縁が絡み合った箱学の生徒になろうとは。
…あの日、私は何故転入先の高校を箱学にしたのかを聞いた。
その理由は至って簡単…そして、あの時飛び出した自分を恥ずかしく思うものだった。

まず第一に、一人日本に残る私がきちんと生活できるように住み慣れた千葉または近隣…関東圏内にある寮が調えられている学校であること。
そしてその次が――自転車競技部があり、私の好きな坂に恵まれているところ。
この条件を満たしていたのが箱根学園。
加えて私が友達に会いにいくと言って箱根に行っていたこともあって、迷わずここにしたと。
…ちゃんと、ちゃんと私のことを考えて決めてくれていた。
それなのに私は最後まで話を聞かずに、自分の感情だけを優先させてひどいことを言ってしまった。
だから、私はその分も箱学でしっかりやっていこうと思う。
勿論総北を離れる、金城くん、迅くん、裕介と離れることは本当に寂しいし辛い。
総北自転車競技部として、来年のインターハイを迎えられないのがすごく悔しい。
けど、ここで頑張るって決めた。

――本当に急な話だから、クラスの皆にはお別れを言わずに離れることになる。
総北で私が直接お別れを言えたのは、自転車部の皆だけだった。
金城くんも迅くんも2年生…手嶋も青八木も古賀も谷口も皆笑顔で送り出してくれた。
…まあ泣きそうになったし、誰とは言わないが泣きそうになってくれた人もいた。
皆には感謝の気持ちしかない。
ありがとう、大好きだよ。
自転車部として過ごした時間は短いけど、かけがえのない貴重な時間と仲間が得られた。
それはきっと、私の一生の宝物になる。
例え次会う時が…箱学と総北という敵同士だとしても。

因みに今住んでいる家は持ち家なので、無人にはなるがそのままにしておくことになっている。
機嫌は無期限だが、死ぬまで向こうで働くという訳ではないし、私がいつでも帰れるように。
たまには帰って掃除して、総北の皆に会いに行こう。
そんな計画が、今から楽しみだ。

「じゃあお母さん、手続きしてくるから」
「うん、分かった。私自転車部にいるから、終わったら連絡ちょうだい」

編入試験と制服採寸が終わり、採点のあと本格的な手続きに入る。
本来なら何日かかけてやることを1日でやるため、少し時間がかかるという。
ならばその間、ウチに来ればよい――そう言ってくれたのは言わずもがな、尽八くんだった。
彼には昨日の電話で転校の旨を伝えた。
とても驚かれたし、心配もしてくれた。
けれど喜んでくれもしたし、自転車競技部にも誘ってくれた。
――自転車競技部の入部に関しては、何より総北の皆との約束だった。

箱学みたいな恵まれたところに行くんだから、胸張ってロードに乗れ。

そう背中を押してくれた迅くん、金城くん…裕介。
そんなことを言われてしまえば、もう頑張る他ないわけで。
自転車の名門箱根学園――相変わらず女子部員はいないらしいけど、それは今と同じだし何とかやっていけるだろう。
…しばらくは大変そうだけど。
インハイ王者の中にいきなり女子一人が入ってくる。
物珍しさなら中々上はないだろうし、気に入らない者もいるはずだ。
自分の実力に関しては胸を晴れるから、なんとかそこを示していくしか道はないだろう。
認めてもらうまでは。

「お〜唯!」

そんなことを考えていると、聞き慣れた声に名前を呼ばれた。
声の方に顔を向けると、そこには走り寄ってくる彼がいた。

「尽八くん!」
「いや〜すまんね、遅れて。待たせたか?」
「ううん、全然」

手続きが終わるまで、自転車部について教えてくれるという彼はわざわざ私を迎えにきてくれたのである。

「じゃあ、行ってくるね」
「ええ、行ってらっしゃい」

そう私はお母さんに笑って、尽八くんの隣に立つ。
すると尽八くんが、不意にお母さんの方を向いた。

「尽八くん?」
「唯ちゃんのお母さんですよね?俺、2年の東堂尽八と申します。唯ちゃんとは巻島くん繋がりで仲良くさせてもらっています」

――突然そんなことを言い出した尽八くんに、私は目を見開くと共に何故かものすごく恥ずかしくなってきた。

「俺も自転車部で、他にも彼女と仲良いのが何人かいるんですけど…良い奴ばかりでみんな唯ちゃんが来るのを楽しみにしています。だから、安心してください」

それでは、また――そう締めくくって、尽八くんは私の手を引きお母さんに背を向ける。
な、なんだったんだろう今の…!
まさかあんなことを言ってくれるとは思わなくて本当に驚いたし、嬉しいやら恥ずかしいやらで頭が少しパニック状態だ。
しかもお母さんの顔!
すごく尽八くんを気に入った顔してた…!

「じ、尽八くんなんであんな…」
「何か変だったか?」
「い、いや変とかじゃなくてむしろ嬉しかったけど!」
「それなら良かった!いや大切な一人娘を置いて海外に行くのだろう?心配でたまらんと思ったのだよ、転校ということもあるし。だから安心して欲しくてな!」
「………」

ああもう、なんでこういうことをさらりと出来るんだろう。
出会ったその瞬間から、尽八くんはこんな風に何気なくすごいことを言ってのける。
本人が無自覚なのが最早余計に腹が立つ。
――けど。

「…ありがとう」

本当に、本当に嬉しい。
転校も新しい部活も、正直言えば不安だらけだ。
けれど、私がこんなにも前向きに頑張ろうと思えるのは、やっぱり彼の存在が大きい。
箱学生として、楽しい毎日が送れるだろう。
そう無条件に思わせてくれるが、尽八くんだった。

「尽八くん」
「なんだ?」

夏休みで人がまばらな学園内を二人で歩く。
少し先に、たくさんの自転車が見える。
多分あの建物が、自転車競技部の部室だろう。
ならばその前に、これだけは言っておきたかった。

「これから、よろしくね!」

そう笑いながら言うと、尽八くんは一瞬驚いたような顔を見せて――

「ああ、よろしくな!」

太陽の様な笑顔を返してくれた。




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