桜の花びら三三枚
藤堂を見送った紬が屋根に上がると、長曽祢虎徹を始めとした部隊全員が揃っていた。三条大橋での戦いを制した後であったため多少なりとも怪我を負ってはいたが、見たところ重傷者はいないようだ。 おかえり、と声をかける大和守に紬はこくりと頷いた。羽織が脱ぎ捨ててあったから何かあったのかと思って心配したよと苦笑した堀川の言葉に、そう言えば羽織を着ていないことを思い出す。 きっとあれを着たままだったら確実に藤堂には存在がばれていただろう。あの時咄嗟に脱いで正解だったかもしれない、などと考えていれば、突然彼女の目の前に浅葱色の羽織が差し出された。
「……ん、」
相手を見ればそれは予想もしなかった男士で、そんな彼の柘榴のような瞳と視線は相変わらず合わないままだが、ここに来るまでずっと持ってくれていたのだろうという事実だけははっきりと分かった。差し出されたそれを手に取る。
「……どうも」
「……やっぱあんたは、これ着てないと違和感あって変だから」
「ああもう清光!口を開けば捻くれたことばっか言って!もうちょっと柔らかい言い方できないの?」
「いやお前にだけは言われたくないし」
「やっぱり羽織着てる方が紬らしくて好きだよって清光くんは言いたいんだと思うから紬もあまり誤解しないであげてね!」
「ちょっと堀川!そこまで言ってないじゃん俺!そっちこそ誤解招くような言い方やめてくんない!?」
あの険悪なムードはどこへ行ってしまったのやら。
『───そんなに新撰組が嫌いで許せないならその糞な誇りごと捨てちまえよ!』
なんて言ってたくせに。……いや、だからこそ今の言葉だったのだろう。
「(……遠回しに訂正しようとしてんの、ばればれだっつの。)」
騒がしいのをよそに紬は溜息をついた。しかしその表情は暗いものではなく、口角は小さく上がっている。それを隠すかのように彼らに背を向けると、浅葱色のだんだら羽織の袖に再び腕を通し池田屋へと視線を向けた。
「(……清光もだが、こいつも大概清光限定で素直じゃねぇな……)」
だから、和泉守が呆れ顔で紬を見ていたなんて彼女は知りもしなかっただろう。
───さて。それはさておき、だ。歴史に残る戦いが今から始まろうとしている。そして歴史を守るために動いている彼らもまた、休憩する間もなく交戦しなければならない。それが歴史を守ると言うことなのだ。 紬たちは新撰組の討ち入りよりも先に、2階の窓から池田屋へ静かに侵入した。すると不定浪士が潜伏している一番奥の部屋を覗くように既に歴史遡行軍が新撰組を待ち構えていたのだが、幸運なことに廊下側ばかりを気にしてこちらに背を向けていた遡行軍たちは窓から侵入した紬たちの存在に気づくのが遅れた。すぐさま刀を抜いてそれに斬りかかれば、それは抵抗虚しく塵と化する。 始まりの結果は上々だ。それを合図に、6振は一気に別々の方向へと走り敵へ刃を向けた。不逞浪士が密会をしている1番奥の部屋とはだいぶ距離はあるが大きすぎる音を立ててしまえばすぐにバレてしまうだろう。だから最善の注意を払いながら静かに、そして迅速に。声を殺しながら確実に急所を突く。 そして息をつく間もなく、彼女を追いかけて後ろに迫っていた遡行軍の攻撃を瞬時に交わしすぐに間合いを取る。 こういう時北辰一刀流は扱いづらい、と彼女は刀を握り直した。
「(……きっと私は、平助くんのために無理して新撰組を嫌いになろうとしていただけなんだ)」
隊に裏切られて死んでいった彼が報われないからと自身に言い聞かせて。みんなのことが好きな彼はすぐに許してしまうだろうから、せめて自分だけは許してしまってはいけないと───否、きっとそれだけではない。彼女のたった一人の大切な人を奪われたという真実が思ったより悲しくて、怒りや憎しみに変換することで、自分の心の拠り所を他に作ろうとしていただけなのかも知れない。 ぞろぞろと、狭い部屋で戦闘するには不釣り合いな数の遡行軍が紬を取り囲む。近くにいた堀川は他の遡行軍と交戦しながら少しだけ焦ったような声色で彼女の名前を呼ぶが、紬は特に気にする様子もなく敵の一体を睨みつけていた。
『───みんなお前が"帰ってくる"のを待っているんだ!』
気持ち一つでやり直せると言うのなら。自身の感情に素直になっていいと言うのなら。答えなんて最初からあってないようなものだ。
「……女だからってあまり舐めるなよ。」
左の肩を引き、右足を前に半身に開く。刀は右に開き、刃を内側に向けた。───平晴眼の構え。 立ち向かってきた遡行軍の打刀に向かって彼女は早足で前進し、左足が前に出た瞬間を捉えて右足で踏み込んで相手を斬りつけた。
「(!……今のって天然理心流の左足剣じゃ、)」
彼女はすぐさま体勢を変えると、そのまま流れるように別の遡行軍の胸元へ這い上がるように迫って喉元を突き刺す。 元主は剣客と言えど指導を任されるほど優れた腕前を持っていたのだから、当然彼女が使えない筈がなかった。 室内戦、そして狭い場所で大人数を相手にする場合に圧倒的に有利な流派。そして彼女が使うことを拒み続けていた流派。 自然に逆らわず、天に象り、地に法り、以って剣理を極める。
「……私は、新撰組八番隊隊長藤堂平助の愛刀だ」
彼女を形作っているものが何なのか。それは言わずもがな、新撰組として活躍し、名を残してきた藤堂平助の姿なのだ。 紬は止まることなく、遡行軍を倒してはまた次の遡行軍へと刃を向ける。まるでそれは散っている桜の花びらのような、あまりにも不規則な動きだ。
「!……気付くの遅すぎ。一体どれだけ待たせたと思ってるの?」
「主役は遅れてくるって言うでしょ。にしても、ずっと色んなやつ待ってたアンタも中々に災難だよね」
「誰が主役だ馬鹿。ほんと機動以外のろまなんだから」
「一言余計だっつの。少なくとも安定よりは頭きれると思ってるから。沖くんより平助くんの方が賢かったし」
「はぁ?一言余計なのはお前もじゃん」
「うるせぇなお前ら!黙って殺れ!」
「「兼定が一番うるさい」」
手は動かしたまま、小声ではあるが紬と安定のいつも通りの言い合いが始まった。そして注意した和泉守が巻き込まれるのもいつも通りだ。 彼女がこの本丸にやってきてから当たり前になっていた一連の流れも久々なような気がして、改めて自分の判断は間違っていなかったかもしれないと、そう思うと少しだけ心が軽くなった気がした。
「!あっ、くそ!あいつ下に降りる気だ……!」
「私が行く」
討ち入りを待たずに新撰組を狙おうとしているのか、下の階に降りて行く遡行軍を紬は急いでそれを追いかけ、階段を飛び降りると同時に心臓に刃を突き立てた。 紬が池田屋一階の出入り口につながる通路を塞げば、残り少ない遡行軍はすぐさま身を翻して走り出す。どうでも外に出たいらしい。その中の一体が中庭へと乗り出す一歩手前で、そうはさせるかと後ろから頭を突き刺せば、一瞬でそれは弾けるように塵に変わった。 そして視界が開けると、よく覚えているあの場所が目の前に広がる。
『───私は平気、まだ戦えるよ。それに、一緒に帰ろうねって清光と約束したから、絶対にここで折れるわけにはいかないの』
『───っ!?平助くん危なっ───!!』
『───平助くんしっかり!っいやだ、死なないで!平助くん……っ!』
今から起きようとする出来事が、───否、彼女にとっては既に起きた出来事が突然フラッシュバックする。いくら彼がこの池田屋で死なないと分かっていても、やはり自分の大切な人が致命傷を負う姿は何度も見たくはないものだ。
「紬っ……!」
「……!」
だから、それが一瞬の隙に繋がってしまうのは避けられないことだった。彼女の名前を呼ぶ声と、それとは別の刺さるような殺気に振り返れば、刀の切っ先を紬に向けた遡行軍の太刀が既に目の前にまで迫ってきていた。急所を外せば破壊は免れるだろうか、なんて幾度となくやってきた窮地のせいで頭はやけに冷静だ。 しかし急に視界に飛び込んできたのは黒い衣装だった。そこから連想する相手は一人しかいない。
「っっぶな……!」
「……き、よ」
間一髪で敵の攻撃を塞いだ加州清光は、紬を背に相手と鍔迫り合いを始めた。いくら狭い廊下が有利な場所であろうと、力は太刀の方が有利なのは変わらない。焦った声色で、何ぼさっとしてんの!と言われ、今はしっかりしなければと紬は刀を持ち直す。 だが、あろうことか反撃に移ろうとしたその次の瞬間には、襲ってきていた遡行軍は既に姿を消していた。───否、鍔迫り合いをしていたそれが、突如、目の前で塵となって消えたのだ。
「……!?」
そして遡行軍がいたはずの場所で、加州とは別の黒が視界に入った。ぼろぼろの黒の羽織、赤の襟巻き、そして肘辺りまでの長い黒髪のシルエット。 例によって彼女の前に現れた『歴史修正主義者』の鈍く光る桃色の眼は、静かに2人を捕らえていた。
[ 36/110 ] ←|目次|→
|