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「ねえ、どうして?」

 友美は泣き腫らした顔で言う。

「あたし、ななこに負けてるところあった?」

 涙で潤む目は、長い睫毛に縁取られている。くるりとカールした毛束はエクステで、可愛らしい目元を演出していた。
 思わず触れたくなるような、荒れのない陶器肌は流行りのファンデーションで作られている。チークでふんわり色付いていた頬は、ネイルの施された指先で擦られて赤みが増していた。
 細い体を震わせて、彼女は泣いている。女の子らしさを詰め込んだ、華奢さを強調させる服装が体型の小ささを余計に感じさせていた。

 わたしは大きな背中の影からそれを見ている。友美から隠してくれるよう、立ちはだかってくれている坂田くんはどんな顔をしているだろう。緊迫した空気の中、困り顔をして友美の手を引く彩子ちゃんが「ごめんね」と謝った。



 図書館の一角にて。なんの返事もできないわたしに微笑んだ坂田くんは「行こうぜ」と言った。

「なんも急がねーし…嫌われてねーだけで今はもう十分だわ」

 へらりといつもの緩んだ笑みを浮かべながら「腹減らねえ?」と話題を変えて、坂田くんはわたしが立ち上がるのを待ってくれている。だから足元がふらつかないように意識しながら腰を上げ、彼の隣に並んだ。広い構内をどちらともなしに食堂へ向かいながら、わたしは気分の悪さを覚えていた。

 友美に合わせる顔がない。だけど坂田くんに好きだと言われて、少し嬉しさを感じてしまった自分がいる。そのくせ頭の隅に晋助くんの笑顔と言葉とを思い浮かべているのだ。

 ずっと、ずっとそう。どちらか一方と顔を合わせているときは、その時に見えない方の顔と声を思い浮かべている。それがようやくなくなってきたのに。晋助くんが埋めてくれるから、彼のことばかり考えられていたのに。
 ずるくてバカなのは、わたしなのか、それとも、

 そんなことを考えながら坂田くんについて歩いていたら、後ろから自分の名前を呼ばれた。か細くて、聞こえたのが不思議なぐらい小さな声だったのに、わたしはしっかりと振り向いてしまう。
 そこに立っていたのは友美だった。息を荒げて、悲愴な表情を浮かべて、彩子ちゃんの制止を振り払いながら詰め寄ってくる。
 壁になるよう坂田くんが間に入ってくれた瞬間、目を見開いた友美はその大きな瞳の縁から大粒の涙を零した。そして言う。

「あたしのほうが絶対に銀ちゃんのこと好きなのに…!」

 わたしたちが講義もなく空き時間なら、他にもそうである人はたくさんいる。もちろん講義を受けている人もいるだろうが、この大学内で、食堂へ向かえる廊下には疎らに人がいた。そのみんながこちらを見ている。何事かと言う視線を向けられて、友美のセリフを聞いて"ああ、修羅場か"とでも言いたそうな表情を浮かべている。
 好奇の目に晒されようとも止まらない友美は、ふらふらとおぼつかない足元で近寄ってきた。

「あたしが銀ちゃんと別れてすぐなのわかってるよね? どうして今銀ちゃんとふたりになれるの? そうやって見せつけられるの?」

 意味わかんない、意味わかんない。そう繰り返しながら手を伸ばしてくる友美は坂田くんにすがりつくようだった。状況が状況なだけに振り払うこともできないようで、坂田くんは友美の肩を支えている。

「…もしかして、ななこもまだ、銀ちゃんのこと好きなの?」

 顔にかかる栗色の髪の隙間から涙で濡れた瞳が見える。こんなに泣いて悲劇の渦中にいるかと思われた友美の、ぼろぼろと雫が溢れる目の奥は怒りで揺れているように思えた。

「もう好きじゃないって言ってたのに! 銀ちゃんもななこなんかどうも思ってないって…だから信じたのに!」

 坂田くんを見ていた友美はゆっくりこちらを向く。見つめられて思わず体を強張らせてしまった。心臓はさっきからずっと、妙に速く鼓動している。
 友美が、わたしが自分の心の奥底に眠らせていたものに触れそうになったから。ずっと坂田くんのことが気にかかっていたことが、いつの間にか知られていたのかと不安になったからだ。

「友美、こんなとこでもうやめろよ」
「でも…こんなの酷いよ…やっぱり銀ちゃんはずっとななこが好きだったんでしょ…?」

 声を震わせて、嗚咽を漏らす友美は今にも座り込んでしまいそうだった。それでも坂田くんは自分の腕に食い込む細い指先を丁寧に剥がして、彼女の肩を持って立たせた。そして手を離して距離を置く。

「あァ、そうだった。だから俺のせいでこうなったっつー話はしただろ。お前もそれに頷いた。別れることに同意したじゃねーか」

 坂田くんの手はわたしの腕を掴む。それを見た友美は目を瞑って首を横に振った。現実を受け入れたくないと言うように。

「それに、ななこちゃんはもう俺のこと好きじゃねーんだよ。こっからは俺の片思いだ。だからななこちゃんに怒るのは違ェだろ」

 坂田くんは食堂の方へ歩みを進め出す。キツく腕を掴まれたままだったから、それに倣うしかない。また、か細い声で坂田くんの名前を呼ぶのが聞こえたけど、わたしは振り返ることができない。

 逃げ出したい。好意を向けられて、一瞬でも嬉しく思った自分を恥じたい。友美が坂田くんのことを好きなのは、あんなにも目の前で見てきたじゃないか。…彼女の方も、わたしが振られてすぐに彼と付き合いだしたとはいえ…それでも、だ。そんなことを抜け抜けと忘れて、友達のために坂田くんを怒ることもできず、されるがままで流されて、今も自分の向かう先を決められている。

 これで、わたしはいいのかな? 揺れる銀髪はすぐ側にある。引かれている腕を突っ張ったらきっと振り返ってくれて、憧れていた銀糸に触れることもきっと容易い。ずっとそうしたいと思っていた。
 それでも、わたしは、自分の肩を強く掴まれていたのを確かに振り払った。晋助くんの言葉にすがって、与えられる温もりを信じたんだ。同じことを何度も繰り返しながらも少しずつ前に進んでいけるよう、必死にそうしたはず。

「坂田くん」

 腕を軽く引っ張っただけで、やっぱりくるりと振り向いてくれて、さらには微笑んでくれる。だからわたしも笑みを返した。目尻を細めたら、何故か頬に伝うものを感じた。視界が揺れる。唇がわなないた。

「坂田くん、わたしね、」

 声を絞り出すように喉を震わせたら、大きな手で口元を覆われる。

「待って、ほしい」

 坂田くんの手も震えていた。優しげな笑みを絶やさぬまま、彼はゆったりとした調子で続ける。

「ななこちゃんが言おうとしてることわかっちまったよ。でも今はやめてくんねーかなァ? 俺の、わがままで、ホント悪ィんだけど」

 纏う雰囲気とは裏腹に荒っぽく引き寄せられて、背中に腕を回された。痛みを覚えるほど強く抱きしめられて、向けられている気持ちの大きさに胸が軋む。

「好きだ、好きなんだって」

 後ろに友美がまだいるかもしれない。そんなことが頭をよぎったけど、今にも泣き出しそうな声で、耳元で告白されては離してとは言えなかった。

 
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