「私を、ころす、の?」
「まさか。言ったでしょう、僕は嬢様が好きなんです」
そう言って、顎を掴んでいた手を首に移し、両手で頸動脈を圧迫する。
「ぐ、っ、……、」
「ああ、嬢様は美しい。苦しみや悲しみに顔を歪めている方がずっと美しい。嬢様、僕はずっと、貴女にこんな顔をさせたかった」
彼の顔が近付いて、何をされるか理解する。
けれど、苦しくて、身体の力も入らず、何も出来ない。
「っ、」
彼の唇が、私の唇を塞ぐ。
苦しさから酸素を求めて口を開けば、彼の舌が入って来て口の中を這い回る。
「は、っ、うっ…!」
更に苦しくなって口を閉じようとすれば、今度は唾液が入って来て、飲み込むことは出来ず、大きく咽る。
首から彼の手が離れて、漸くまともに息をすることが出来て、呼吸が整う前に押し倒され、彼が私の身体を跨ぐ。
もがけば、彼の手が私の両腕を掴んで、頭上に固定した。
「はっ、はっ、っ……」
流し込まれた唾液が口から漏れて、苦しさから反射的に涙が零れた。
「やっと泣いてくれましたね」
見たことのない表情。
吊り上がった口が三日月のようで、私を見る目は何かに憑りつかれているかのよう。
「嬢様、愛しています」
歪んだ愛――否、こんなもの、愛等と呼ばない。
「あんまり嬢様が美しくて、どうにかなってしまいそうだ。嬢様、分かるでしょう、僕が興奮しているの」
「…っ!!」
彼が覆いかぶさるようにして、それを私の太腿に擦り付ける。
それが何かを知っている。
経験等なくても、今からされるかもしれないこと、これから起こるかもしれないことに、恐怖を覚えた。
本能が、危険だと言っている。
「嬢様、」
耳元で、吐息交じり私を呼ぶその声に、肌が粟立つ。
怖くて、怖くて、それでも、絶対に屈したくはなくて、唇を噛み締める。
こんな男に、屈してなるものか。
「やめて」
「嫌です」
私の上に跨ったまま、私を見下ろす彼の頬は、薄く染まっているように見える。
「大声を出すわよ」
そう言えば、彼はくすりと笑う。
「嬢様は、もう少し頭の良いお方だと思っていましたよ」
「どういう意味」
左手で私の手首を掴んだまま、右肘を私の顔の横に付く。
鼻先が触れて、吐息が掛かる。
「貴女が今ここで叫べば、誰か来るかもしれない。誰か来て、それで、どうするんです?」
にっこり、彼が笑う。
「僕に襲われたと、そう言いますか?貴女が真実を言って、誰がそれを信じるでしょうね。貴女が僕を誘惑したのだと、誰もがそう言うでしょう」
――その通りだった。
言い返す言葉すら、見つからない。
誰が、私の言葉を信じるのだ。
「僕は暇を言い渡されるかもしれませんが、そうしたら、蘇芳嬢様はどうするのです?あの方の生きる支えは僕だ。支えをなくされた蘇芳嬢様はどうなるでしょうね」
姉様、私の大切な人。
これ以上姉様を苦しめることだけは、したくない。
「そして貴女は、使用人を誘惑したと言われるだけ。いつものことでしょう。貴女がこの家にいる理由は唯一つ、この家にとって良い結婚をすることだけだ。貴女は美しい、誰だって欲しがる。純潔ではないこと等、黙っていれば、貴女が少し演技をすれば、どうにでもなる」
いつものこと、何も変わらない。
憎しみが増えるだけのこと。
「つまり、分かりますか、ここで貴女が叫んで、誰か駆けつけて来たとして、困るのは貴女だ。誰も貴女を信じる者等いない、誰も貴女を憐れまない、誰一人、貴女を案じる者等いない」
全部、その通りだった。
何も、間違って等いない。
何て情けない、何て惨め、何て愚か。
「絶望しましたか」
彼が笑って、私の首筋に口付ける。
「嬢様の純潔を僕が汚すなんて、夢のようだ」
伊織が私の帯を解いて両手首を縛ったけれど、もう動くことは出来なかった。
「嬢様、きっと初めては痛いですから、声を出しても良いですよ。ああ、泣きながら痛がって下さると僕はとても嬉しい。大丈夫、雨音が消してくれますよ」
体力も、気力も、もうなかった。
「紫、蘭……」
気が遠くなって、目の前がぼんやりして、無意識に口から零れたのは、花の名。
春の花、私の好きな花。
死ねない理由、生きていたいと思う理由。