「だって、私達は…恋人同士ではないでしょう」
眉を寄せて、苦しそうに、彼女は言った。
「……は?何言ってんだ」
彼女の言葉が理解出来ずに、思わず聞き返す。
「お前何言ってんだ」
「貴方こそ、何を言っているんですか」
話が噛み合わない、どういうことだ。
「私、貴方に言われたことがありません」
「何をだよ」
彼女は真っ直ぐ俺を見たまま、またしても震える声で言った。
「…交際の、申込みとか……す、好き、とか」
その言葉で、漸く分かる。
俺はずっと、勝手に付き合っているもんだと思っていた。
彼女は、俺が交際を申し込むことも好きだとか言う言葉もこれまで口にしたことがなかった為に、付き合っているとは思っていなかったらしい。
「嫉妬する理由を聞いても、貴方はちっとも言わないから」
俺がいらいらしている理由を問いただしていた理由も、それだった。
情けないことに、お互い全く勘違いをして何年も関係を続けていたわけだ。
「…言葉足らずで悪かった」
明確に交際を申し込むような言葉を言った覚えはないが、まさか彼女が付き合っているつもりがなかったとは驚いた。
彼女とこういう関係になって、数か月とか半年とか、そんなもんじゃない。
何年、もう十年近い。
だったら期待しても良いんだよな、俺に好意があったから、これまで関係を続けていたと、そう思っても良いんだよな?
同じ気持ちだって、思っても良いんだよな?
「周」
言葉にしようとすると、まるで喉が詰まるように苦しくなった。
ずっと昔から思っていたことなのに、言葉にするのは、とても難しいことのように思えた。
「――お前が好きだ。……つ、付き合ってくれ」
単刀直入に、それ以外の言葉なんてものは思い付かない。
女を喜ばすことが出来る言葉なんて知らないし、知ろうともしなかった。
言って、言葉にすると、非常に恥ずかしく、俺の顔を見て彼女が笑う。
きっとおかしな顔をしているんだろう。
彼女の目尻には、雫が光っていた。
「私も、貴方が好き。子供の頃から、ずっと」
彼女の腕が伸びて、俺の頭を抱え込む。
抱き締めると、これまでになく満たされていく気がした。
「言っても良いですか。周囲の人に、貴方が私の恋人だって、貴方が私のものだって」
「ああ。檜佐木に頼んで瀞霊廷通信にでも書いてもらえ」
くす、と彼女が耳元で笑って、抱き締められる腕に力がこもった。
貴方が私のもの――その言葉に、これまでにない感情が胸に押し寄せる。
彼女が俺のものだと知ったら、あいつはどう思うだろうな。
それも随分前からそうだったと言えば、もしかしたらあいつは失神でもするんじゃないだろうか。
「阿近、」
囁く様に呼ばれた名前。
誘うような艶声に胸がどきりとした。
「…続き、しませんか」
「明日、立てなくなっても知らねぇぞ」
「それは困ります」
俺と彼女は、これまで言葉足らず過ぎたのかもしれない。
いつも言葉は少なく、無言のまま同じ空間にいることが多かった。
約束とか、連絡だとか、そんなことも殆どしない。
これからは、もう少し、出来るだけ気持ちを言葉にした方が良いかもしれない。
「いつから好きだったんですか」
「…覚えてねぇな。お前は」
「…私も覚えていません」
「まぁ覚えてんのは、ガキの頃からお前しか見てなかったってことだな」
そうしたら、彼女はこんなにも愛らしく笑うのだから。
誰にも見せない、誰にもさせることの出来ないその表情は、昔も今も、これからもずっと、俺だけのものであって欲しい。
「好きです、阿近」
取り敢えずは続きをして、それから彼女に伝えようか。
壊れた境界線
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