桜の花びら三四枚


何度も助けてくれた遡行軍───否、彼女が折れてしまえば存在できなくなるため助ける以外に手段がないそれが久々に目の前に現れて、一瞬思考が停止した。新撰組についてのいざこざですっかり頭から抜け落ちていたからでもあるだろう。


「お前……!」


しかし、何度も窮地から救ってくれたからと言って『遡行軍』を見逃していい理由にもならない。
加州の声にハッと我に帰った紬は、少なくとも味方ではないのだからと勢いよくそれに刀を振ったが、惜しくも避けられてしまった。そのまま体勢を変え、裏庭の方角へ走りだしたそれを瞬時に追いかける。


「───っ待て!」

「あっ、おい!」


一階にいた遡行軍を流れるままに斬り捨てながら一番奥の部屋を通り抜け外へ飛び出したそれは、かなりのスピードで塀を飛び越え屋根へと上がった。ありえないほどの機動力を見せつけられたせいで、あれは本当に自分なのだとますます思い知らされる。
出陣してからずっと走り続けて体力も底をつきそうな紬にとっては、流石に厳しい障害物だと縁側で足を止めかけたそのとき。


「───ここはボクに任せて」


ふと、加州清光ではない見知らぬ声が横から聞こえた。
白藍色の髪は月明りで銀のようにも見える。女の子だろうか、一瞬だけ見えたぱっちりした印象的な露草色の瞳は、しっかり紬の姿を捕らえていて、にこりと微笑むと屋根に飛び上がっていった。次から次へとやってくる問題に頭が回らずその場に立ち尽くす。
しかしこの時代に似つかわしくない洋装で、刀を携えていたのがちらりと見えたため、自分と同じ存在なのかもしれないと直感した。


「……じゃない。さっきので1階の遡行軍はもういない。早くみんなと合流しなきゃ───」

「───御用改めである!」


納刀をして、2階にいるであろう彼らの元へ戻ろうと廊下へ出ようとしたとき、出入り口の方から聞いたことのある声を耳にした。このタイミングで歴史通りに討ち入りが始まったのだ。
紬は咄嗟に死角まで下がるが、このままでは不味いことになるのは考えずとも分かった。この部屋は一番奥にあるため、部屋に入られさえしなければ出入り口からはほぼ見えないだろう。しかし問題なのはその反対側で、裏庭に回った隊士に見つかってしまう可能性があるということだった。
動きを封じられた紬は仕方なく近くの押し入れに忍び込む。


「(よりによって一階……)」


一層騒がしくなる声の中、紬は無意識で藤堂平助の声を聞き分けてしまう。


「(ああほんと、こんなところでやり過ごさなきゃいけないなんて……)」


耳に入る声と一緒に、あまり思い出したくないあの日の光景が思い浮かぶ。聞かないようにしようと意識すればするほどそれらは耳に入ってきて、彼女は思わず顔を歪めた。
こんなとき誰かが隣にいてくれればきっと心強かったのに、なんて弱気な思考に至り、自分らしくないとそんな感情を振り払う。そして大きな溜息を溢すと、刀を左にそっと置き抱えた膝の上に突っ伏したまま、彼女は時が経つのをただただ待つのだった。







「……あれ、紬は?」


歴史通りに討ち入りが始まり、役目を終えた刀剣男士はそのまま池田屋の屋根へと避難していた。早めに退散していた長曽祢虎徹、大和守安定に続いて、和泉守兼定、堀川国広が合流。あとは一階に下りた残りの2振りが戻ってくれば帰城できる手筈だった。
しかし遅れて戻ってきたのは加州清光だけで、そこに彼女の姿はない。


「……え?裏庭からこっち来てないの?」

「来てないよ。裏庭は上から見張ってたけど、変な奴らが建物から出てったのしか見てない」

「は、まってどういうこと……じゃあまだ中?」

「……ったく、何やってんだ紬は……」


加州は裏庭へ向かって逃げた遡行軍を紬が追いかけていったところまでしか見ていなかった。そのまま裏庭から出れば合流できるだろうし、追いかけたのなら既に池田屋からは出ているだろうと踏んで、そのまま後を追うことをせず違う場所から屋根の上まで戻ってきたのだ。だから大和守の返答に加州は更に首を傾げることとなった。


「吹っ切れてたみたいだから心配いらないとは思うんだけど……」

「大方、鉢合わせないようどこかに潜んでいるんだろう……待つしかないか」


堀川と長曽祢の言葉に、大和守と和泉守は仕方ないなと頷く。


「……あのさ、そのことなんだけど───」


だから、そこで先程まで彼女と喧嘩していた加州が口を挟むとは誰も思いもしなかっただろう。







いつ誰に開けられるかも分からない押し入れの中で、次第に小さくなっていく声を聞いて、ずっと緊張し続けていたのか強張っていた体の力がふっと抜けた。そのまましばらくじっとしていれば、人の気配が遠くなっていく。そこでやっと池田谷事件が終わったのだと、つい安堵の溜息が零れた。
完全に気配が断たれるのを確認すると、静かに押し入れから出て丸まっていた背中をぐっと伸ばす。
あの場で何時間過ごしたのだろう。外を見れば空が少し明るくなっているのが分かった。


「……流石にみんな帰ったかな、」


それならば、感傷に浸ってから帰るくらい、許してくれるだろうか。紬はそう小さくぽつりと呟くと、裏庭から外へ出ることはせず、廊下へと足を向けた。そのまま歩いてきたのは中庭だ。
そのまま視線を下へ向けると、大量の赤黒い何か───致命傷を追った藤堂平助のものであろう血が、床に付着していた。
彼女はその場にしゃがみ込むと、もう既に床に染み込んでいて乾いているそれを指先でそっと撫でる。


「(……きみと、話が出来て本当に良かった)」


でなければ、きっとこうして前には進めていなかっただろう。
新撰組の行動パターンは当時の動きと少し変わってしまったけれど、結果的には彼を守れたのだ。藤堂平助の歴史を守り抜くことが出来たのだから、これ以上望むものはない。
しかしそう結論付けた彼女の左手首に着けられたピンクゴールドのチェーンがふと目に入り、そんな思考とは別に全く別物の感情がふつふつと沸いてきた。
出来れば思い出すことなく忘れたままでいたかったのに、どうしてよりによってあんな夢なんかみてしまったのだろう。
おかげで『私だけ』があの約束に囚われてしまっている。頭が、胸が、ぐちゃぐちゃして気持ちが悪い。


「───なに感傷に浸ってんの」

「!」


振り返ると、加州清光が立っていた。
本当に、よりによって、だ。
彼女は視線を加州から外すと、再び藤堂がいたはずの場所へ視線を戻す。


「…………みんなは」

「先に帰らせといた」


普段なら何でアンタは帰ってないんだと悪態をついていたかもしれない。けれど今はそれさえも言う気にはなれなかった。加州の言葉に返事はしない。
そのまま必然的に沈黙が訪れるが、重苦しい空気の中、口を開いたのは加州だった。


「……ずっと昔から思ってた。お前ってさ、平助の前だけでしか泣かないよね」

「……なに、突然」

「今だって苦しそうな顔してんのに、何で他の奴の前ではそんな強がってんのかなって」


泣きたいなら泣けばいいじゃん、と加州は静かに呟く。


「泣いたって……、弱さを晒したところで何が変わるっていうの……?わたしは、誰かをまもるための武器で、まもられるような存在じゃない……」


女だから、弱かったから、自分の主を守れなかったのだ。仕方ないね、なんて。そんな屈辱的なことを思われたくない。弱い者だと思われたくなかった。
だから泣くことは、彼女にとってはマイナスでしかないのだ。
加州は紬の横まで歩いてくると、彼女と同じように視線を床に落とした。


「涙を流すやつが必ずしも弱いやつとは思わない。アンタは十分強いし……かっこいいよ。昔からずっと」


彼の口から出た言葉を耳にして、紬はゆっくりと顔を上げた。何かの冗談だと思ったのに彼はいつになく真剣な表情で、本心なのだと早々に理解する。


「(アンタと平助のお互い信頼しあってる関係を見てどれほど歯がゆい思いをしたか、なんて……こんなことは口が裂けても言わないけど)」


けれど、彼女の中にある『自分がいる限り目の前の仲間の死を許さない』ことや『失いたくない、守るべき大切な人』が彼女の機動力の源全てで、それを守るためだけに必死に戦う紬が勇ましく格好いいし、そんな彼女に想われる平助が羨ましいと秘かに思っていたのも事実なのだ。
加州はそのまま彼女の隣にしゃがむと視線の高さを合わせた。お互いの視線が交わる。


「……だから、泣いてよ。アンタが強い奴なのは本丸の全員知ってるから、せめて俺の前では我慢なんてしないで、紬の本音聞かせて。平助に敵わないのは知ってるけど、……もっと弱いところみせてよ。」


俺だって、あんたのこと支えてやりたいの。なんて、まさかそんなことを加州に言われるとは思っていなかった。
けれど、思ってみればいつもそうだった。普段は喧嘩ばかりなくせに、紬が一番苦しいときに寄り添おうとしてくれるのはいつも加州清光なのだ。それに気が付くどころかその度に突き放してしまっていたのに、目の前の付喪神はそれでも最後には寄り添おうとしてくれる。
───けれど、そうではないのだ。だって、今苦しい思いをしている原因は藤堂平助ではなくて、目の前にいる『こいつ』なのだから。
それなのに、あまりにも真剣な顔で加州がそう言うから、じわじわと目頭が熱くなり徐々に視界が滲んでいくのが分かった。
本当に、不愉快だ。


「……んで……、なんで、あんたに、だれのせいで、こんな……、っ」


ぽつり、ぽつり、と言葉を零してしまえば、それはもう歯止めをかけることは出来ない。せっかく制御していたのに、抑え込んでいた感情は次から次へと溢れるのだ。


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