桜の花びら二四枚


「北辰一刀流同士の戦いか……。あ、発砲はしないでよ」

「おお、ほーか!そういやぁおんしも北辰一刀流か!いやぁ〜楽しみじゃ!」

「そんじゃ、……はじめ!」


そんな言葉を交わし紬の合図で木刀が交わる音が道場に響いてから、数十分が経過した。今日の内番の手合わせは陸奥守吉行と上総介兼重の二振りである。
彼らの元主である坂本龍馬と藤堂平助の流派は互いに同じ、北辰一刀流。新撰組を離脱し最終的に御陵衛士として行動していた藤堂と、長州藩の坂本は一時的とは言え同じ目的を持った仲間だったということだ。


「ッ!……敵としても仲間としても、こうやって刀を交えたことはなかったね」

「そやったのぉ。うた事はあったけんど、元ん主が手合わせするんは、おっと!……なかったがやき、なんか新鮮やにゃあ。にしてもおまん!まっこと速いちや!」

「切り込み隊長、魁先生の刀を舐めてもらっちゃ困るよ。誰よりも早く対象を仕留めにいける足がないと、近藤四天王の名が───……」


そう喋っている途中で、紬はふと言葉を止めた。近藤四天王の名が、なんなんだ。私は今、彼に何を言おうとしていたのか。紬は自分が紡ごうとしていた言葉を不意に思い出し、そっと口を噤んだ。
言葉と同時にピタリと動きを止めた彼女に、陸奥守が「紬?」と不思議そうに声をかければ、呼ばれた本人はハッと我に返り陸奥守を見つめ返した。


「……ごめん今のナシ、聞かなかったことにして」

「……?そういやぁずっと気になっとったんじゃが……おまん北辰一刀流しか使えんわけじゃないろ?今まで一度も見たことないき、よお知らんけんど……使えるんじゃろ?天然理心流」


あまりにも突然な質問に、ほんの一瞬だけ沈黙が流れた。
先程とは違って顔色一つ変わらない紬は肩を竦める。


「……さぁーどうだろうね。北辰一刀流しか使わないから覚えてるか分かんないなー。……それより、どう思った?天然理心流のアイツらと手合わせしてみて」

「なんちゅうか刀よりも身体よりも、真っ先に心を折りにきちゅうぜよ」


アイツらぁまっこと恐ろしいにゃあ、と苦い笑みを浮かべて呟く陸奥守を見た紬は「ふはっ、」と吹き出した。
狭い場所、多人数であることを想定した剣術。その他にも居合、柔術、小具足術───いわゆる短刀などの小さい武器を扱う術、棒術などが合わさった総合武術の天然理心流は、非常に強い実践向きと言える。田舎剣法、なんて言われていたが天然理心流は実践に活きる流派と言われても過言ではなかった。


「まぁ、近藤土方沖田は、食客である平助くんとは違って根っからの試衛館組だからね。私とは違ってアイツらは天然理心流が基本の戦術ってところあるでしょ」

「なるほどのぉ」


私とアイツらがどこか違って見えるのは、きっとそれなんだろう。なんて頭の隅で思いながら紬は「続ける?」と木刀を構え直した。


「残念だがそこまでだ。紬、主が呼んでる。……出陣命令だ」


陸奥守も木刀を構え直すが手合わせの続きが行われることはなく。それと同時くらいに山姥切国広が道場に顔を出した。随分と急な出陣命令に紬と陸奥守は顔を見合わせる。
それもそうだ、最初から知っていたら手合わせにも入れられてないだろうし、出陣前に体力を消耗させるようなことはしない。


「切国……出陣場所とメンバーは?」

「さぁな。俺は獅子王が探してたから代わりに呼びに来てやっただけだ。詳しいことは主に聞いてくれ。執務室にいる」

「うん、了解」


不思議に思いつつも、木刀を元の位置へ戻しながら頷いた紬は、じゃあ主サマのところ行ってくる、と言い残して早々に道場を後にした。
どうせまた戻るだろうと靴を脱いで縁側から上がり、執務室に辿り着いた紬は「失礼します」とやけに静かな部屋の襖を開ける。


「主サマ、出陣は───……」


執務室の中にいたのは和真と獅子王を除いて、長曽祢虎徹、和泉守兼定、堀川国広、加州清光、大和守安定。その場に座っていた彼らは、扉を開けた紬に気づくと黙ったまま横目で見つめていた。
既に五振りいるということは必然的に自分が六振り目なのだ、と一瞬で理解する。そして、これから出陣するであろう場所の検討もついてしまっていた。
紬は口をきゅっと噤むと誰とも視線を交わらせることなく、静かに部屋の襖を閉めて空いている場所へと腰を下ろす。それを確認するかのように見ていた和真は、ずっと閉ざしていた口を開いた。


「これで全員揃ったな。早速本題に入る。……って言ってもみんな察しはついてると思うが、出陣場所は1864年7月8日。池田屋事件の日だ」


和真の言った通り、大体の察しはついていた。けれどいざその単語を聞いて、紬は小さく息を飲む。眉間に皺が寄っていくのが自分でも分かった。
彼女の思考をよそに、隣に座っていた加州清光は平然とした顔で「だろうね。敵の狙いは?」と話を進めていく。


「やっぱり新撰組だろうな。池田屋事件が失敗して無くなれば、歴史は大いに動くだろ」

「倒幕派の思った通りに動かれれば京は火の海になる。そうなれば歴史改変は確実。歴史抑制力でどうにかなる問題ではないな」

「そう。つーわけで紬以外は2回目だし、お前らに行ってもらいたい。隊長は長曽祢、お前に任せる。時間は今夜7時だ」

「…………納得いかない」


たった一言だけのその言葉に、辺りがしんと静まり返った。その部屋にいる全員の視線の先は一緒で、言葉を発した張本人、紬へと向けられる。紬は真剣な表情で和真を顔を見据えていた。


「前回の出陣メンバーに組み込まれてたのは誰?」

「……え?あ、今剣だな」

「なら前回も経験してるんだしそっちの方が適任でしょ。そもそもの話、もし私が主サマの立場なら、加州清光と大和守安定、それから上総介兼重は絶対に池田屋には行かせない」

「……は?ちょっといきなり何言ってんの紬」

「だって私たちが絶対に歴史を変えない保証があります?」


弱い自分を目の当たりにして、心が揺らがないわけがない。自分の元主が弱っていく歴史を変えられる地に立って、心が揺らがないわけがない。そう思うのはきっと、私だけではないはずだ。ないはず、なんだ。と紬は心の中で呟いた。
お前なに自分の首絞めてんの?と呟く大和守の声に反応して横目に彼を見る。あの日唯一置いていかれて景色さえも見ることが出来なかったお前も、少なからずその1人に入ってるんだよ、と零しそうになる口を固く結ぶ。


「お前ら自身に歴史を変える可能性があるって面と向かって言われると、流石に出陣させるわけにはいかなくなる。そしてお前の言う通り清光と安定を出陣メンバーから外すことも出来る。でもやっぱり俺が思う最適な面子はあの日のことを詳しく知ってる奴らなんだ。それだけで行動のしやすさは変わってくるはずだ。機転も利く。お前だってそれは分かるだろ?同じ新撰組の刀なんだし───」

「私は!……今はもう、新撰組の刀じゃない。一緒にするな」


より一層、トーンの低い声が執務室に響いた。


「おい紬、ちょっとお前落ち着けよ」

「十分落ち着いてものを言ってるつもり。……この際だから言うけど私はあの人を殺した"新撰組"という組織をまだ許したわけじゃない。だから、新撰組としてのアンタたちとは出陣したくない。……物と同じで1度壊れたものは完璧になんて直せないんだ。今は本丸の仲間だから話せてるだけであって、新撰組としてのアンタたちとは関われない。好きになれないし自分が許せない」


こんな調子で、彼らと池田屋になんて行けるわけがない。
何も彼らのことが嫌いだと言っているのではないのだ。むしろ個人個人としては好きな方だった。そう、一つひとつの刀剣としては。だからこそ、新撰組の刀として共闘したくなかった。


「ハッ……下んな」


しんと静まり返っている部屋にぽつりと声が響いた。その声の主は加州清光で、彼は呆れたように笑っている。
その言葉を聞いていた紬が「……は?」と反応しながら彼を睨みつけると、強い視線に気付いたのかこちらを向いた加州と目が合った。


「何?ビビってんの?俺たちは既に行ったことあるけど、池田屋行くの初めてだもんねーお前」


ちょっと清光くん…!と堀川が慌てて制止しようとするが、それを無視して加州は続ける。切れ長の目が、眉間に皺を寄せていく紬の牡丹の瞳を捉えていた。


「お前の大好きな"平助くん"が額から血流すところ見るのがそんなに怖いの?それともボロボロになってる自分を見るのが怖い?自分が新撰組とかそうじゃないとか所詮ただの言い訳であの日のことから逃げてるだけじゃないの」

「っアンタにだけは!そんなこと言われたくない……!人の気も知らないで、一丁前にかしやがって!何もかも全部!アンタのせいで……っ、」


加州の言葉が癪に障ったのか、カッとなった紬は飛びかかるかのように彼の胸倉を掴み、勢いよく畳に押し付けた。ドサッと音を立て倒れ込んだ加州と、そのまま睨み合う。満場騒然としている執務室で彼らを止めようとする声があちこちから上がるが、それが聞こえているのか否か、睨み合う当の二振りは会話を止める気配はこれっぽっちもなかった。


「……知るわけないね、お前の気持ちなんか。そんなのただのお前の私情で、俺らには何の関係もないだろ!新撰組がまだ許せないからってこの出陣を巻込むのはやめろよ!」

「さっきから聞いてりゃ自分たちは関係ないばっかり!あるから言ってんだろ!いくら罠じゃなくったって、真意じゃなくったって……仲間だったやつに殺された事実は変らない!それを目の前で見ることしか出来ない気持ちがお前に分かるのかよ……っ!何も知らない奴が知ったような口を利くな!」

「だからそれが下んないつってんの!そーやって過去の事うだうだ引っ張りだして悲劇のヒロインぶるのやめてくんないほんとウザい!アンタが平助の誇りだっつって着てるその羽織は一体なんなわけ?そんなに新撰組が嫌いで許せないならその糞な誇りごと捨てちまえよ!」

「!!っお前……っ!」


紬が拳を振り上げたところで、ついに和泉守が止めに入った。振り下ろされる前の手を彼が片手で掴んで塞ぎ、堀川と一緒に加州から引き離す。離せ、と抑える二振りに抵抗する紬の視線の先は相変わらず加州で、彼を睨みつけながら怒りで震えていた。獅子王はもし和真に火種が飛んできても大丈夫な様にと彼を庇うようにして前に立ちながら、ふたりとも落ち着けよ……と呟くが、その言葉はやはり二振りには届いていない。
清光も言い過ぎだよ!と大和守が叱るが当の本人は胸倉を掴まれた時に乱れてしまった服の皺を直してそっぽを向いた。


「……そうね。何も知らないアンタには分かるわけがない。沖くんより先にダメになって愛されなくなったアンタには、その後のことなんて、なにも」


傍にいた新撰組の彼らが止めに入ったお蔭で一瞬収まったかのように思えた喧嘩は、残念なことに紬の言葉で再び始まってしまった。彼の地雷であろう言葉だと分かってて鎌をかけるかのように言い放った言葉は、加州の怒りを増幅させるのには充分すぎるもので、彼は一層眉間に皺を寄せ紬を睨みつけながら、大きく舌を打つ。


「チッ、一々煽るの好きだねお前。あーほんとウザ。役に立たないボロ刀のまま傍にいる方が生き地獄だろ、死に損ないが。使えないお飾りをいつまでもぶら下げてるからいざと言う時に自分の身を守れず呆気なく死ぬんだよ平助も。お前のこと視えるようになったばっかりにカワイソ」

「っ、ホント、さっきから何なんだ。私だけならともかく平助くんのことまで悪く言いやがって……何?自分が主に捨てられたからって焼いてんの?はっ、そりゃアンタみたいな扱いにくくてすぐ折れるようなクソ刀誰も欲しいとは思わないね。そんなやつが愛されたいとか、そっちの方が下らなさすぎて笑える」

「勝手に笑ってれば。お前がどう思おうがこっちは痛くも痒くもないし、愛なんていらないとかほざいてる奴より遥かにマシ。そもそも俺はお前とは違って既に克服してんの。根に持ったままグズグズしてるめんどくさいお前と一緒にすんな」

「へぇそう。アンタにとってアレはすぐに断ち切って克服できるほどしょうもない出来事だったんだ。……はぁ、ほんっと、……クソほどムカつく。アンタは何もかも勝手すぎる。ヒトには散々折れるなとか言うくせに……。アンタがいなくなった後誰がどんな思いでいたか、ちょっとくらいはその足りない脳みそ必死に使って考えてみろよ」

「……は?」


言い合いはヒートアップしつつも、どこか冷静さを取り戻しながらつらつらと言葉を並べ合う加州と紬。そんな二振りの間に割って喧嘩を止める隙など、誰もあるはずも無かった。


「こんなことならあの日約束なんてしなければ良かった。新撰組に……いや、アンタなんかと出会わなければ良かった。そしたらこんな思いしなくて済んだのに」


そして来ている羽織を両手が震えるほど強く握りしめながら、トドメを指すかのように最後にそう呟いた紬は、酷く歪んだ表情で、悲しみを宿したような瞳で、加州のことを見つめていた。その一言により静まり返る執務室で「……主サマ、悪いけど今剣に声かけて」と和真に言い残すと、身を翻して部屋を出て行ったのだった。
お互いの掘り返したくない出来事───入ってきて欲しくない領域に土足で上がり込み踏み散らかしていった彼らには、もはやデリカシーなんて言葉はそこには存在していなかった。


「紬……!」

「やめておけ堀川、今、新撰組の刀だった俺たちが行っても……きっと何も変わりはしない」

「俺も長曽祢さんに同感だな。……それにしても、今のが堕ちる引き金になんなきゃいいんだが……アイツ平助に関してだけはすげー弱いとこあるからなぁ」

「……うん、そうだね。あの子もあの子できっと迷ってるんだよ。自分の居場所がはっきりしてないから、余計複雑になっちゃってるんだと思う」

「新撰組と御陵衛士、正反対だしな。自分がどちら側かきっぱり言えんならそれまでだが、アイツ意外と『自分は御陵衛士だ』って言うとき顔に出てるからな。……とまぁそれはさておきだ。清光、お前よくもまぁあんな煽り言葉が次々と出てきたな」

「……そうだよ清光、煽りすぎ。言っていいことと悪いことくらいちょっと考えたら───」


ダンッ!と突然、大きな音が響いた。その音は紛れもなく、執務室の机を加州が殴った音で。
当然、その行動に驚いた全員は視線をその人物に集める。しん、と先程よりも物静かになってしまった部屋で、俯いたまま拳を震わせる加州は「……んなこと、分かってんだよ……」と小さく呟いて立ち上がると、何も言わずに執務室を出ていってしまった。


「(もしかしなくとも、マジでやばい状況だよな……これ)」


彼らの喧嘩を止めることが出来ずにただ見ることしか出来なかった獅子王と和真は、加州の出ていった扉を見つめながら、ただただそう思っていた。


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