自室で音楽流しながら最近友人に借りた世界の博物館・美術館をまとめた建築写真集を眺めていたら、ノックなしにドアが開かれずかずかと入ってくる中学生がひとり。 …いくら言っても、ノックもせんし遠慮なく入ってきすぎじゃけぇ。 (もっとも、コイツに限ったことではなく、姉ちゃんも同じだ) 「兄貴。ちょっといい?」 「…どうした?」 立海大付属中学2年生の弟は、ちょうど3つ差なので小学校を卒業してからは同じ校舎に通うことが無い。 それでも立海は中等部と高等部が同じ敷地内にあるので、他の中学・高校に通うよりは一緒の空間にいるのだろう。 けれどコイツはテニス部ではないし、高等部と中等部では始業時間も少し違うので、家を出る時間、帰宅する時間もバラバラで、学校は高等部・中等部ともにかなりの生徒数を誇るため校舎内や購買をはじめとする施設で顔をあわせることもほとんどゼロ。 もっとも弟にしてみれば、兄貴が『全国大会優勝の立海大付属高校テニス部』ということで、中等部の校内新聞にも取り上げられたり、クラスメートにその話をふられるらしいので、『学年・校舎は違うけど兄貴のことはすぐ耳に入る』と言う。 弟との仲はというと、ブン太のところのようにベッタリではないけど、かといってまったく話さないワケでもない。 もっともブン太のチビどものように人なつっこく明るければ可愛がろうって気にもなるが、コイツの場合はよく周りに『やっぱり兄弟、よく似てる』と称されるためか、互いがなかなか心の内をさらけ出すことは無い。 一応兄貴やけん、コイツがだいたい何考えてるかくらいはわかっとうし、それはコイツも同じことらしい。 外では『詐欺師』だペテンだ言われて、それを楽しんでいる自分もいるし、本心・本質を見せるなんてもってのほか、ちゅうことでのらりくらりかわして、周りをからかい過ごしている。 けれども身内相手にはまったく通用せんし、姉貴なんぞはもの凄い眼力の持ち主で、じっと見られたら何考えているか一瞬で看破される。 さすがに弟は姉貴ほどではないが、それでも中学2年生の中にいればその鋭さと利口さ、本心を覆い隠す巧みさは異質だろう。 子供らしくない、とでも言えばいいのか。 「ちょっと頼みがあるんだけど」 「ほー。めずらしいな」 自分自身を言葉にする……というワケでもないが、普段は外で散々繕って色んな仮面をかぶってはいるけれど、反対に家の中では割とまっさらで何も考えず素のままでいることが多い。 そりゃ中学初期の頃は、それでも家族相手に騙くらかそうとしたり、練習相手とばかりにペテンにかけようとした……が、結局は全て空振りに終わって、無駄なことを悟った。 『家族まで騙せるようになれば、完成じゃ!』 そう思っとった時期もあったが、『あんた…アホなことやっとらんと』という姉ちゃんの冷たい視線にさらされて、我にかえったといえよう。 まぁ、今でもたまに家族相手にトライすることもあるが、一種のコミュニケーションとでも言おうか。コイツはたまに引っかかるので、それがまだ救いかもしれんな。 (家族全員に相手されんくなったら、悲しか…) 「あのさ、ジローちゃんって氷帝だよな?」 「芥川?」 『弟の頼み』と『芥川が氷帝』に一体どんなかかわりがあるのか。 頼み=芥川へ、なのか、それともあえて『氷帝』と出るからには『頼み=芥川』ではなく『頼み=氷帝』にかかることか? ブン太や赤也と一緒に、何度かこの家に遊びにきたことがあるから、弟も芥川とは顔見知りだ。 それに、たまに立海見学の道中で道をふらふら歩いている芥川に遭遇することもあるようで、帰り道に迷ったヤツを駅まで連れて行ったことも、一度や二度ではないらしい。 (なんだかんだ立海のテニスコートに3年以上通っている芥川が、なぜ帰り道に迷うのかはいまだ謎) 「氷帝の文化祭に行きたい」 「文化祭?」 いくら中等部よりも高等部のほうが文化祭関連は充実しとるとはいえ、他校の文化祭になんぞに中学生が行って、何が楽しいんか。 それに、行くなら勝手に行けばええ……なんて考えが顔に出てたのか、弟はため息をついて首をふった。 「氷帝はセキュリティが厳しいから、文化祭は基本身内じゃないと行けない」 「ほー。」 それは初耳だ。だから芥川か? なんじゃこいつ、芥川の身内ということで潜り込む気か? 確かに11月に氷帝で文化祭があるっちゅうことは芥川から聞いとう……『ヒマだったら来てよ〜!』というお誘いとともに、日程表をメールしてきたような。 携帯の画面をつけてメール履歴をあさり、芥川からの文化祭メールを………あった。 「2日目は午後から夕方まで一般開放もしとるけん」 それに、他の日だとしても生徒の身内・知り合いならIDを発行してもらえれば入れるらしい。 多少の制限はあるようだが、生徒の家族や親戚含め親しい間柄かつ身元がしっかりしていれば、事前に申請すればカードが発行され、それで文化祭3日間自由に出入りが出来るというし。 (厳密には身内じゃなくてもいい、と芥川も言うてたしな) 「一般開放なんて無い。全部、生徒経由でカード発行しないと身内でも入れないって」 「ほれ、見てみんしゃい」 芥川からの文化祭お誘いメールを見せると、パッと飛びついて携帯画面をまじまじ見つめる。 ただ、期待していたものとは違ったようで、画面を消すと携帯を返してきて、『これじゃない』と呟いた。 「氷帝の文化祭やろ?」 「これ、高等部だし」 「??芥川は氷帝の高等部だから、当たり前んこと―」 「俺行きたいの、中等部の文化祭」 「…は?」 それこそ意味わからん。 知り合いがいるわけでも無いのに、何かと凝っている高校と違い中学の『他校』の文化祭なんぞに行って何が面白いのか。 それに芥川は高等部。 中等部の文化祭に―まぁ、本人は氷帝生やけぇ問題なく入れるだろうが、その身内やら友だちやらは氷帝とはいえ高等部の生徒を通して中等部文化祭のID発行できるモンなのか? 「ジローちゃんに頼んでくんない?」 「氷帝の文化祭に何しに行くん?」 「……自分で頼む。ジローちゃんの連絡先、もらうよ」 「おっと、そうはさせんぜよ」 先ほど返された携帯を取ろうとしてきたので咄嗟に上にあげて、奪われないようにかわす。 芥川に頼むのは別にええが、連絡先を教えるワケにはいかんけん。 「…頼むよ。どうしても行きたいんだ」 いつになく、というか珍しく真剣な弟の顔をしげしげと見てみる。 コイツがこんなに真面目に、頼み込んでくることはあまりない。それほど氷帝の中等部文化祭に行きたいのか? 「中等部文化祭は一般開放無いんか?」 「高校はあるかもしんないけど、中等部は完全に生徒と関係者だけで、ID不可欠なんだ。ジローちゃんなら氷帝生だし、ID発行できるだろ」 「高等部でも中等部の文化祭ID、発行できるんかのぅ」 「出来なくても!ジローちゃん、テニス部の後輩も中等部3年にいるから、お願いすればー」 「あー、わかったわかった」 ほう。 芥川を使って氷帝中等部のテニス部後輩に頼ませてでも、文化祭IDが欲しいのか。 まぁ、珍しい弟の頼みごとじゃけん、聞いてやらんこともない。 それに芥川のことだ。コイツがここまで母校の文化祭に出たがっていることを知れば、キングにでも頼み込んで特別にID用意してくれるかもしれんしな。 (キングは芥川に激甘やねぇ) …あ。 ちょっと待て。 別にキングに頼まんでも、テニス部後輩にお願いしてもらわなくても、芥川本人で解決できる。 すっかり忘れとったけど、アイツ妹おるけん。 氷帝の小学生の印象が強かったが、そういえば今年中学に進学していたので、今は立派な氷帝学園中等部一年生だ。 『雅くん、いらっしゃ〜い』 『…まだ寝とるん?』 『せいかーい。昨日の夜は、ちゃんと朝8時には起きて準備するーって騒いでたんだけどね』 『今、10時』 『うん。思いっきり寝坊。10回くらい起こしたんだけど、今日はかなり手ごわい。布団から離れない』 『スペシャルな起こし方はせんの?』 『やりすぎちゃって。今後アレやったら絶交〜!!ってウルサイから』 『絶交…』 『ね、ほんっと、ジロ兄ィ子供なんだから』 以前この家に来た時に、縁側で寝こけている芥川の鼻をつまみ、口を押さえて空気の逃げ場をなくし、息苦しそうにしたところで思いっきり雑誌て頭をぶったたくという強烈な起こし方を目撃した。 これやると一発で起きると豪快に笑っていたが、起きた芥川は半泣きで『それ止めてよぉ〜まじ、苦しいんだかんね!』なんて不機嫌な顔をして、妹に文句を言っていた。 ―友達が来ているのに延々と起きない方が悪いのだ、いい加減高校生にもなってひとりで起きれないとか止めてくれ。 妹の一言一言に、どれも反撃できず沈没していた、そんな芥川兄妹のやり取りを思い出す。 『ジロ兄ィのおともだち?立海大??ブン太くんと一緒?』 初めて会ったのは2年前、芥川の家のある商店街の本屋。 兄と同じふわふわしてるだろうひよこ色の髪をだんごにくくって、大きな目をくりくりさせながら、これまた兄と同じ強い目でじっとこちらを見上げてきた。 『ブン太くんと同じ、立海大付属中テニス部の、仁王雅治。シクヨロ?』 ブン太の声色を真似て名乗れば、隣の兄貴の方は目を輝かせて『まじまじすっげぇー!同じ声だった、今!』と大ハシャギ。 そして妹も同じように目をキラキラさせて『まじまじすっご〜い!!ブン太くんだった、いま!!』―感激してくれた。 『いつもお兄ちゃんがお世話になってます。氷帝学園幼稚舎5年生、妹の芥川―』 とても芥川の妹とは思えないしっかりとした口調で自己紹介された。 それから芥川の家に行くと何度か顔を合わせ、芥川行きつけのカフェは『芥川家行きつけ』だったらしく、カフェで顔を合わせることも少々。 こうやって交流を持った友達の妹かつ他校の下級生は、そういえば今となっては氷帝学園の中学生か。 これは芥川に頼まんでも、あいつの妹に直接頼めばなんとかしてくれるかもしれんな。 (連絡先も交換しとることじゃけぇ) 携帯の電話帳、『芥川慈郎』の次に登録されている芥川妹のアドレスに、そのまま弟の頼みごとをお願いするのもアリかもしれん。 「芥川に聞いとく」 「!!ほんとか」 「ほんとだ」 「頼む…」 「……ま、アイツも中等部の文化祭、行くかもしれんしな」 高等部とはいえ妹が中等部に通っとるとなれば、中等部の文化祭にも顔出すかもしれんしな。 という意味での呟きだが、弟は勘違いしたようで『テニス部の後輩のところに顔出すとか?』と言ってきたため、それもあるかもしれんがと前置きをしたうえで、最もな理由のほうを告げてやる。 「身内がおるけん」 「え、ジローちゃん、兄貴だけじゃなかったっけ?」 「どっちもおる」 3キョーダイの真ん中だと教えてやると、なにやらしばらく考えこんでは、伺うようにこちらを見てくる。 …今度はなんね。 「…弟?妹?」 「妹。ソックリじゃけぇ。ふわふわして、可愛い子だ」 「ちなみに学年は?」 「今年入学の1年」 「中1で、『芥川』?!」 「なんね、急に」 「ねぇ、ジローちゃんの妹の名前って―」 普段どちらかというと感情をあまり表に出さない弟にしては珍しく、少し興奮しているのか、口調が慌しくなっとる。 出てきたのが芥川妹の名前だったので知り合いなのか尋ねると、夏休みに千葉の海で行われた2泊3日のキャンプで出会ったのだという。 立海だけでなく近隣の中学校各学年数人ずつ、他校と交流を結ぶ目的のイベントだったようで、そこに芥川妹も氷帝学園として来ていたんか。 ちゅうか、こいつのこの反応… 「お前、まさかー」 氷帝学園『中等部』の文化祭に行きたい理由。 セキュリティが厳しく、一般ではまず入れないハードルの高い私立に、実兄に頼み兄の友達経由でなんとかIDをゲットして欲しいと懇願するくらい、行きたいワケ。 弟の頼みごとの先に見えてくるのは、満面の笑顔で実の兄を雑誌でぶっ叩いて起こす少女の姿。 「お前の好きな子って、芥川の妹なん?」 「っ!!」 ストレートに口に出したら、みるみるうちに頬を染めて、真っ赤な顔で口をぱくぱくさせ、声にならないうめきをあげだした。 …可愛いところ、あるけん。 「まぁ、お兄様に任せときんしゃい」 冷静で起伏のあまり無い弟が、珍しく年相応の顔を見せているのが何だか可愛いらしく思えて、頭をなでなでしてやった。 たとえ身内以外にはID発行は難しいといわれても、そんなの何とでもしてやる。 可愛い弟のためならば〜♪ 鼻歌まじりにリズムをとりつつ、芥川へメール一本。 何かあればキングにでも頼むとするか。 ついでに俺も行くとしよう。 (さらに芥川も一緒にまわってくれるよう誘うことにする) こいつが芥川の妹の前で、もじもじしている姿は見とかんといかんぜよ。 「……兄ちゃん、ほんま、頼むけぇ」 「オーケイ」 ぽんぽん頭を撫でていたら、久々に弟から地元の方言が出てきた。 小学校低学年で神奈川に引っ越してきたからか、徐々に弟はこちらの言葉に馴染んでいって、今では普通に標準語を話す。 イントネーションは若干違うこともあるが、今となっては寝ぼけてる時やテンション高いときくらいしか出てこない。 姉貴もすぐに馴染んでイントネーションも完璧にこっちの言葉を話すから方言を使うことは家の中くらいしか無いが、弟は家の中でも標準語だ。 さては小学校でからかわれでもしたんかのぅ。 俺は標準語で話すこともあるが、たいていは使い慣れた地元の言葉と、周辺の方言を適当に混ぜて話すことが多い。 誰にも地元は教えて無いし、バレたら終わりじゃけぇ。 参謀は知っとるかもしれんがの。 『仁王くんって、九州出身?どこどこ?』 『四国でしょ?』 『えぇ〜?関西だよねぇ』 あれやこれやともう何百回と探られとるが、どれも煙に巻いて終了。 言うわけにはいかん。 『なんでそんなに隠すのかわけわかんねぇ。ジャッカルみたいにブラジル出身とか、堂々と言えよ』 『ブラジル出身ナリ』 『なわけ無ぇだろい!』 『…プリッ』 テニス部入部当初は、言葉のトーンが違うためかチームメートらにあれこれ聞かれたものだが、のらりくらり交わしていたらやがて聞かれなくなった。 別に隠してるわけでもはなく、最初はただ単にからかってるだけだったが、だんだんとそれがベースになっていき、『出身地がバレたら終わりじゃけぇ』で統一することにして、テニス部以外の誰に聞かれても適当に返すようになった。 弟の『兄ちゃん』もずいぶん久しぶりな気がして、こっちに引っ越してくる前に、地元の野山をかけまわりながら後ろを必死についてきていた幼い頃を思い出す。 今となっては『兄貴』と言っとるが、昔は『にいちゃん』で、今よりも感情の起伏が顔に出るタイプの子供やったけぇ。 越してからこちらの小学校に通い、方言を使わなくなってどんどん大人びていったコイツも、咄嗟に出るのは生まれ育った地の言葉で、照れくさそうに顔を背けて『兄ちゃん』と呟く言葉は小学校低学年のまま。 そう、何も変わっとらん。 さて、弟の可愛い恋のために、一肌脱ぐとしよう。 早速きた芥川からの返信は『オッケー!』の一発。 ついでに添えられていた『中等部の校門で待ち合わせる?それとも家くる?』には、もちろんと芥川家に迎えに行くと再返信。 当日はコイツを連れて、芥川と一緒に氷帝学園中等部の校門をくぐるとしよう。 無論、芥川妹のクラスへ一緒についていくのは言うまでもない。 楽しみじゃのー (終わり) >>目次 |