涙雨の逢瀬 | ナノ
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「あら、明日は雨かしら」

女中の言葉に、思わず顔を上げ、空を仰ぐ。
少し遠い流魂街の方から分厚い雲が流れてきていて、雨が降ることを知らせていた。
明日とは言わず、今すぐにでも降ってしまえば良いのに。
そうすれば、

「紬嬢様?」
「え?あ、ごめんなさい」

空に向けていた視線を戻し、目の前の使用人の青年に微笑む。

「梯子をお持ちしました」

梯子の脚を開き、しっかり固定されていることを確かめる。

「ありがとう。ああ、自分で登れるわ」

梯子に足を掛けた彼を止めれば、「しかし、」と言い淀んでその端正な顔を不安に染める。

「平気よ、梯子も登れない程軟な女ではないわ」

「何なら梯子もいらないくらいよ」と笑えば、彼も笑う。

「脚を支えています」
「ええ、お願いね」
「棘にお気を付けて下さいね」
「ありがとう」

着物の上前の端を掴んで梯子を上り、黄色い実をもぐ。
優しい香りに、思わず頬が緩む。
もいだ実を籠に入れ、梯子を降りる。

「今年も大きな実ですね、良い香りだ」

そう言って、彼が少し、此方に顔を寄せる。

「貴方も一つ持って行く?」
「良いのですか?」
「ええ、手伝ってくれたお礼に」

籠の実を一つ取って彼に差し出せば、彼が笑って手を伸ばす。
ふと、背中に刺さる視線に気が付いて、彼に押し付けるように渡して、手を引っ込める。

「嬢様?」
「ありがとう、伊織」

不思議そうにする彼に微笑んで、踵を返した。

「ねぇ、また庭師が変わったって聞いた?」
「え、あの方は結構お年じゃなかった?」
「その弟子よ。ほら、若い子いたでしょう」
「私は若君の家庭教師が変わるって聞いたわよ」
「本当厄介だわねぇ、名前を覚えるのも一苦労だわ」
「紬お嬢様…!」

調理場に入るなり、女中達はぴたりとお喋りを止めて顔を上げる。

「少しお邪魔して良いかしら」
「ええ、勿論でございます」

女中達の後ろを通り過ぎ、その奥の食材庫へ進む。
調理場を通らないと食材庫へは行けない為、仕方のないことだ。
外からも食材庫に行けるようにして欲しいと、これまで何度思ったことか。

棚から、保存瓶を引っ張り出す。
黄金色よりも濃い色のそれは、もう残り少ない。
昨年作った花梨の蜂蜜漬けだ。
作って三か月程で果実と種は取り出してしまっている為、中は蜂蜜だけだけれど。

「紬お嬢様、私がお作りします」

瓶を持って調理場に戻り、もいできたばかりの実の下処理を始めると、女中の一人が言う。

「自分で作るわ。ありがとう」

女中達は、私が断るとそれ以上は言わない。
昔から、それが女中達の暗黙の了解なのだろう、それがとてもありがたかった。
姉様や弟が相手となれば、そうはいかない。
私が相手だから、彼女達も容易に引き下がる。

切った花梨と小袋に入れた種を新しい保存瓶に入れ、蜂蜜を注ぐ。
蓋をして全体が混ざるように瓶を振り、食材庫の棚に入れる。
今度は、昨年の瓶から残り少ない中身を全て取り出し、お椀に入れる。
そこから二匙を生姜湯の中に入れて、かき混ぜる。
生姜湯の入った湯飲みと、蜂蜜の入ったお椀、それから花梨が一つ入った小さな籠を盆に乗せる。
女中達の視線を浴びながら、調理場を後にした。


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