「こんにちは」
可愛らしい笑みを扉から覗かせたのは、雛森副隊長だった。
「こんにちは、雛森副隊長」
何か嬉しいことがあった、あるのだろうとすぐに分かる程、彼女の表情は分かりやすい。
そんなところが可愛らしくて、つい頬が緩む。
「お前、扉を叩く意味を知ってるか」
「返事が聞こえてから開けろ」と言う彼の言葉は雛森副隊長には聞こえなかったのか、「乱菊さんは?」と執務室を見回した。
「お手洗いに行かれていますから、すぐにお戻りになると思います。乱菊さんにご用意ですか?」
「あ、いえ。みんなで食べられれば良いなと思って」
そう言って、雛森副隊長は手にしていた紙袋から平たい小箱を取り出し、来客用の机に置いた。
小箱は可愛らしい柄の包装紙で包まれており、赤色の平たい紐が掛けられている。
「非番に現世に行ったので、お土産を買って来たんです」
「そうでしたか」
彼女が入って来た時から、嬉しそうなのはこの紙袋の中身が関係しているのだろうと十中八九思っていたけれど、それは黙っておく。
「あら、雛森じゃない」
「乱菊さん、こんにちは」
戻って来た乱菊さんは、すぐに小箱に気が付いた。
「あー、これ!現世で人気のチョコレート専門店のチョコじゃない?!」
「そうなんです!バレンタインデー前はすごい人で買えなかったんですけど、終わったからやっと買えたんですよ」
どうやら現世では有名なお店らしい。
私には分からないけれど、客が行列を作る程人気ですぐに売り切れてしまう為、購入するのも難しいのだそうだ。
「だから皆んなで食べようと思って、持って来たんです」
「嬉しい!あたし食べてみたかったのよねぇ」
「お茶をお淹れしますね」
恐らく飲み物も現世のものが合うと思うけれど、ここには緑茶しかない。
ちょこれいとなら、少し濃いめに淹れた方が良いかしら。
そんなことを考えながら給湯室に入り、薬缶を火にかける。
その間も、雛森副隊長と乱菊さんの楽しそうな声が聞こえてくる。
「日番谷君も休憩にして、一緒に食べようよ」
湯呑みと急須を出して、急須に人数分の茶葉を入れる。
「そうですよ、あたし達だけじゃさぼってるみたいじゃないですか」
「お前はいつだってさぼってるだろうが」
薬缶のお湯が沸騰すると、湯呑みにお湯を注ぐ。
「もう良いから、日番谷君もこっちおいでよ」
「いらねぇ」
湯呑みに注いだお湯が適温になったら、急須に淹れて、蓋をして茶葉を蒸らす。
「そう言うと思って、日番谷君と周さんでも食べられるビターチョコも入ってるやつにしたから。あ、ビターチョコって言うのは少し苦みがあるチョコのことね」
三十秒経ったら湯呑みに少しずつ、順番にお茶を注ぎ淹れていく。
「甘いもの苦手な人でも美味しく食べられるって、お店の人も言ってたの」
「だから、いらねぇって。チョコレートは年に一度しか食わねぇ」
ぴた、と私は急須を傾けている手を止めた。
しん、と執務室が静寂に包まれる。
「……それ、惚気?」
「は?」
「惚気ね」
「あ?」
「そうやってさらっと惚気るんだから」
「いつもそうよ、隊長は無自覚に平然と惚気るの」
「はあ?」
はっと我に返り、残りのお茶を注ぐけれど、手元が狂い少し溢してしまった。
「……、」
頬を触ると、やはり熱い。
きっと顔が真っ赤だ。
だって彼があんなことを言うから。
彼がちょこれいとを食べるのは、ばれんたいんでいの年に一度だけ。
つまり、私の作ったものだけ。
そんなことをあんな風に、当たり前のようにさらりと言うから。
そのたった一言に、すごく舞い上がってしまう。
そしてあの、ばれんたいんでいの日のことを思い出す。
一ヶ月弱と言う短い準備期間に、私は猛特訓をした。
前隊長が甘いものを好んでいたから、お菓子は作ったことがある。
けれどそれは和菓子で、洋菓子は作ったことはない。
現世でちょこれいとをいくつか購入して、実際に食べて、調理本、調理器具も購入して、食事作りとは違う勝手に戸惑いながら、練習した。
自室では乱菊さんに知られる恐れがあった為、殆ど空っぽの十二番隊の男子寮、阿近の自室を借りて。
料理と違い繊細で、温度管理が厳しく、失敗しては繰り返し、何度も何度も。
そしてどうせなら彼に美味しく食べてもらいたくて、甘さ控えめのちょこれいとを作る為に試作に試作を重ねた。
その甲斐があって納得いくものが完成し、当日彼に渡したのだった。
彼好みの味に仕上げたつもりだけれど、初めて食べてもらうものを美味しいと思ってもらえる自信はなくて、すごくどきどきしていたけれど、彼は美味しいと言ってくれた。
「こんなチョコレート、初めて食った」
目を丸くして驚いていて、全部食べてくれた。
その後彼にもらった口付けは、甘さ控えめでこく深いちょこれいとの味がして――って、いけないいけない。
こんなことを思い出したら余計に顔が赤くなってしまう。
あんな会話が繰り広げられた後だから、入りにくいことこの上ない。
彼も今頃顔を赤くしているのだろうか。
両手でぱたぱたと熱い顔を仰いで、それから深呼吸を一つ。
けれどまだ、頬の熱は引きそうになかった。
来年も、再来年も、その次もずっと、彼に食べてもらいたい。
君とぎくしゃくしたい
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