桜の花びら二三枚


「……池田屋か四国屋に?」

「ああ、島田が言うには、今までの動きから見て四国屋か池田屋のいずれかに潜伏する可能性があるらしい」


新撰組局長近藤勇の言葉に、新撰組副長である土方歳三が頷いた。
元治元年6月5日。その場には、彼ら2人と新撰組の副長助勤が揃っている。


「風の強い日に京に火を放ち、その混乱に乗じて天守様を長州に連れ出す。古高がそう自白した。長州の奴らは古高が捕縛されたことによって焦ってる。今日の夜にでも集まって策を講じる筈だ」

「よし。では、会津藩と所司代に知らせを出してくれ。歳は隊士を集めてくれるか。皆も準備を頼む」

「ああ。」


近藤勇の言葉に再び頷いた土方歳三は隊士を呼ぶべく、部屋を出ていった。それを見届けるかのように動かなかった副長助勤らも、土方がその場からいなくなると同時に思い腰を上げる。


「あれ、沖田くんそんな急いでどこ行くんだ?」


よいしょ、と早々に立ち上がり1番最初に部屋を出ようとしたのは新撰組一番隊隊長である沖田総司。それを目の前で見ていた八番隊隊長の藤堂平助は、疑問に思ったのか質問を投げかけた。


「和音の様子を見に行ってくるよ」

「ああ、そう言えば熱でぶっ倒れたんだっけ……」

「そうそう。全く、自分で熱があるの自覚してたくせに屯所にまで来てあれこれしようとするから……そういうところは本当に馬鹿だよね。お節介もいいところ。……まぁ、助かってはいるんだけど」

「惚気にしか聞こえないんだけどそれ。いいじゃん、そういう人がいてくれるだけありがたいって。俺はそーゆーの羨ましいと思うけどなー」

「あはは、和音に言ったら調子乗りそう。まぁいくら羨ましがられてもアイツだけは譲ってやれないけどね……それじゃ、」


ついでに状況説明して帰れって言ってこなきゃ、なんて呟きながら部屋を後にした沖田に、ぐぬぬ、と藤堂は顔を強ばらせた。


『……平助くん、そんなんじゃ和さんのこと好きなのすぐにバレるよ。周りにも本人にも』


その一部始終を藤堂の隣で座ったまま全て見ていた彼女、上総介兼重は平然とした顔で藤堂に淡々と言い放った。沖田に続いてぞろぞろと部屋を出ていく隊士を彼は横目で見ながら「う、分かってるよ……」と小さく呟く。そんな反応を見た彼女はクスリと笑って立ち上がった。


『さて。私達も準備しよう、平助くん』


最後の1人になるまでその場に座っていた藤堂は、静かに立ち上がると本来は視えるはずのない付喪神と目を合わせ頷いた。


「……そうだな。行くか、紬」

『ん、』


屯所の庭に隊士が集まるのに、そんなに時間はかからなかった。


『あれ、清光。安定は?』


その中にいた、沖田総司の後をついてきたかのように立っていた柘榴色の瞳に浅葱色の羽織を身に付けた付喪神、加州清光に話しかければ彼は一気に眉間に皺を寄せぶっきらぼうに「るすばーん」と答えた。大方、選ばれた加州清光とそれが羨ましいと嫉妬した大和守安定が出る直前に喧嘩でもしたのだろう。と、そう直感した紬はそれ以上その事について聞きはしなかった。


『……紬。……安定、まだ怒ってるかな』

『……さぁね。でもこれからどうすればいいのかは、清光が1番分かってるんじゃないの?主も同じだし、何より相棒なんでしょ』


案の定、紬の予想は当たっていたようだ。彼女の言葉に暫くうーんと唸っていた加州は決心したように「帰ったら謝ろ」と呟いた。


『だからさ、紬……一緒についてきて……』

『……ふふっ、いいよ。ついていくだけ、ならね?』

『やった!絶対だからね、約束!』


はいはい、約束。焦ったように小指を立てる加州に苦笑しながら、紬は小指を差し出し彼の指をきゅっと握った。そしてタイミングを図ったかのように近藤と土方がやってくる。
それに気付いた2人は、自分の持ち主の横に着くと視線を彼らへ向けた。彼らの近くには、それぞれの愛刀。和泉守兼定や堀川国広、それから長曽祢虎徹の付喪神もいる。


「動ける隊士はこれだけか……仕方がない、行こう歳」

「だがまだ本命がどちらか分からねぇ。……どうする近藤さん。四国屋か、池田屋か」

「今までの動きを考えると、ここは四国屋が本命ではないでしょうか……?」


そう発したのは、新撰組の総長である山南敬助だった。
奴ら───尊皇攘夷派は池田屋を頻繁に利用していたらしいと、現在池田屋へ監察に行っている山崎烝がそう言っていた。その尊攘派の1人である古高を捕縛したのも池田屋である。まさかその捕縛した日の夜に同じ場所、つまり池田屋で密会が行われるのは考えにくい。山崎の言葉から彼は四国屋ではないかと近藤らに告げた。それに相槌を打つように近藤は頷いていたが「だが池田屋という可能性も捨てきれん……」と唸る。


「……よし、ここは二手に別れよう。歳、お前は24名を連れて四国屋へ行ってくれ」

「それじゃあ近藤さんが10名で行くってのか!」

「ああ、その代わりこちらには総司、永倉くん、平助を連れていく。だがもしこちらが本命だった場合は……頼んだぞ、」





建物と建物の間の細道に身を隠して池田屋を観察していれば、窓から長州藩と思わしき人物が外を確認するかのように覗いた。


「……やはり、こっちが本命か、」

「会津藩と所司代はまだ来てねーのか?」


近藤隊として一緒に来ていた二番隊隊長、永倉新八の言葉に他の隊士が首を振った。確かな証拠がないと重い腰があがんねーのかよアイツらは……と溜息混じりに悪態をつく永倉に、藤堂も同感だと肩を竦めた。


「近藤さんどうします?このまま待ち続けて失敗に終わるより、一秒でも早く袋の鼠状態の奴らを叩きのめして根絶やしにした方がいいんじゃないですか?」

『……アンタの主って優しそうな顔してたまに物騒なこと言うよね』

『……あはは、和音の影響じゃない?ちょっと似てる』

『え、和さんそんなこと言うの?』

『たまに言うよ。沖田くんに向かって。さすがは幼馴染』


沖田の言葉を聞いていた加州と紬が会話をしているうちに、いつの間にか近藤は池田屋に乗り込むことを決めていた。それもその筈だ。こんなチャンスは滅多にないのだ。会津藩らを待っていられる時間は、そんなにない。


『……ねぇ紬、一緒に……帰れるよね?』

『何言ってんの?もしかして清光、不安?』

『んー……ほんのちょっとだけ、嫌な予感がしたから……』


何を感じたのか、突然そう言い放った清光は不思議そうに見つめてくる紬と目が合うが、気まずそうに目を逸らした。気が付けば彼女の浅葱色の羽織の袖をぎゅっと握っている。そんな加州を見た紬は、困ったように小さく笑って袖を強く握る彼の手を取った。
彼女が加州に言葉を返す前に、紬、と藤堂に名前を呼ばれる。いつもなら早々に主の元へ駆けつけるだろう彼女は、今行く、と藤堂に返すと再び加州を見つめた。


『扱いにくいけど性能はピカイチ……なんでしょ?大丈夫。池田屋で勝利を収めて、みんなで一緒に帰ろう』

『……うん。……紬。帰ったらついてきてくれるって約束、絶対守ってよ。だから、折れないでね、紬も』

『うん、分かった。……それじゃ、また後でね。清光』


紬は微笑むと、藤堂平助の元へ向かっていった。
御用改めである、そう声を轟かせ池田屋に踏み込んだ新撰組は、歴史を大きく変えるほどの大きな成果を遂げた。これを人は後に、池田屋事件と呼ぶ。
そして、池田屋に来る前にしたあの約束も、加州の言ったその言葉も、この池田屋事件のせいで叶うことなくお互いがそれぞれに終わりを迎えてしまうなんて、彼女たちはまだ知る筈もない。
池田屋の中に近藤、沖田、藤堂、永倉の4人。残りで表と裏の出入口を塞ぐように包囲し、逃げようとするものを片っ端から斬っていく。しかし、彼ら新撰組と尊皇攘夷派の人数の差は決して小さくはなかった。
既に刃こぼれが何ヶ所かでき、ボロボロになりつつある自分の愛刀を離すことなくぐっと握りしめ、手向かう相手を斬り捨てる。だが中庭あたりで戦っていた藤堂も、まさか敵が押入れの中に潜んでいるとは思わなかっただろう。よろめく体を動かし彼の元へ行こうとした紬が、額に着けていた鉢金を外し汗を拭う彼の近くに揺らめく影を見つけた時には、もう既に遅かった。


『っ!?平助くん危なっ───!』


───ぱきん。
一瞬だった。気がついたら血飛沫が右目に入り片方の目が潰れていて。目の前で大切な主が額から血を流しながらドサッと横たわる姿と、それと同時に自分ではない───聞こえるはずのない金属の折れる、嫌な音が聞こえた気がした。







「───……ぇ……ねぇ!紬ってば!」

「っ、……んん、……きよ、みつ…?」


自分の名前を呼ばれる声がしてゆっくりと目を開けば、ぱちりと綺麗な深い赤───柘榴色の、切れ長の目と目が合った。どこか焦った表情をして顔を覗き込んでいる加州の姿を見て、自分の状況を理解する。


「……っあーーー……」

「えっ、急にどうしたの」


今のは全部、夢、だったのか……。やけにリアルな夢を見た紬は1度深呼吸をして息を整えながらむくりと起き上がった。部屋を見渡せば自分以外の布団は綺麗に畳んで片付けられている。彼女の横に正座して心配そうに見つめる加州は「大丈夫?」と首を傾げた。


「……なんかやな夢でも見た?すっごい魘されてたし、汗も凄いよ」

「んー、まぁね……。……今、何時?」

「……9時すぎ。安定はとっくに朝餉食べて遠征行ったよ」


加州曰く、何度も起こしたが手を振り払われたりと、まるで起きる気配がなかったため先に身支度を済ませ当番である朝餉の準備を手伝いに行ったようだった。そして、結局いつまで経っても起きてこない紬を起こしに来たら魘されていたという訳である。


「じゃあもうみんな朝餉食べたんだ……」

「うん。みんな紬がいなかったの心配してたよ。ほら、朝餉の準備は出来てるから紬も早く準備しな」

「……着替える前にささっとシャワー浴びてくる。流石にこのままだと気持ち悪い……」

「りょーかい。ここも俺が片しといてあげるから、さっさと風呂上がってダイニングルームきてよね〜。ご飯も向こうで温めて待ってるから……俺もう待ちすぎてお腹ぺこぺこ」

「え?……食べたんじゃないの?」

「うん?他のみんなはね?……あ、俺はまだ食べてないよ」


アンタひとりじゃ寂しいだろうしー?と正座を崩し脚を伸ばした加州はふふん、と得意げに笑いながらこちらを見た。立ち上がって着替え一式を腕に抱えると、部屋を出るべく扉に手をかけていた紬。彼女はそんな加州のその言葉を聞いて、ほんの一瞬眉間に皺を寄せる。


「……みんなと先に食べて良かったのに」


余計のお世話とまでは言わないが、わざわざ気を遣ってくれなくてもよかった。今は、彼と顔を合わせる気分になれなかったのだ。それなのに、こういうときに限って1番に紬の目の前に現れるのは彼で、優しくしてくれるのも彼なのだ。
考えなくても、思い出そうとしなくても、あの日の記憶が蘇る。先程の夢と同じような光景が脳裏にまとわりつき、夢以外の出来事まで思い出されてしまう。それがあまりにも不快で、気が付けば彼女は手の中にある浅葱色の羽織をぎゅっと強く握りしめてしまっていた。


「紬?」

「……ごめん、すぐ戻るから」


首を傾げる加州を横目で見ながら、紬はそれだけ言い残すと部屋を出て風呂場へ向かった。あの時の記憶も、このモヤモヤとした感情も、ぜんぶぜんぶ。シャワーと一緒に流れてしまえばいいのに、なんて有り得るはずのないことを思いながら。


[ 26/110 ]
目次






×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -