雨は上がらない

シリアス/バッドエンド予定/死ネタ











 ”殺さなければならない”
 俺は、漠然とそう思った。誰を、何のために。分からない。ただ、殺さなければならないと思っている自身を怖く感じた。

「おはよう、篤」

 柔らかな声が耳に届いた。俺は声の方を向く。声と同じ、物腰が柔らかそうな男が俺を見て笑っている。目元に刻まれた皺が、彼があまり若くはないということを示していた。

「おはよう」

 俺は返す。そして思った。この人は”殺さなければならない”人物ではないことを。そして、俺の名前は篤だったかということを。

「気分はどうだい? どこか、悪いところは」
「特に」

 そうして首を振ると、男は嬉しそうに笑った。俺の寝ているベッドに近づいてくるのをじっと見つめる。そこではたと気がつく。俺は身動きがとれない。何かの管が、手に、足に、たくさん繋がっている。

「ああ、かわいそうに」

 男は大袈裟に肩を竦めて、一本の管を手に取る。

「今から、自由にしてあげる。僕の可愛い篤」

 男はうっそりと笑うと、俺の額に口付けた。












 男の名前はドクター。そういえば白衣を着ている。俺は納得した。それでは、俺はなんだろう? 良く分からない。分からないけど、それはどうでもいいことだった。俺にはドクターがいる。そして”殺さなければならない”奴がいる。それだけで充分だった。

「篤、君は本当に愛らしい子だ。ずっと、ずっと傍にいておくれ」
「はい、ドクター」

 俺がドクターの言うことに肯定を示すと、ドクターはとても嬉しそうにする。

「篤、篤」

 ドクターからの口付けを静かに受け止めながら、俺は思った。
 ”殺さなければならない”
 それは、未だに誰なのか、分からない。


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