涙雨の逢瀬 | ナノ
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「紬嬢様?」

声に、顔を上げる。

「伊織……」

姉様の部屋を出て、それから、気付いた今、私は離れの前に立っていた。
どれだけそこに立っていたのか分からないけれど、着物も、髪の毛も、濡れていた。

「どうされたのですか」

伊織が、心配そうな表情で私を見る。
私はどんな顔をしているのだろう。

「どうしたの」

彼の質問に答えず、同じ言葉をかける。

「蘇芳嬢様のことで、お話がありまして…紬嬢様のお部屋を尋ねてもお留守だったので、探しておりました」

姉様のことで――先程の記憶が蘇って、眩暈がした。

「嬢様、中に入って座りましょう。酷いお顔色です」

伊織に言われるまま、離れの中に入る。
入りたくはなかったけれど、そうは言っていられない程、立っているのも苦しかった。
離れはあの時のまま、何も変わっていなかった。
玄関に腰かけ、伊織の持って来た手拭いで髪や身体を拭いた。

「ごめんなさい、もう大丈夫よ。それで、姉様の話は何だったかしら」

立ったままの此方に背を向けたままの彼に問うが、反応がない。

「伊織…?」
「……泣かないんですね」

振り向いた彼の顔が、月光に照らされる。
何年も知っているのに、毎日のように会っているのに、まるで知らない人のように見えた。

「蘇芳嬢様にあれだけ言われて、それでも貴女はいつものように凛としている」
「聞いていたの…?」

気が付かなかった。

「ええ、勿論」

冷静になろうと努めて、思い出す。

「伊織が、貴女を好きなんですって」

はっとした。

「伊織、貴方」
「僕はずっと、この家に来た日から、貴女が好きだ」

姉様に何を言ったの――そう言おうとして、遮られる。

「貴女に好意を抱いていることを周囲に気付かれたら、暇を言い渡される。ですからずっと、皆に分け隔てなく接してきました。そのお陰で貴女を忌み嫌う女中も増えましたけど、僕にとっては都合が良いことでした」

何を言っているの。

「貴女が忌み嫌われるよう、憎まれるよう、僕は愛想を振りまいてきた。噂話しと人の不幸が好物の馬鹿で醜い女達も、蘇芳嬢様のこともそうだ。蘇芳嬢様が僕に好意を持っていることに気付いたから。でなきゃあんな器量の悪い女の手を握るなんてごめんだ」
「伊織、あなた――」

一体、何者なの。

「紬嬢様、貴女は美しい。凛々しく、賢く、そして強い。何を言われても、されても、決して屈しない。だから僕はずっと、貴女を泣かせたかった」

あなたは、だれ。

「いつか僕に頼って、縋って、泣くのを待っていたのに、貴女はそんな素振りを一向に見せない。貴女が一番大切に思う蘇芳嬢様に嫌われても、憎まれても、貴女は涙の一粒すら零さない」
「姉様に、なにを、したの」
「唯、少し優しくしてやっただけです。今日の夕餉を運んだ際に貴女が好きだと言ったんです。案の定絶望して、貴女に本音を晒した。それなのに貴女は、どうして泣かないんだ」

彼の手が伸びて、私が避けるより早く、私の顎を掴む。

「悲しいでしょう、お辛いでしょう、紬嬢様」

彼のもう片方の手が、私の首を掴んで、力を入れる。

「っ…、」

苦しさに、思わず顔を顰めれば、彼は嬉しそうに笑った。

「そう、その顔が見たかったんです。ああ、もっと早くこうしていれば良かった」

端正な顔を、狂気に歪めて、彼は笑う。


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