分岐点に背を向けて 1/2 

「いただきまーす」

 はふ、と息を吐きながら湯気の立つ白菜を口に運んだ坂田くんを見、わたしも同じようにそうした。わたしと坂田くんの間に置かれた、カセットコンロの上に乗った鍋はぐつぐつと音を立てながら煮えている。

 “今日の夜、一緒に飯食わねェ?”
 坂田くんの何もかもが晋助くんと違うことの差に、その当たり前に泣きそうになっていたわたしに坂田くんは穏やかな声でそう言った。
 そう提案されたことが初めてだったことに少し驚いて、晋助くんのことが自然に頭から離れた。だからか下まぶたに溜まり始めていたであろう涙はスッと引いた。
 坂田くんを見上げると、ニッと口角を上げた彼は「最近寒ィし鍋の美味い季節だぜ」と続けてから、わたしの頬をつまんで引っ張った。

「ななこちゃんは笑ってるほうが似合ってんなァ」

 最初は片方の頬だけだったが、坂田くんは両方の手でわたしの頬をつまんで、口角を上げるように軽く引っ張った。笑顔というより変な顔をしているような気がして恥ずかしくなり、彼の手を制止して離してもらう。

「…ありがとう。夜ご飯も、誘ってくれて」

 晋助くんが来なくなってから、大学もバイトも終わってからはずっとひとりである時間に押しつぶされそうだった。誰かと過ごす時間が恋しく感じていた。だから断る理由が見つからなかったし友美のことももう、考えもしなかった。

 講義をすべて受け終えて、ふたりで坂田くんの家の方へ向かった。途中でスーパーへ寄り、白菜やらなんやらと鍋の具材を購入した。そこで鍋に人参は入れないだの豚肉も鶏肉も入れちゃおうかだの、それぞれの好みや今までの鍋の常識などを話し合いながらカートを押した。
 素直に楽しかった。「デザートは外せねーよな?」と語尾こそ疑問形だったけど、すでにシュークリームを手に取る坂田くんを見て思わず笑ってしまった。すると坂田くんも同じように笑ってくれた。正面から見る笑顔はかっこよくて可愛い。「エクレアも捨てがたいよなー」と視線を商品の並ぶ陳列棚へ向ける、その横顔はとても綺麗だ。





 あの人はどんな顔で、わたしの家に差し入れてくれた物を購入していたんだろう。

「…ななこちゃん?」

 坂田くんの顔を眺めていたつもりだったが、こちらの眼前でひらひらと手を振られてハッとした。

「ごめん、デザート何しよっかなって考え込んじゃって」

 謝りながら、自分も陳列棚へと視線を落とす。ひとりだとあまり食べない甘いものだけど、誰かとならたまにはいいだろう。ーーーりんご飴とバニラ味のアイス、食べたっけ。一緒にとは言い難かったけど、それらを口に含んで眉を潜めた彼はきっと甘みの強いものはあまり好きでないだろう。
 すぐに自分の意識内に侵入してくる存在に苦笑した。でも、坂田くんも初めはそうだった。友達としての坂田くんと一緒の時間を過ごす間にぶくぶくと膨らんで、ポンっと弾けた気持ちは口をついて飛び出た。出てしまったものは引っ込められず、また、そう簡単に消えてくれない。温め続けた気持ちは火の消し方がわからず、例え弱火でも鍋の底が焦げ付くようにじりじりと形を変え、わたしの心の底にこびりつく。
 気持ちに気づいたならもっと距離を取るのが正解だったのだと、今ならわかる。思い出の数が増えるほど坂田くんを思い出す回数が多く、ましてや叶わないとなればそれがまた気持ちをいつでも加速させようとしてきた。それを押し殺し、自分を納得させ、他者の存在を借りながら、ようやくその気持ちを手放せるところまで来たのに今さらこんなことになって。

 坂田くんは選択したんでしょ? 気持ちの爆発の勢いに任せただけのわたしの告白をさらりと断って、こちらの気持ちを確認しながらも友美と付き合うことを。
 彼女の背後に立ちながら、こちらに手を伸ばしていた真意はわからない。聞いていないし、聞く気にもなれない。それがどうであれ彼は、わたしを傷つけながら微笑んでいた。

 だからわたしも選択したよ。初めてのことばかりでなかなか上手くいかなかったけど、友美を選んだ坂田くんとただの友達でいることを。
 たくさん泣いたし辛かった。選ばれないという切なくて苦しい気持ちをこれでもかと味わった。そんな中で晋助くんと出会って、怖さがありながらも慰められて、助けられて、選ばれる嬉しさを知った。人に寄り添うとはこんなにも温かみがあって安心することなんだって身を持って理解した。
 坂田くんを好きになったことを後悔はしていない。今思えば一緒に過ごした時間や思い出はキラキラしていて、大切な物になっている。だから上京してきて本当によかったと思う。でも今のわたしには毒気が強すぎるから、ただの思い出として取っておくために気持ちの出口にそっと蓋をして、晋助くんを選んだ。
 好きかと聞かれるとはっきりそうだと答えられる自信はなかったけど、大切な存在だった。晋助くんと過ごした時間は最初こそ辛いことが多かったけど、彼の優しさに触れることで次第に穏やかで楽しいものに変化していった。かけがえのないものになっていた、のに。

 わたしは結局、坂田くんの手を振りほどけなかったのだ。

 そんなわたしを見て、晋助くんはどんな選択をしたの? その選択をして後悔はしていない? わたしにしたように、今はもう他の女の人にあの不器用で無遠慮な優しさをあげているの? ーーーわたしには謝ることも、理由を聞くこともさせてくれないの?

 俺から手を離すことはない、そう言ってくれたのはわたしと同じ、ただの勢いだったの?

 
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