「隊長…!大丈夫ですか?!」
「騒ぐな、恋次。大事ない」
不覚だった。
彼女の望みを聞き、驚き、無意識につい考えてしまい、瞬歩の時機を誤り、久々に出向いた任務で腕を負傷した。
帰還すれば、初めてのことに恋次は慌てふためき、四番隊で手当を受けるよう促される。
大した負傷でないにしろ、執務に支障が出ると、四番隊に出向いた。
「兄様!」
「…ルキアか」
恋次が余計な連絡をしたらしく、治療を受け終わったところへルキアが飛び込んで来た。
「お怪我をされたと、恋次から…」
ルキアが言いかけたところに、またしても扉が開いた。
「あのぉ、こちらの方が朽木隊長にお目通り願いたいと…」
私と隣の彼女を交互に見比べて、困ったように山田七席が言う。
「姉様!」
紬だった。
着の身着のまま、襷を掛けたままだったのだろう、手には襷が握られている。
恐らくルキアが連絡を入れたのだろう。
紫蘭、と彼女の口が動いた。
真っ直ぐに、深刻な表情で此方まで歩いてくると、
「っ!!」
何の躊躇もなく、私を抱き締めた。
朽木家の者としての振る舞いだとか、邸を飛び出し護廷に来たことだとか、一瞬にして吹き飛び、唯驚きに言葉を失う。
彼女の向こうには、唖然とした後顔を赤くして退室する、ルキアと山田七席が映った。
ぎゅっと、音がする程強く、私を抱く腕。
普段、彼女から触れてきたことは一度もなく、東屋で使っていた偽名を人前で呼ぶことは、今では殆どなくなっていた。
「紬」
彼女は、小刻みに震えていた。
顔は見えないが、恐らく泣いている。
「案ずるな、大したことではない」
彼女の背中に手を回すと、彼女は隊首羽織の襟元をきゅっと握る。
「無事で良かった…」
震える声で、絞り出すように言った。
「貴方はいつも危険の中にいて、いつ何が起こるか分からないでしょう。今日は無傷だった、けれど明日は怪我をするかもしれない。今日は帰って来た、けれど明日は帰って来ないかもしれない――毎日、いつもそう思うの」
腕の中で、彼女は俯いたまま、鼻にかかった声で呟くように言う。
「……ごめんなさい。貴方の立場も、地位も、誇りも、分かっているつもりよ。だけど、どうしても心配してしまう、怖くなってしまう」
待っている者の気持ち。
これまで考えたことがなかった。
緋真は何も言わなかったが、彼女と同じように毎日、いつも私を案じていたのかもしれない。
「だから、回道や補給を学びたかったの。もし貴方が傷付いて帰って来た時、何か出来ればって」
彼女が死神の術を学びたいと言い出したのは、そういう理由からだった。
「四番隊の方々がいらっしゃるのは分かっているわ、私なんかが学んだところで役には立たないでしょう。でも、だからと言って何もしないのは嫌なのよ。貴方とルキアが苦しい時、傷付いた時、少しでも何かしたいの」
唯待っているだけでは嫌だと、何か自分もしたいと、役に立ちたいと、彼女は言う。
「貴方は私にこんなに幸福をくれるのに、私は何も返せなくて…だから、少しでも、貴方の役に立ちたくて……」
私が彼女もルキアも失いたくないように、もう何も失いたくはないように。
彼女もまた、同じだ。
もう何も失いたくないと、何も出来ずに失うことは嫌だと、そう思っているのだろう。
「顔を上げろ」
身体を離して、ゆっくりと上げた綺麗な顔は、涙で濡れている。
頬に伝う涙を拭って、目尻をなぞる。
「言った筈だ、お前の傍は幸福だと」
彼女の瞳から、また滴が零れる。
彼女は知らない。
自分の存在が、どれだけ私を温かくするのかを、どれだけ満たすのかを、どれだけ幸福にするのかを。
「言葉が足りなかったことを謝る」
自身が言葉足らずだと、分かっている。
それが要因で過去にルキアともすれ違いが生じた。
しかし、だからと言って何もかもを上手く言葉にする程の技量を、私は持ち合わせていない。
それは彼女も分かっている筈。
唯、そう思って、彼女に甘えていた。
彼女ならば分かってくれているだろうと。
「紬。安全な場所で、安全な生活をしろ。お前がそうすることで、私は案ずることなく務めを果たすことが出来る」
彼女がいるから、彼女が安全であるからこそ、護廷に身を置き、務めを果たすことが出来る。
彼女を危険に晒したくない。
危険を及ぼす僅かな可能性さえ、摘み取り、回避し、彼女を取り巻く環境を絶対と言えるものにしたい。
「分かるか」
彼女が小さく頷いて、また滴が零れる。
「お前が案ずる必要がない程、強くなることを誓おう」
考え事をして負傷をしているようでは、彼女に案ずるなとは言えない。
彼女が涙を流さない為に、彼女が笑っていられる為に。
紬、お前の為に私は強くなる。
彼女の涙に強く誓う。
彼女は何度も頷いて、それから小さく笑った。
蓮華、その花言葉を、彼女は知っているだろうか。
彼女のもう一つの名、そしてその意味――心が和らぐ、私の苦しみを和らげる、あなたと一緒なら苦痛が和らぐ。
「あの東屋で貴方の傍にいた時、私は胸の痛みを忘れていたの」
彼女がいつかそう言ったように。
私も同じなのだと、私にとってお前もそんな存在なのだと、彼女に伝えるには、どうしたら良いだろう。
傘で隠れもせず、雨に遮られることもなく、隔てるもの等何もなく、彼女と、自分と、それだけ。
その幸福を噛み締めるように、彼女を強く抱き締めた。