待ち合わせは日曜13時、青春台公営コート付近の公園。 その近くの高級住宅地に知る人ぞ知る和菓子屋があり、春は限定の桜餅がでているらしい。 『それ買ってきて』 こんなやり取りはしょっちゅうで、彼の『食いたいな〜』や『あそこの店の新作、気になンだよなー』を聞き漏らさず、一つずつ叶えてきた。 見返りなんて求めているわけもなく、彼が大切な休みの日に自分と会ってくれて、時おりテニスの相手をしてくれて、楽しそうに笑ってくれて。 それだけで幸せな気持ちになれるのだから、自分は単純な人間だななんてふとした瞬間に思うこともあるけれど。 出会った当初は優しく声をかけてくれて、待ち合わせの数分前には到着し、相手が遅れてしまっても文句の一つも言わず、『まぁた寝てたんだろ、ジロくん』と頭を軽くポンと叩くだけで、笑顔で待っていてくれた。 それが、いつからだろう? 遅刻しないようにだいぶ早い時間に待ち合わせ場所に着いて、彼を待っていようと決めてから数ヶ月。 確かに自身の遅刻は無くなったけれど、今度は彼の遅れが目立つようになった。 最初は『悪ぃ、電車が―』と遅れた理由を添えて謝ってくれていたけど、徐々にそれが無くなって、……といえど、待っているとしてもベンチで寝こける率が高く、結局は遅れた彼に起こされるのだから、彼が毎度待ち合わせ時間に遅れることに関しては思うところは無い。 ただ、ここ最近は1時間近く遅れてくることに、少し不思議に思っていることは確かだ。 「じゃあ、毎回1時間遅刻するの?」 「んー、だいたいそんくらいかも」 「なら待ち合わせを1時間遅くすればいいんじゃない?」 「んー、そうなんだよねぇ」 丸井の希望する桜餅を無事ゲットし待ち合わせの公園へ向かおうとしたら、家が近所らしい他校の友人が同じく和菓子屋にやってきた。 聞けば小さい頃からの馴染みの店のようで、母親の頼みで季節限定の桜餅といくつかお茶菓子を買いにきたそうで。 そろそろ13時なので久々に会う他校生とじっくり話しをする時間は無いけれど、最近の傾向を思えば公園についても約1時間は来ない……なんて頭をよぎれば、少しくらいはいいかなという思いがわいてくる。 中学三年の関東大会で対戦して以来、合宿、練習試合含め何かと青学とは縁があり、高等部になっても互いのテニス部は良い関係が続いている。 卒業とともに正式にドイツに旅立った最強の男がいなくなった青春学園。 高等部はただの地区強豪にすぎなかったものの、入学してすぐの夏の大会で全国の強豪に押し上げるほど活躍をとげたのは中学時代青学ナンバー2と呼ばれ、今やナンバー1の男として部を牽引するエースの実力によるもの。 対する氷帝学園も名物だった最強の部長が生まれ育った英国に戻ってしまい、中等部ほどの活躍は期待できないと囁かれていた高等テニス部。 しかしながら中等部で主力をになった生徒たちの高等部進学と入部、各自の活躍ももちろんながら中学時代はナンバー2と言われながらもその素行と寝坊癖でいまいち実力が発揮できていなかった2番手が、うってかわって真面目に取り組むようになったことで見違えるほど成長した。 青春学園と氷帝学園。 いまや互いの部を代表するエースとして近隣だけでなく全国でも名をはせている二人は、バリッバリのライバルで火花を散らす関係と思いきや、会えばにこやかに会話し、何なら青学エースが天真爛漫な氷帝エースの頭をナデナデする、なんてシーンがちらほら見かけられるほど、良好な関係だったりする。 テニスに関しては部の行事で度々顔をあわせ、交流を続けている二人ながらオフで会うことはさほどない。 互いの携帯連絡先を交換してはいるものの、テニス関連以外は休みの日に出かける仲では無いので、こうして偶然出会うとついつい嬉しくなって、少し話したくなるというもの。 それは青学エースも同じようで、特に『母親のおつかい』というからには特段用事があるわけでもないらしい。 つまりは暇だと言っているも同じで、そこへ普段はこのあたりで見かけない他校生がいれば声をかけるのも必然。 不二とは違い芥川は『待ち合わせ場所へ向かう途中』なのだと聞けば立ち話で拘束するのも気が引けるものの、何気なしに交わした会話で、いまだ丸井とは仲良しで定期的に休みの日に食べ歩き、テニス、買い物、と遊んでいると嬉しそうに語る彼に、ついついそのふわふわのひよこ頭を撫でてしまった。 けれどもどうやら最近、待ち合わせには必ず遅刻してさらには1時間以上もこないのもザラだと聞けば、その秀麗な眉をひそめて ―何やら思うところがあるらしい。 時間なので公園に行かなきゃと呟く芥川を言葉たくみに誘い出し、公園近所のカフェへ連れて行き『丸井との最近の待ち合わせ事情』を詳しく聞きだしたとたん、美しい尊顔を歪めた。 (会って遊ぶくらいだから、芥川が嫌いってコトじゃないだろうけど。何考えてるんだか) 1時間近く遅刻されることは、芥川的には怒ることではないらしい。 ただ、少し悲しくて、ちょっぴりさびしいと、ほんの少し、ちょっとばかり感じてしまうだけで……この本心を言うまで時間を要し、何度も何度も『ほんのちょっと』を連呼していたので、丸井本人には到底言えない感情なのだろう。 さらには待ち合わせ場所で寝てしまう芥川を起こしてくれるのだと、『遅れる』点ではなく『起こしてくれる』と丸井を擁護するのだから、ただ仲の良い友達同士とも異なるような二人の関係に、つい疑問も生じてしまう。 不二の口のうまさについつい言ってしまい、『しまった!』という顔をしたので、誰にも言わないよと微笑めば、安堵したように深い吐息をこぼした。 そもそも芥川は待ち合わせに間に合うよう来ており、何なら少し早めに着いているけれども相手がこないので、ついつい寝こけてしまって大幅に時間が過ぎるのだろう。 気づけば1時間といったところか。 何を思い毎度遅刻するのか? それは丸井にしかわからないのだろうけど、『起こしてくれるし、優しいんだよ』などと遅刻をかばうかのような発言を芥川にさせるのは、同じ友人として少し気になる。 …と感じるくらいは、芥川のことを可愛がっている自覚は不二の中にある。 『寝ちゃったら1時間なんてあっという間だし、起きたら丸井くんいるから。 けど、頑張って寝ないようにしていると1時間がすごく長くて。…待ってる時間が、なんだかさびしぃ』 困ったように眉をよせてふと見せた寂しそうな顔。 すぐさまいつもの笑顔でにっこり微笑んだものの、一瞬見せた表情が彼の本心を語っているのだろう。 (まさか芥川には何を言っても、何をしても許されるとでも思ってるんじゃないだろうね) 丸井ブン太とは? 我侭で自己中心的なところもあるが、仲間思いで面倒見がいいので後輩にも慕われて、友達も多い。 年上や同級生からは、我侭で自己主張もきっぱりするものの明るいムードメーカーとして場を盛り上げてくれる可愛い後輩、楽しい同級生、と評判は良い。 年下からは可愛らしい外見とは裏腹に、腕っ節も強く俺サマな先輩だけど、何だかんだ可愛がってくれるしその面倒見のよさから、いい兄ちゃんかつ友達感覚の先輩として人気が高い。 つまりは周りは彼を『いいヤツ』だと言うし、不二としても合同合宿や試合で相対し、彼の人となりは ―表面上かもしれないけれど― 接したうえで実際にその通りだと思っている。 丸井に憧れて目を輝かせ、ぐいぐい寄ってくる芥川に当初は戸惑っていたらしいが、すぐに意気投合し傍目に大の仲良しだとわかるくらい、親しくなっていった二人。 立海の練習見学にいく芥川、の図は中学時代からのお決まりのシーンだというし、休みの日に遊ぶことも芥川本人から何度か聞いていたので知っている。 『丸井の奴……ジローを泣かせたら、タダじゃおかねぇ』などと中学時代に氷帝の名物部長が苦々しく話していたのを覚えている。 いったい何のことだと当事は気にもとめていなかったけれど、今となっては跡部はこの状況を見越してでもいたのだろうか? 「まるいくん……オレと遊ぶの、本当は面倒くさいって思ってるのかもしんないね」 「芥川…」 「もう時間過ぎちゃってるけど、連絡無い、から」 以前は待ち合わせ場所に到着すると『着いたぞー!』と連絡をくれて、芥川がいなければ『ジロくん、今どこ?』と逐一メールをくれた。 遅れる場合も『ごめん!ちょっと遅れる』と必ず携帯に一報が入っていたけれど、いつしかそれが無くなってきて、特にここ数ヶ月は芥川の方が早く着いているので殆どが『待つ身』であるのだけれど、遅れることへの連絡は皆無。 いくら芥川はどうせ寝ているだろうと思っているからとはいえ、一言も無く平気で1時間待たせるのはいかがなものか。 寝てしまえばさほど丸井の遅刻を実感しないようだが、こうしてバッチリ目覚めている状態で、さらには待ち合わせ時間を過ぎてしまった今、何の連絡も入らない自分の携帯を眺めて、あらためて悲しくなってしまったらしい。 どうせ寝ている ―と思っているのであれば何も1時間遅れて来なくても、芥川が待ち合わせ時間を守っていることを知っているのだから、ちゃんと時間に来て起こせばいいだけの話だ。 そして、60分待たせるのであればそもそもの待ち合わせ時間を1時間遅くすればいいのに、なぜそうしないのか。 不二の疑問もごもっともながら、芥川いわく待ち合わせ場所と時間は毎回丸井が決めるらしい。 1時間も遅れる理由がちゃんとあるのなら、前もって芥川へ連絡を入れておけばいいもののそれも無いというのだから、わざと待たせているとしか思えない。 話し始めた当初は躊躇していたが、つい本音を言ってしまった今、多少は楽になったのか。 寂しそうに微笑んで、一緒に遊ぶことが本当は嫌なのかもしれないと最近の丸井への思いを吐露する芥川へ、『嫌ならそもそも遊ばないよ』と慰めの言葉をかけるものの、嫌ではないだろうが実際は何かがあるのだろう。 丸井の性格からして嫌なことはきっぱり言うタイプだろうし、表情豊かなので思うことが顔に出やすい男だ。 何なら待ち合わせの公園に一緒に行って、遅れてくる丸井がどんな顔してるか見てやろうとも思ったけど、芥川の困った顔を思い浮かべたら止めたほうがいいだろうと思いとどまった。 「聞いてみればいいじゃない。芥川は遠慮するタイプじゃないだろ?聞きたいこと、思ってること。本人に言ってみなよ」 「ううぅぅぅ…でも、それでもし、丸井くんが遊んでくれなくなったら……嫌われんの、ヤだC〜」 「君を嫌う人なんて、いないと思うけどなぁ」 なんせ青学の鉄面皮―ならぬ、真面目で寡黙な中学時代の部長様が、合同合宿では芥川の天真爛漫さに目をほそめ、オヤツを買ってあげていたし、ラリーの相手もしてあげていた。 氷帝の王様は入学当初からそんな状態だったようで、起きない彼に教育的指導を施すのではなく後輩に担がせ運ばせては、毎日下校時にはちゃんと帰っているか確認してから帰路についていたらしい(もちろん寝ているところを見つけらたらリムジンで送り届けていた)。 中学テニス界の皇帝も、チームメートには合宿にお菓子を持ち込むなんて何事かと怒鳴れても、その隣でお菓子をぼりぼり食べていた芥川には何も言えなかった。 『そりゃあ他校を抜きにしても怒鳴れないよね。あんなに美味しそうにお菓子食べてて、しかも少し前に、あの純粋できらきらした瞳でまじまじすっげーなんて技を褒められた直後だしねぇ』 丸井を怒鳴った直後に、隣できょとんとしている芥川を見て押し黙ってしまった真田へ、楽しそうに声をあげて笑ったのは神の子だったか。 かくいうそんな神の子も、打っていると純粋に楽しいからという理由で芥川からのテニスのお誘いを断ることは無く、ついでに可哀想だからと五感も奪わないらしい。 ―待ち合わせに遅れる理由を知りたいけど、聞いたら嫌われるかもしれない。 ―時間にちゃんと来ているとはいえ寝てしまう自分が悪い。 1ミリも芥川のせいではないのに、こうして悩んでいるので、そのふわふわなひよこ頭をぽんぽんと撫でてやった。 「…ふじ?」 「大丈夫。丸井は怒らないし、嫌いにもならないよ」 「そうかなぁ」 「もし怒っちゃったら、僕の所に来なよ」 友達ならケンカもするし仲直りもする。 一方的に遠慮する関係なんて、それは本当に親しい友達といえるだろうか? それに、笑顔でストレートに入り込んでくるのが芥川慈郎という人間だ。 (遠慮なんて似合わないし、君だからこそ周りが笑顔になる。 だから、今いったことすべて、思っていること全部。丸井本人にぶつけてみればいい。 それでケンカしたら、丸井はしばらく置いといて、こっちに来ればいい) 丸井を見限れとまではいわない。 何といっても芥川本人が大好きだと全身で好意を向ける相手だし、丸井の不可解な1時間遅刻も彼なりに理由があるのかもしれない。 けど、どんな意図であれ芥川にこんな顔させるようじゃ、跡部じゃないけど黙っていられないくらいは不二自身も芥川と親しい間柄でもある。 『立海じゃなくて、青学の練習見にきなよ。こっちの方が近いし』 『一緒に打とうか?僕とのテニス、好きでしょ?大丈夫、丸井より強いから』 『芥川の気にしすぎかもしれないだろ?正直に伝えて、それで丸井がヘソ曲げたら戻ってきなよ。ふふ』 意味深に笑う青学の友人は、多少面白がっているのかもしれないが、それでも心配してくれているのだとわかる。 もし本音を告げて丸井と喧嘩してしまったのなら、こちらに戻ってきて一緒に遊ぼうと告げる不二の優しさ、さらには『丸井なんてどうでもいいじゃない』とサラっと微笑むものだから、何だかおかしくてついつい『まるいくん、どうでもよくないC』などと笑顔で返せば、少し沈んだ気分も心なしか軽くなった気がした。 「うん!いってくる。ありがと、不二」 「泣かされたら戻っておいで。慰めてあげるから」 「ぶー!不吉なこと言うなよ〜、本当にそうなりそうだC」 「ふふっ、丸井なんてどうでもいいじゃない」 「また言った!丸井くん、どうでもよくねぇってば!!」 「はいはい。わかったから、行ってらっしゃい」 いつもの元気いっぱいの笑顔に戻り、桜餅の袋を大事そうに抱え、勢いよく立ち上がった。 気づけば待ち合わせ時刻を大幅に過ぎていることにサーっと顔を青くし、『やばいー!!オレが1時間遅刻しちゃうよ〜!!』と慌ててドタバタとカフェを出て行く後姿を眺め、ヤレヤレと目を細めながら、ぬるくなった紅茶で一息ついた。 さて、彼は戻ってくるだろうか? 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