桜の花びら二八枚


池田屋の記憶。
───時は、元治元年6月5日。

閑散とした夜の町───市中に突如として現れた光の膜から、6つの人影が姿を現した。
見慣れた地に降り立った紬は辺りを小さく見回して、生唾を飲み込む。
───平助くんが、まだ生きてた時代。そして、私がいち早く気が付いていたら、あんな大怪我なんてしなかっただろう日。
そう考えただけで小さく震えてしまう手を誤魔化すように、彼女はぐっと力を込めて刀を握った。


「……さて、どうする長曽祢さん」

「ああ、まずは敵の狙いが分からない以上、二手ふたてに別れて情報を探ろうと思う」


辺りを見渡す和泉守の質問に、長曽祢は頷きながら答えた。そうですね、と堀川や大和守も納得したように頷く。誰一人と言葉には出していないが、加州と紬を離して行動しようという考えが満場一致だったため、それは瞬時に決定した。
決まったチームは長曽祢虎徹、堀川国広、加州清光の3人と、和泉守兼定、大和守安定、上総介兼重の3人。全て長曽祢の指示によってすんなり決まる。


「俺達は一先ず池田屋へ行く。お前たちは隊士が狙われる可能性もあるから屯所へ向かってくれ。そうすればいずれ自然に合流できるだろう」

「分かった。もし何か異変があればはすぐ知らせる。……んで、俺達は気付かれないように隊士を護衛する、訳だが……紬、行けるか」


和泉守のその言葉で、ようやく加州以外の全員の視線が紬に集まった。彼のその言葉の意味は、考えずともすぐに理解できる。新撰組を陰ながら守り、不詳な自体が起きないよう見張る。それはつまり、紬の主であった藤堂平助も池田屋へ行くメンバーへと組み込まれている為、彼女の見える場所へいるということなのだ。


「……問題ない。」


もとよりその覚悟は出来ている。いまさら動揺したって仕方がないのだ。
紬はそう一言だけ呟くと、誰とも目を合わせずに、屯所がある方向へと体を向けた。
生温い風が頬を撫でて髪を揺らす。その妙な風が少しの不安を掻き立てるには充分すぎるもので、どこか気持ちが悪い。あの日もこんな風吹いていただろうか、なんて考えても考えるだけ無駄なことは分かっている。
はぁ、と紬は大きく息を吐き出した。


「よし、もしも何かあった場合は"この日"に通った道を通って互いに向かってくれ。行き違いは避けたい」

「了解」


それじゃあ後で落ち合いましょう、と堀川の合図でそれぞれ違う方向へと向かいだす。
和泉守に「行くぞ」と肩をぽんと叩かれた紬。
いつもならば、うるさいなぁ兼定のくせに、などと軽口を言い合いながら行っていたかもしれない。けれど今回ばかりは、彼女もとてもそういう気分にはなれなかったのだろう。


「……、」


静かにじっと見ていた加州の視線に気がつくことなく、彼女は黙ったまま和泉守たちの後を追うように走っていった。







人の気配に注意しながら慎重に屯所のある方へ向かうのは、和泉守兼定、大和守安定、上総介兼重の3人だ。


「敵の狙いが池田屋事件の阻止って大雑把な情報しか与えられてねえってのは中々に面倒だな……」

「そうだね。でも会談を成功させるために池田屋事件を阻止するのなら遡行軍は絶対に新撰組を狙ってくる筈だから隊を見守るのが1番手っ取り早いね」

「……必ずしも新撰組側に何かされるとは限らないと思うけど」


和泉守と大和守の会話に突如入り込んだ紬に、鳩が豆鉄砲食らったかのような顔で振り向いた彼ら二振り。余計な気遣いしなくていい、と溜息混じりに呟くと、和泉守が「わりぃ」と苦笑した。


「要は池田屋事件を失敗させる、ってより尊攘派の会談を成功させる事が1番の目的ってことでしょ。なら既に尊攘派に入れ知恵してるなんてことも考えられる。尊攘派は池田屋にはいないかもしれない」

「なるほど、その発想はなかったや……。でも最終的に狙われるのは新撰組だよね」

「そりゃ策が尽きたら殺すのが1番手っ取り早いに決まってる。……前回出陣した時はどうだったの」

「ああ、前回は単純に池田屋に忍び込んでやがったな」


彼女の質問に対して、和泉守は前回の出陣についての出来事を簡潔に説明した。


「ふーん……案外向こうも馬鹿じゃなさそうだからね。そう同じ手は───」

「し、誰か来たかも……!」


大和守が小声で彼女たちの会話を遮ると、紬と和泉守はすぐさま黙って耳を澄ます。確かに足音が聞こえた。それも複数だ。
今、彼女らが向かっているのは新撰組の屯所。つまり複数の足音は3つまでに絞られてくる。ひとつ、新撰組。ふたつ、不逞浪士または尊攘派の対立勢力。みっつ、私達に気付いた遡行軍。
しかしこれが新撰組ならば、彼女らが記憶している討ち入りの───動き出した時間とはだいぶ異なる。記憶が正しければ今頃、支度こそは終わっているもののまだ屯所でどう動くかの話し合いをしている頃なのだ。
対立勢力だとするならば、屯所へ向かっていく筈であってこちらへ向かってくる理由がない。返り討ちにあって逃げて来ない限り屯所から離れていくというのは有り得ない話なのだ。そもそも新撰組隊士が分散される前の、勢力が集結している時にわざわざ乗り込む度胸のある人間は、よっぽどの凄腕の集まりか、よっぽどの馬鹿かのどちらかだ。どちらにせよ、冷静さはかける集団に間違いはないし、複数もの人間が生きて帰れるほど新撰組も落ちぶれてはいない。
時間遡行軍であるのするならば、こちらもよっぽどの間抜けでない限り、こんなに足音を立てて向かってくる筈がない。自分たちはここにいて今からお前たちを狙いますよと言っているようなものだ。
可能性としてはどれもないわけではない。しかし、上2つならば。既に歴史が変わりつつある、という結果に至るためあまり該当してほしくはない。
建物の影に咄嗟に隠れた彼女らは、足音に耳を澄ませながら建物の死角から現れるだろう人影に目を凝らした。


「「……!?」」


まず視界に映ったのは、浅葱。───そう。残念なことに、彼女らが目にしたのは新撰組だった。
可能性としての1つが的中してしまったのだ。だが、驚くべきところはそれだけではなかった。


「取り敢えず四国屋へ向かおう、歳」

「まだ池田屋に偵察行ってる奴らから伝令来てねぇが……本当にいいのか近藤さん」

「四国屋にいないならすぐ池田屋へ向かえばいいだけの話じゃないですか。心配性ですね土方さんは」


先頭から近藤勇、土方歳三、沖田総司。他にも新撰組の隊士がずらりと列を作っていた。彼らが知っている顔ぶれ───あの日に行動していた面子が揃っている。
信じられない光景に、3人は息を呑んだ。目が離せない。


「どうして……何で全員、いるの……」

「……既に歴史が変わってやがんな」


大和守と和泉守は眉間に皺を寄せながら、通り過ぎて行った新撰組を目で追った。
それもそのはず。池田屋と四国屋へふた手に分かれてそれぞれ向かうという『歴史』が既に書き換えられていたのだから。


「…………な、い……」


そして、その異変はもうひとつ。
まるで放心しているかのように新撰組が通っていた場所をただ呆然と見つめていた紬がぽつりと何かを呟いた。その声に気が付いた大和守は「紬?」と首を傾げ彼女に声をかける。和泉守も不思議そうな顔で、彼女の言葉を待った。
だが次のその言葉は、先程の光景を見てとある事に気付かなかった2人には驚くべき内容となる。


「…………平助くんが、いない……」







「……は、意味分かんない……何で、」

「まずいな……恐らく既に歴史が違う方向へと動いている」


所変わって、長曽祢虎徹、堀川国広、加州清光のチーム。池田屋と、池田屋前の新撰組が待機する予定の場所が見える所で、彼らは周囲の様子をうかがっていた。
歴史上───いや、ここは彼らの記憶上と言うべきか、時間帯的にまだこの場へ新撰組が来るのは少し早い。そして池田屋の中には、密偵として既に潜入している隊士がいる。
本来はその密偵───諸士調役兼監察の山崎すすむが、池田屋近くの建物の影で待機している新撰組に合図を送り、乗り込むという流れである。
だからその建物の影に新撰組の待機がないこと、池田屋の窓が全て閉じられて中の状況が分からないことが、あの頃の記憶と合致していたため安堵したのだが、それも束の間だった。
1人だけ、いたのだ。建物の物陰に。


「よりによって……。……こうなってくると、紬が心配だよ」


───藤堂平助という男が。


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