中学の頃から何度か訪れ、今となっては通いなれた道を進み立海大付属高校の正門をくぐる。 その足取りは迷いの一つもなく、ストレートにテニスコート奥の部室へ向かい、携帯の時計をチェックしてはそろそろ練習が始まる頃だとピッタリのタイミングに心の中で頷く。 目的の人物でないにしろ、知り合いの部員が誰かしらいればいいのだけれど。 …いた。 「丸井くん!」 呼ばれた部員はちょうど部室から出てきたばかりの同い年の友人。 赤い髪とチューインガムがトレードマークの、立海が誇る全国区のダブルスプレイヤーである。 「お、ジロくんじゃん。どした?金曜に来るなんて、珍しい」 「ちょっと用事。仁王いる?」 「仁王?」 「うん」 「アイツ、まだ来てねぇよ。委員会でちょっと遅れるんだと。なんだ?仁王に用?」 たまに立海の練習を覘きに来る芥川だが、あくまで自身のテニス部がオフの日や自主練の時に来るため、金曜のように氷帝学園の高等部テニス部が『通常練習』の曜日に来ることはまずない。 (中学時代はそれでも、部活をサボってまで神奈川へ見学に訪れたこともあったが、当事の部長にしこたま怒られ反省したらしい) 「んー…」 「30分くらいかかるみてーだから、まだ来ないぞ、多分」 「…じゃ、丸井くん、頼んでいい?」 「うん?」 一瞬困ったように眉を寄せ金髪を片手でかきながらも、すぐさまいつもの笑顔で『まあいいや』と呟き、リュックから何やらゴゾゴゾと取り出し丸井へ差し出す。 数冊の本と、映画のDVD? 「これ、仁王に借りてたヤツなんだけど、渡してくれる?」 「本と、DVD?」 「映画のブルーレイと、こっちは建築の写真集。年内に返す予定だったんだけど、すっかり忘れててさ」 「建築?お前、そんなの見るっけ」 「ううん、妹がコレ系好きでさ。あいつが好きな建築家の作品写真集で絶版になってるヤツなんだけど、偶然仁王が持ってて」 「そっか。じゃ、これ返しとけばいいんだな?」 「うん。よろしく。じゃあ―」 「なんだもう帰るのか?」 仁王へ借り物を返しにきたとはいえ、まだ来て数分かつ練習も見る気配がない。 芥川の『立海訪問』にしては珍しいとの丸井の問いには、肩をすくめて面倒な用事があると残念そうに視線を落とした。 いわく、見学したいところだが差し迫った予定のせいでトンボ帰りしないといけないらしい。 「学校の海外研修で、これから出発なんだよね」 「え、どこ?」 「スペイン。今夜の羽田発で乗り継ぎ」 「ちょーいいじゃん、羨ましい」 「えぇ〜?じゃあ代わってよー。まじまじ、面倒だしさ」 「無茶いうな」 本来は金曜日も通常授業と部活があるのだが、『海外研修』に選ばれた生徒は午前授業のみで午後は免除。 各自帰宅し準備のうえ、夜の羽田空港出発ターミナルで集合なのだとか。 研修詳細の説明は割愛した芥川だったが、テニスは関係ないらしく氷帝学園ならではのプログラム・学習要綱の一貫のようで断ることも出来なかったらしい。 「いつ帰ってくんの?」 「ちょうど一週間。次の金曜とーちゃく」 「結構行くんだな」 「一応、学習・研修の名目で行くけど、自由時間と観光入ってるから。 そんなにガッチガチでもないんだけどね」 「やっぱ羨ましい」 「えぇ〜?遊びにいくならいいけど、学校単位だし、知ってるヤツと一緒でもないしさー」 「そんなモンかねー。スペインだろ?俺ならバルと、カフェと、レストランと…」 「オレそんなに食えねぇし」 丸井の思い描くスペインといえば、美食、サッカー、そしてガウディ。 中でも『食』に関しては、いつか行ってみたいとリストに入る国のひとつであり、今は閉店してしまったが以前世界一のレストランと異名をとったところもスペイン! イベリコ豚、オリーブ、オレンジ、タパス……小皿で色々な種類を食べるなんて、楽しすぎる。 チュロスだってスペイン発祥だろい!? …なんてキラキラした目で勢いよく喋りだす丸井に、ヤレヤレと思いながらも『スペインのチュロス、甘くないよ?日本のやつと違うもん』と教えてみても聞いちゃいない。 「なー、なんかお菓子かってきて」 「お土産?何か買ってくる予定だけど、お菓子でいいの?」 「うん。ウマイやつ。スペインだから、チョコかなー」 「甘いの?スパイス系?それともホットチョコとか、ドリンク系?」 「ジロくんに任せる」 「う〜ん」 普段は甘いものが大好きな丸井だけど、いざ『スイーツ』ジャンルになると自身も作るためか、最近は『予想外のもの』をあげると喜ぶ傾向にあるので、ここは素直に甘いチョコレートよりもスパイス系チョコがいいのかもしれない。 けれどもハワイ土産の時は、ど定番のパイナップル型クッキーに大喜びしていたので、お土産を選ぶ際に『予想外のもの』か『定番土産』の見極めには少々手こずったりもする。 (最終的に『めんどくさいしー』となり、目に付いたものを買うケースもあるのだけれど) まぁ、中学時代からの仲良しな友達で、互いに旅行に行けばお土産を贈りあう仲でもあるので。 「おっけー、じゃ、チョコ系ね」 「よっしゃあ。楽しみにしてるなー!」 「は〜い」 「あー部活だーこれから。ハラへったー」 「まだ始まってないじゃん」 毎度の台詞とはいえラケット握る前から『腹減った』とお腹をさする丸井に、しょーがないとポケットを探ってみると、本日こちらに来る前に氷帝最寄り駅の街頭で配られていた一口サイズのボンボンが出てきた。 来週に控える女の子の一大イベントの新作らしいトリュフチョコレートで、ミルクとプラリネを1種類ずつ貰ったのだが、ミルクは電車の中で食べてしまった。 「溶けてないといいけど。ハイ」 「くれんの?」 「街頭で配ってたチョコだけど、たぶん美味しいと思う」 「さんきゅ」 「オレからのハッピーバレンタインってことで」 「うん?バレンタイン?」 「そ。来週、バレンタインでしょ」 「おー!…って、貰いモンだろい」 「えー?いらないの?オレからのバレンタイン」 「いるいる。有難くいただきます。今年もらうバレンタイン第一号な」 「今年はどれくらいもらえますかね〜」 「仁王に勝つ!」 「幸村くんじゃなくて?」 「アレは別格。断トツだし、勝てる気がしねー」 「ふ〜ん。ま、頑張ってね」 「おう。じゃ、気をつけて行ってこいよー」 「はーい。じゃあまたね」 ユニフォーム姿の丸井に別れを告げ、来たとき同様、慣れた足取りで正門へ向かっていく。 ここからバスに乗り電車を経て自宅へ到着する頃には、空港へ向かわなければならない時間になるだろうから、中々にハードなスケジュールだ。 借り物を返却しに来るのは特に今日でなくても良かったのだが、思い立ったが何とやら。 もう一人の仲の良い立海生に、渡航前に会っておこうと思ったとか思わないとか。 とりあえず会えなかったのは仕方ないので、赤い髪の友人に全てを託して日本を旅立つとしよう。 そして。 芥川が去った40分ほど後に姿を現した借り物の持ち主たる彼は、チームメートに渡された本とブルーレイに一瞬思案したものの。 貸した相手を思い出し、即座に『きたのか?』と問うも、既に帰っただけでなく今夜から日本を離れると聞いて直接受け取れなかったことに、密やかに肩を落としたのだとか。 ただ、本に挟まっていた銀色の紙に― 「なんじゃこのゴミ……まぁた何か食っとったんか」 「あ、捨てんの忘れてた。悪ィ」 「チョコ?」 「おう。バレンタイン」 「早いじゃろ。もう貰ったんか」 「今年のバレンタイン第一号。さっきもらった」 「…さっき?」 「これ、ジロくんからのバレンタイン」 「は?」 「お前の返しにきたついでに貰った」 一瞬、それはお前にではなく俺へではないのか、と『借りたお礼』的なものだろと出掛かったものの、違ったら恥ずかしいし、そんなに欲しかったのかと問われるのはもっと勘弁願いたい。 スペイン土産を頼んだとはしゃぐ丸井をよそに、委員会なんぞはサボってとっとと部室に来ればよかったと後悔するも遅し。 彼の帰国は来週の金曜だというのだから、もし金曜当日に立海にきて土産の『チョコレート』を丸井なんぞに渡されたら、それこそバレンタイン当日もチョコが丸井に渡ってしまう。 それだけは断固阻止。 いつものように、きっと丸井だけでなく他のメンバーの分もまとめて買ってきてくれるはずだから、芥川の帰ってくる来週金曜から一週間は、彼がいつ来てもいいように一分一秒の遅刻もするものかと心の奥底でひっそりと誓った。 ―バレンタイン一週間前の出来事。 >>2月14日? >>目次 |