現実の隙間を擦り抜ける 1/5 

 あるタイミングで、ごく自然に目が覚めた。仰向けだったので、視界には見慣れた天井が広がる。カーテンが引かれていないせいで、部屋にひとつしかない窓からは朝日がさんさんと差し込んでいた。眩しさに耐えながら瞬きを繰り返す。
 隣で布の擦れる音がした。この部屋に、自分は単身で住んでいるはずなのに。

「…っ」

 悲鳴を上げそうになるのを何とか堪える。顔だけで振り向いたら、男性の顔がどアップで映ったからだ。不用意に動けず、穏やかな寝顔を凝視する。チュンチュンとスズメの鳴く声ですら、彼を起こしてしまうんじゃないかとびくびくした。そんなこちらの不安を余所に、目を瞑ったその人はぴくりとも動かない。
 もしや、熟睡中?
 耳を澄ますとすう、と穏やかな寝息を確認できた。ようやく息を吐き出せる。知らぬ間に呼吸まで止めてしまっていたからだ。

 彼は例の、隻眼の男性だ。その顔をこんなにもまじまじと、ましてやこの近さで見たのは初めてだ。いつもは慣れない熱に浮かされて正直見る余裕なんてない…と、少々余計なことを思い出したせいで恥ずかしくなる。
 そういえば、昨日は…、



 ヴー、ヴー、ヴー、

 突然、自分の頭の上で間隔の短い振動が起きた。音が鳴らずとも、この状況下では騒音に等しい。心臓が飛び上がって変な緊張が走る。小さな揺れが収まるまでの時間がとても長いように思えた。
 しばらくして止まった頃、まだ起きたばかりだと言うのにずいぶんと疲弊していた。幸いなのは目の前の人が起きなかったことだ。

 物音を立てないよう慎重に布団から抜け出す。震源を探すと、それは自分の携帯だった。暗いロック画面に、不在着信が表示されている。かと思えば今度はSNSアプリのメッセージを受信した。また短く震えるのに理由もなく焦る。
 呼吸を整えつつ差出人を確認すると友美の名前があった。芋づる式に昨日のことが思い出されてなんとなく変な気持ちになってしまう。それも束の間、本文に目を通した瞬間に今まで堪えてきた声を大にして発してしまった。

「ち、遅刻! やばい遅刻!!」

 立ち上がって向かう先は洗面台。この部屋、201号室は、玄関からリビングへ真っ直ぐ伸びる廊下の途中に浴室と脱衣所が設置されている。足をもつれさせながらその短い距離を走った。
 歯を磨き、洗顔し、愛用のオールインワンジェルを適当に塗り込む。もう化粧どころの話ではない。

 そういえば服を着替えねば何も始まらないとリビングに戻ったころで、布団の上であぐらをかき、頭を掻く男性と目が合った。いつもならその視線に思わず足を止めていただろう。でもそんな余裕はなかった。
 そのあたりに放りっぱなしになっていたジーンズとシャツを引っ掴む。一応、理性が働いて背中を向けたものの下着をつけるところはばっちり見られたに違いない。というかズボンも履き替えたんだから、もちろんパンツもばっちり見せてしまったに違いない。

 はたと時間を確認する。先程から5分程度しか経過していなかった。自分の用意の速さに驚きつつ、再び洗面台の前へ戻って今度は丁寧に日焼け止めを塗った。…もうこれでいっか。
 ほんの僅かにゆとりができたような気がしたが元々遅刻しているので、悠長にしている暇はないと思い直した。だから小走りしながら、リビングの隅に置いていた鞄を手に取る。それはいつも使っているキャンバス生地のもので、恐らく財布と電車の定期は入れっぱなしだろう。その中にルーズリーフと筆記用具があるのを確認し、とりあえず最低限はどうにかなるだろうと算段をつけた。
 未だ布団の上から動かないその人を振り返り、そういえばと家の鍵を投げる。

「行ってきます!」

 返事があったのかどうかは知らない。

 
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