街は賑やかで明るくて、空は青くてとてつもなく高い。
貴方と一緒に白い雲を眺めながら歩くと空気が冷たく私の体内に入って来て身体が光を拒絶するように痺れた。
貴方と歩くそんな時間が、大好きで大嫌いだった。
常に笑ってるように見える見慣れた貴方の横顔も、大好きで大嫌いだった。



慣れた景色と崩れた日常




夜中から明け方までのバイトが終ると眩しい太陽が私の身体を照らし始める。

黒かった空が段々とその黒い色を消していくように白くなり、そして淡い赤が白を覆い尽くした後、薄い水色が空を染めて夜が明けていく。


その時間帯はいかがわしい店の看板のネオンも消え始め、私には生涯無縁であろう風俗店で働く女性もまた仕事が終わって帰宅し始め、静かな朝は少しだけ賑やかになるのだが、この光景ももう見慣れてしまった。


そんないつもと同じ光景の中に、相変わらずいつもと同じ見慣れた人の姿が見える。
私の仕事が終わると、いつもあの人は私の前に現れ、その緩い笑顔を見せてくるのだ。

「名無しちゃん!お疲れ様」
そう手を小さく私に向かい振りながら明るい声を夜明けの澄んだ空気に響かせながら、此方へやってくると目の前の私を見下しもう一度“おつかれ”とその柔らかい声で言った。


彼と付き合い始めてからというもの、ずっと彼は私のバイト終わりに必ず私を迎えに来てくれる。

「わざわざ来てくれたの?」
「え?あー…いや、ほら、俺も今仕事終わった所だからさ!」

此処に彼が来るのはいつもの事であるのだが、私は何となくそう問いかけると彼は少し動揺しながらへらへらと笑い、小さく頭を掻いてみせた。

そんな彼の顔を見て、今日も仕事帰りなんかではなくわざわざ迎えに来てくれたのだと悟った私も小さく笑ってみせた。


「じゃあ、帰ろうか。送るからさ。」
「うん」

そう言うと彼は何て事ない顔をして私の手を取って優しく握って歩き出す。
大きな暖かい手を握って歩く朝方は実に幸せで、この幸せは家へ帰れば終わってしまうのだと考えると無性に心が虚しくなる。

朝の冷たい空気の中に委ねられた私の身体の中で唯一、左手だけが暖かい。


しばらく歩いていると眠っていた人々が活動をし始め、仕事へ向かうサラリーマンや、会社へ向かう車の数も少しずつ増え、街はだんだんと賑やかになっていく。
これも見慣れた光景だ。

そんな街を歩きながら手を繋ぎ私の家へ向かうのもいつもと同じ。
触れる手も、暖かい彼の体温も、静かな空間に微かに聞こえる自分の呼吸音もいつもと一緒。

緩やかに流れる時間と、柔らかい幸せが私の心を包んでくれるいつも通りの慣れたこの時間が私はとても好きなのだ。


特に何を話す訳でもなく歩き慣れた道を二人で進んでいると、私の隣からいきなり携帯の大きな着信音が鳴り響く。

そんな鳴り響く彼の携帯に一瞬ビックリして彼の方を見た瞬間、彼は私と繋いでいた手を咄嗟に離し携帯を取り出した。

ゴメン、なんて小声で言いながら電話に出ると携帯の向こう側から微かに女の人の声がする。


へらへらとしながら話す彼の横顔を見ながら私は小さく微笑んだ。
他の女と話していたとしても、彼が笑顔で居る事が嬉しいのだ。
彼の笑顔が好きなのだ。
それでも、それでもどこか息苦しいように胸の奥が締め付けられる。

どうせ仕事で行ってる風俗店の女なんだろうなんて分かっていても、割り切れない面倒な感情が私の中のも存在していた。
ただそんな鬱陶しい女だと彼に思われたくないし、私自身もそんな面倒な彼女で居たくない。

だから私は携帯に向かい笑顔で話す彼を何も言わずに見詰めていた。


彼が電話の向こう側の女性と話し終わると携帯を仕舞い込み、再び"ごめんね"と言って、ゆっくり私の手を握った。
その手の暖かさは先程と何ら変わりはしなかった。

「仕事で行ってるお店の人?」
「ん?んー、まぁそうだね。」

ばつが悪そうな顔をしながらも彼は私を見て苦笑いにも似た微笑みを見せる。
そんな私は今までの電話の事など気にしていなかったように言葉を紡ぎ、彼の横顔をそっと見ながら歩みを進めた。

「そっか。今日は仕事入ってるの?」
「どうかな、急に取材が舞い込むかもね!」

やはり私の前で仕事の話がしにくいのか、誤魔化すようにそう言いながら私に笑いかける彼の声は相変わらずどこか抜けたような声で、あはは、なんて笑うと彼は左手で頭を掻いた。


そんな事をしているとあっという間に私のアパートに着き、アパートの前まで来ると彼はゆっくりと手を離す。
その一瞬で、彼の体温が私の身体から消えた。


「じゃあ、また」
そう言いながら私に向かい手を振っている彼の笑顔を見ながら、私も"またね"と言い手を振り、アパートの階段を上って部屋の扉の前まで歩くと、冷たい風がブワッと吹いて私の身体を撫でる。

風の冷たさに妙な心地良さを感じながら鞄の中の小さな鍵を探しつつ、私はふと目線を下の方へと向ける。

二階にある私の部屋のドアの前の廊下から下を見てみれば、まだ彼は同じ場所に居て、二階に居る私を笑顔で見ていた。

そんな彼に再び小さく手を振ってから鞄の中から取り出した鍵を使い部屋に入ると、その瞬間に深い暗闇に突き落とされたような気がした。


薄暗い部屋も、誰も居ない空間も、肌寒い空気も、全てが私の心を虚無に突き落とす。


先程まで彼と居た少しの時間がまるで幻だったかのように淡い記憶に変わっていき、今は目の前にある暗い部屋という現在進行形の時間に捕らわれた気がした。

さっさと電気を付けて部屋を照らし、24インチの真っ黒な淵をしたTVを付けてしまえば、真っ暗で虚しかった空間もまた淡い記憶に変わっていく。


私は何てことない朝のニュース番組を眺めながら冷蔵庫から500mlのペットボトルを出して中の水を一口だけ飲んだ。

水は嫌という程に冷蔵庫で冷やされていてとても冷たい。
身体に染みわたる冷たさが妙に心地良かった。


それから私は小さなビニール袋に押し込まれた無数の薬を取り出して、その冷たい水でそれらを一気に胃へと流し込む。
胃に流し込んだそれらは、白と水色とオレンジ色が実に鮮やかだった。

その後直ぐに買い置きしておいたコンビニのお弁当を冷蔵庫から取り出し、詰まらないニュース番組を見ながらそれも胃に押し入れた。
一気に胃へと押し込んだ食べ物は私の腹を圧迫するようで、器官を逆流してきそうな感覚がする。


私は慣れた足取りでトイレへ向かうと、これまた見慣れた真っ白な便器が私を迎えるように居座っている。
ゆっくりしゃがんで下を向くと、先程押し込んだコンビニ弁当が形を変えて溢れ出した。

ゲホゲホと目の前のトイレの便器に向かって咳き込む私の顔色はきっと凄く悪いのだろう。
胃の中からせり上がるものを吐き捨てては咳き込み、吐き捨てては咳き込み、それを続けていたら家の外はもうだいぶ明るくなってしまった。


事を済ませて部屋へ戻れば太陽の光がフローリングの床を照らしていて、その光がゆっくりと私まで伸びてくる。

あぁ、鬱陶しい、そう思いながら私は素早く窓まで歩いていき濃い紫色をしたカーテンをバッと素早く両手で閉めた。


その瞬間に、先程まで私とフローリングを照らしていた鋭い太陽の光が遮断され、人工的な白い光だけが部屋を照らす。
私はその白い光を放つ電気の光さえ鬱陶しく感じ、ゆっくりと壁に付いた電気のスイッチをオフにしてベッドへ倒れ込んだ。

帰って来た時は真っ暗なこの空間が恐ろしく感じていたが、今はもう暗闇の方が落ち着く。
私は唯一光を放つTVをベッドに寝転びながら眺め、興味の無いスポーツニュースの映像をただただ見ていた。

昨日野球の試合が行われたのか、その光景を流しながらアナウンサーが試合の結果を読み上げている。

興味の欠片も無いその野球の映像を見ながら、彼の事を思い出し、あぁ今は家に居るのだろうか何て事を思いながらゆっくりと瞳を閉じた。


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