「阿近、薬草は…」
「後で取りに来れば良い」
「ですが鮮度が」
「うるせーな、黙ってろ」
薬草のことばかりを心配する彼女に、苛々が増していく。
流魂街の地面は瀞霊廷とは違い舗装されておらず、彼女を抱えた状態ではかなり歩きにくい。
鼻に入る彼女の香りも、着物越しに感じる体温も、全部が益々苛々を募らせる。
「お前、本当に避けられると思ったのかよ」
「え?」
「あんな一瞬で考えられる程、頭の回転が速いとは思えねーからな」
「貴方には怪我人を労わる気持ちがないのですか」
このまま川にでも放り投げてやりたいが、それをぐっと堪える。
「避けようと思ったのは本当です。でも、間近に迫った時でした。それまではそんなこと、思いもしなかった。貴方が怪我をするのではないかと…」
「頭が一杯でした」と言う彼女は、人より随分自己犠牲の精神が強いらしい。
ご立派なことだ。
俺には全く理解が出来ない。
「誰彼構わず助けてたら、いつかお前が死ぬぞ」
「誰彼構わず助けるつもりはありません」
何か気に入らなかったのか、俺を見上げる瞳はどこか挑戦的だ。
「貴方は、私のことを考えてくれたから」
言葉の意味が分からず記憶を辿ると、彼女の分担の薬草を比較的安全なものにしたことを思い出す。
「そんなことかよ…」
呆れて溜息混じりに呟くと、
「私にとっては、そんなことではありません」
少し語気を強めて彼女が言った。
「隊長に拾っていただいてから、そんなことは一つもありません」
その言葉で、理解する。
流魂街の最もひどい場所で生きていた彼女にとって、荻野隊長に出会ってからこれまでのこと全てが、そんなことではないのだと思う。
命を賭けても良いくらい――彼女にとってはそれ程のことなのだ。
「それに、」
ふふ、と彼女が笑ったので、思わず下を見る。
「死ぬようなことがあったら、貴方がどうにかしてくれるでしょう」
何を根拠に言っているのか、何を思ってそんなことを言っているのか、俺には微塵も分からない。
分かりたくもない。
「何を根拠に言ってんだ。俺は根拠のないことは嫌いだ」
「根拠ならあります。でも、内緒です」
そう言ってまた、ふふ、と笑う。
「…くだらねー」
また、俺の頭を、心臓がある辺りを、こうして訳の分からないもので一杯にする。
だから一緒にいるのは嫌なんだ。
「阿近、」
「何だ」
「出血が止まったみたいです」
「そうかよ」
瀞霊廷まであと少しだ。
早く技局に行って、腕の中のこいつを降ろしてしまいたい。
「着いたら局長に縫ってもらって、四番隊に行け」
「貴方ではなくて?」
「は?」
「貴方が治してくれるのかと思っていました」
「まともな治療を受けねーと、痕が残るぞ」
深くて、真っ直ぐではないその傷は、もしかしたら痕が残るかもしれない。
「別に良いです」
着物には隠れる場所と言えど、女ってのは傷痕が残ることをひどく嫌がると思っていたが、どうやら彼女は別らしい。
普通の女と彼女を一緒だと考えることが、そもそもおかしかったと思い直す。
「痕が残ったら、俺が不愉快なんだよ」
見えなくとも、傷痕が残っていると思うと、この言い表すことの出来ない不快感に襲われるだろう。
この先もずっとこんな思いをするのはごめんだ。
「…そうですか」
「それに、お前に借りがあるままってのはもっと不愉快だ」
「貸しなんて、そんなけちなことは言いません」
彼女はそう言ったが、そうかと納得するわけもない。
庇われて、怪我をされて、その上、痕まで残されたら堪ったもんじゃない。
「痕は残さねー。俺がどうにかする」
「ありがとう」
「お前の為じゃねーよ」
そう吐き捨てたけれど、彼女は笑って、
「良かった、阿近が怪我をしなくて」
独り言のように呟いて、目を閉じた。
迫り上がってくる胸糞悪さを、吐き出すように舌を打つけれど、何も変わらない。
だから、だから一緒にいるのは嫌なんだ。
何故こんな気持ちになるのか、いつか成長して理由が分かったとして、それでも彼女の傍にいても良いと思えるだろうか。
崖から落ちてからずっと続いたままの胸の痛みは、いつになれば治るのだろう。
心臓のある辺りを、まるで鋭利なもので刺されているようにずきずきと痛む。
この痛みが何なのか、何故痛むのか、治せるのか、何も分からない。
けれど多分、彼女の傍にいる限り、この痛みが消えることはないような気がする。
特別痛みに弱いわけではない。
けれどこの痛みは、他とは違う。
多分、俺は耐えられないだろう。
「本当に、堪ったもんじゃねーよ」
ぬくもりの悪いところ
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