桜の花びら二六枚
「───辛い思いしてんのはお前だけじゃねえ。ここにいる刀みんな、主がいたんだよ」
上総介兼重が初めて顕現されてこの本丸に来た日。今剣の散々悩んだと言う言葉を聞いて、あの日の大広間で和泉守兼定に言われた言葉をふと思い出していた。 気持ちを整理してくる。そう言って本丸から出た紬はどこに向かうでもなく、とぼとぼと万屋街の中を1人で歩いていた。 書物庫においてあった、新撰組についての本。油小路事件という藤堂平助が殺されてしまった歴史をこの目できちんと確認するために読んで以来、彼女は暇さえ見つけてはその事の始まりから終焉まで、事細かく書かれていた書物に一振りで目を通していた。だから彼女は知っていたのだ。近藤勇や土方歳三、沖田総司の末路や───『新撰組』の結末を。 でも、だからと言って、その組織自体が藤堂平助にしたことを許せる訳ではなかった。 もちろん、彼や紬の身近にいた隊の人間や刀剣たちが好きだった分、彼らも辛く悲しい思いをしていたことを知って、込み上げて来るものはあった。大切に思う主が先に旅立ってしまったのは……目の前で主の死を目の当たりにしたのは、彼女だけではなかったのだと。 けれどそれとこれとは話が別なのだ。紬はあの日起きてしまった出来事を、どうしても許してしまうことが怖かった。許してしまえば、彼の死は"仲間に殺された"ということ悲しい現実を受け入れてしまうことになるから。
「……平助くんならきっと、『何だそんなことか』って言うんだろうな……」
じゃあ仕方ねぇな、許すも何も近藤さんと新ぱっつぁんしか知らなかったんだから。俺はその思いが知れただけで十分だよ。……なんて言って、簡単に許してしまうだろう。1番長く、誰よりも長く彼の隣に居た紬だからこそ、彼が言いそうな言葉は痛いほど分かった。 ───だからきっと、もし彼が今目の前にいたら、そんな私に向けてきっとこう言うだろう。お前も許してやってよ。そんで紬だけは、俺の分までアイツらと仲良くしてくれ、って。 分かってるよ。全部、平助くんの言いたいことは。全部全部、私を心配してくれての言葉だって。自分のことは二の次で他の人ばっかり気遣う、いつだって優しくて、あったかい人だった。 そんな平助くんの想いから出来た付喪神は、当然君に似るんだよ。だから私だけは、私だけでも、優しすぎる彼を殺した『新撰組』を許してはいけないと。簡単に許してしまう彼に変わって、私が厳しくしていなきゃダメなんだってそう思うようにしていた。 ……怖いんだ、とても。もしも私が『新撰組』を許せていたとしても。そこに平助くんはいない。戻ってきてくれる訳でもない。 平助くんを置いて、私だけこうして2度目の刃生を過ごしている。藤堂平助という私の1番大切な主が傍にいない。それが普通で、当たり前になっていくのが怖い。 本当は何もかも、受け入れたくなかったのに。 ねえ。私は、どうしたらいい?───
「……あれ、紬じゃん」
気が付けば紬は、とある甘味処の前を通りかかろうとしていた。誰かに呼び止められて、考えなしに……否、違うことを考えるのに必死でどこへ行こうとしていたのか決めてなかったことにハッとする。聞き覚えのある……と言うよりは、つい先程激しく言い合いをした奴と同じ声の方を向けば、甘味処の前に出されていたベンチに腰掛けていた2人組を見つけた。
「……和さん、と……清光」
「俺はついでか。まぁいいけどさ」
「どうしたの紬ちゃん?ひとり?」
紬の今の主である九重和真の妹、そして沖田総司の恋人の生まれ変わり、ついでに言えばその隣に座っている近侍の加州清光と恋人同士である人物、九重和音がいた。 2人は突然現れた彼女に驚きながらも、何故こんなところにいるのかと首を傾げている。
「……和さんたちは、デート?」
「え、あ、うん?そうなる、かな……?」
「ちょっと和音、何で疑問形なわけ?どう見てもどう考えてもデートだし!」
「ごめんて清光。ここ外だから放して〜」
和音の言葉に反応した加州は口を尖らせながら、横から抱き着いていた。前に本丸へお邪魔した時と呼び方が違うな、なんて頭の隅で考えながら見ていれば、何か元気なくない?と相変わらず和音に抱きついたまま、紬をじっと見ている。
「……気のせいじゃない?」
「いや流石にそんな表情で言われても」
相手が相手だから、と必死に隠そうとした紬だったがそれも呆気なくバレてしまった。 せめて、嫌みとか暴言とかは抑えなければ。同じ相手でもウチにいる奴じゃないし、何ならこっちの清光の方が雰囲気柔らかくて優しい。やはり和さんの影響がデカイんだろうな。と、気付けば彼女はまた考え込んでいたらしい。加州の彼女を呼ぶ声で再びハッと我に帰る。
「……ふふ、取りあえず特に用事とかないならここ座ったら?紬ちゃんも何か食べよ?」
「あ、いや私は……何も持たずに出てきたから……」
「そんなの良い良い!こんくらいお姉さんが出したげるから。ほら、おいでおいで」
和音は優しく微笑むと、座っているベンチのすぐ隣をぽんぽんと叩いた。 催促されるがままに、紬は和音の隣に腰を下ろした。私たちも今来たばっかりだから、と言いながらメニュー表を見せてくれる。パッと見て1番気になった抹茶わらび餅に決めると、加州が近くにいた店員を呼び、それを頼んでくれた。
「……。……ねぇ、清光。特にこれと言って深い意味はないんだけどさ……池田屋の日にした『約束』って、覚えてたりする?」
「約束……?……ああ、池田屋の前だっけ。仲直りのこと?」
「?仲直りって?」
和音は加州を見ながら全く知らないと言う顔で首を傾げていた。そうか、その時確か和さんは……。と、恐らく加州と思っていたことは同じだったろう。
「あー、和音は熱出て寝てたから多分知らないと思うんだけど、あの人が池田屋に持っていく刀を俺に決めてくれた後、安定と大喧嘩したんだよね」
「え、何それほんとに初知り……」
「何で清光なんだよーとか、僕ばっかりお留守番とかやだーって。そんなこと俺に言われたって決めるのあの人なのに、そればっか煩くてこっちも結構ひどいこと言っちゃってさ。そしたら、もう知らないどこへでも勝手に行けよばーか!って……まさかそれが最後になるなんて思わなかったからなー」
「そっか……そんなことがあったんだ……」
「うん。でまあ紬の言う約束ってのが、任務から帰ったら謝りに行くのに一緒に付いて来てくれるって言ってくれたからさ、そんじゃあ約束ねーつって。はは、懐かし」
「でも喧嘩の内容は私も初めて知った。だから安定あんなに落ち込んでたんだ……ずっと元気なかったよ」
紬の言葉に反応したのか、和音が「えええ?そうか……?」と苦笑混じりに呟いた。何か今の主サマに似てた。
「それは紬ちゃんの姿も少なからず関係してたと思うけどなぁ私……あの時の姿、包帯ぐるぐる巻きで痛々しかったから」
「あはは、そんなこともあったね」
「あ、そうだよ紬!俺お前がそんなことなってたなんて知らなかったし、俺が帰ってきたときには既に折れてたなんてもっと思ってなかったんだから!泣いたよ!?」
「ははは」
「笑い事じゃないからね!……ていうか急にその話し出してくるなんてどうしたの。向こうの俺と何かあった?」
「いや、別に。アイツとはそんな昔話する仲じゃないから。…………何か思い出したらイライラしてきた……」
「やっぱ何かあったんだ……」
苦い笑みを零しながら、図星か……と呟いた加州。それと同時くらいだろうか、頼んでいた物が目の前に運ばれてきた。和音はあんみつを、加州は抹茶のカステラとソフトクリームがのったパフェを頼んでいたらしい。 周りを見ずに考え事ばかりして歩いていた紬は、余程心に余裕がなかったのだろう。よくよく辺りを見渡してみれば普段あまり通らない場所まで来ていた。ここの甘味処は初めてかもしれない。受け取った抹茶のわらび餅が入ったお皿は少しひんやりしていて食欲をそそる。 いただきます、そう呟いてひとつ口に頬張った。抹茶独特の苦味とわらびの甘みが口いっぱいに広がる。もちっとした食感を堪能しながら食べていれば、溶けてゆくようになくなってしまった。美味しくて、2つ目を頬張る。 そんな紬の様子を見ていた2人は安心したように自分の皿に手を付け始めたのだった。
「……聞かないの?何も、」
それから食べ終わるまで「美味しいね」とか「そういえばこの前さ、」なんて楽しそうに他愛もない話を始めた2人。そんな彼らの様子を見て疑問に思っていたことは、いつの間にか彼女の口に出ていた。 その言葉に驚いたのか、和音と加州はお互い顔を見合わせた後、紬をじっと見つめる。
「……紬ちゃんが話したいことなら、ぜひ聞くよ?」
でもさっきの言葉からしてあまり言いたそうじゃなかったから、と微笑んだ和音は空の器を置くと、ご馳走様でしたと両手を合わせた。
「……あ、清光がいない方がいいってだけの話なら放ったらかしにしてどっか2人でお話できるとこ行ってもいいよ??」
「ちょおーっと和音〜?」
「あはは、冗談だって。……だから、無理に言わなくても大丈夫よ」
相変わらず屈託のない優しい笑みを浮かべる和音は、ふわりと紬の頭を優しく撫でた。
「何に悩んでるかは分からないけど1つだけ言えるとすれば……ただ単に考えて、どうしても納得の行く答えが出ないなら、行動に起こしながら考えて行くのも1つの手だよ」
「行動に?」
「うん。こういうのは大抵、やらないで後悔するよりもやって後悔するほうが何倍もマシなものなの。行動に移して、これじゃないあれでもないって選択肢を1個ずつ消してけばいい。……私にもあったから分かるよ」
和さんが……?ふと漏れた言葉に、和音は困ったように笑った。そして隣にいる加州を視界に映せば、彼はきょとんとした表情を和音に向けたまま首を傾げる。
「ふふ、世の中障害だらけだもん。これでも普通の"人間"だし、悩みはそうそうなくならないよ。……あれこれ悩み過ぎていざという時に何も動けないのは嫌でしょ?」
「そーそー。紬は動き出す前に考えすぎるとこあるからね。あと自己犠牲が強い」
「行動して、ちょっと考えてみて、それでも納得出来なければ"やっぱりやめる"ってやめちゃえばいいの。それで文句言う奴がいたら私に言いなさい。ぶっ飛ばしてあげるから」
「……ふふ、和さんが味方なら心強いね」
「紬ちゃんの為ならいつでも力になるよ……ま、兄さんならきっと大丈夫だと思うけど。クソ変人なシスコンでも何だかんだ言って頭の回転は速い方だし、割と何でもできる奴だから。アレでも審神者歴は私より遥かに長いしね。クソシスコンでも」
「……ぶえっくしょん!」
「大丈夫か主、風邪か?」
「いやー。鼻むずっただけ。それより紬は大丈夫そうだったか?」
「え?紬なら出かけたって鶴丸が言ってたぜ?頭の中整理してくるって、結構前に」
「何でみんなそんな大事なことすぐ主に言わないの!?」
和音の言葉でだいぶ気持ちが軽くなったかも知れない。紬はありがとうと和音にお礼を言いながら立ち上がる。 決心がついた。行動してから、考える。
「……ありがとう。和さんのお蔭で決心ついた。私……出陣してくるよ。池田屋へ」
「そう言うことか……気をつけてね、紬」
「ん、清光もありがと。」
「どんな答えを出しても、私は攻めたりしないからね。きっと藤堂くんだって紬ちゃんが精一杯考えて出した答えなら、どんなものでも受け入れてくれる筈よ」
平助くんなら……。 長い間、伊達に藤堂の愛刀をやってきた訳ではない。彼の言いそうなことは紬には大体分かっていた。けれど、和音に言われてハッとした。きっと彼は紬に「許してあげて」と言うだろう。でも彼女が精一杯悩んで考えて、導き出した答えなら。和音の言うように藤堂はきっとその答えを受け入れてくれるのだ。それくらい、人だろうと刀だろうと関係なしに、藤堂と紬は互いを信頼しあっていたのだ。 そっか、うん 、やるだけやってみよう。と、無意識に紬の手にぐっと力が入る。
「さて、私たちもそろそろ帰ろっか」
「え〜、もうデートおしまい?」
「また今度ね。紬ちゃんも、今度はウチに泊まりにおいで」
うん。それじゃあ。彼らにそう挨拶をした紬は自分の本丸へ向かうべく歩き出だす、だが、まだ言い残したことがあったとふと思い出し「あ、」と立ち止まった。振り返れば、見送ってくれていた2人と目が合う。
「ここの甘味とても美味しかった。ご馳走様でした。また行きましょうね、……和さん、今度は2人で」
「ふふ、ぜひ。2人で」
「はっ!?ちょっ……和音の浮気者!」
和音の返事と加州の反応が面白くてつい、くすりと笑みが溢れた。手をひらひらと振りながら、身を翻して、紬は来た道を戻っていく。
「……ふふ、何かどんどんカッコよくなってくね、紬ちゃん」
「はは、そーね。……て言うか向こうの俺、どんだけ素直じゃないわけ?」
「いやいや君が素直すぎるんだと思うよ。恋人になってから更に増して」
「えーそう?あっ、手繋いで帰ろ」
「(……そう言うところだよ清光サン)」
そんな和音と加州の会話は、既に歩き始めていた紬には届いていなかっただろう。 紬とは反対方向の道を、彼らは歩いて帰って行ったのだ。
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