「ねえさま…?」
廊下の角の前で、可愛らしい声が聞こえて、足を止める。
曲がり角からそっと顔を出したのは、年の離れた小さな弟。
「紬ねえさま!」
私を見るなり、その顔をぱっと輝かせて、角から飛び出して来る。
私の頬も緩み、盆を抱えたまま膝を付き、目線を合わせる。
「山吹」
「しっ…!」
人差し指を唇に当てて、周囲をきょろきょろ見回す。
「お稽古の最中なのですね」
声を落としてそう問えば、山吹は眉を下げて頷いて、「ねえさまの霊圧を感じたので」と、可愛いことを言う。
「蘇芳ねえさまのところへ行くのですか?」
盆を見て、山吹が問う。
「ええ」
「ねえさまにこれを、」
私の頷きに、山吹は嬉しそうな顔をして、懐から折り畳まれた紙を取り出す。
皺になったそれを広げれば、絵の具で描かれた紅葉の絵だった。
「お上手。綺麗な紅葉ですね」
そう言えば、山吹は照れたように笑って頷く。
「外は紅葉が綺麗ですよと、伝えてくださいますか」
外に出られない姉様の為に、外の景色を描いたのだ。
「ええ、姉様にお伝えしますね」
そう頷けば、山吹はにっこり笑う。
きっと、何日もこの絵を懐に入れていたのだろう。
渡したくて、私が現れるのを待っていたのだ。
「ねえさま、」
「?」
山吹の視線の先には、お椀の中の蜂蜜。
匙を二つ用意して良かった。
「お口を、」
山吹は嬉しそうに、小さな口を開ける。
「ん、」
蜂蜜を匙で掬って口に入れてやると、山吹は嬉しそうに口を閉じて、笑う。
「美味しいです」
「良かったです。お風邪を召されませんように」
片手で僅かに緩んだ衿元を詰めて、そっと撫でる。
「はい。ねえさまも」
優しい言葉に、思わず胡桃色の柔らかな髪を撫でる。
「山吹、そろそろお稽古に戻らなくては」
そう言えば、山吹は少し眉を下げる。
そろそろ稽古の師が、いなくなった山吹を探しているだろう。
大事になっては、特に奥方様に知られては、山吹がお叱りを受けることになってしまう。
「お稽古を頑張れば、ねえさまは山吹と遊んでくださいますか」
真っ直ぐに向けられた、髪と同色の胡桃色の瞳。
その澄んだ、輝く瞳に、胸がきゅっとなる。
「……ええ、きっと」
私の返事に、山吹はにっこり笑って、角の向こうへ、稽古部屋へ戻って行った。
純粋無垢な、人思いの優しい弟。