「姉様…」
姉様は、起きていた。
床に就いたまま、天井を見つめていた。
「紬」
私に気が付いた姉様が、此方を見る。
部屋に入り襖を締めて、傍へ寄る。
「眠れませんか?」
「……ええ」
姉様はまた天井に視線を戻す。
その瞳が、眼差しが、どこか虚ろで、怖くなる。
姉様が、遠くへ行ってしまう気がして。
「姉様、何かして欲しいことはありますか」
「して欲しいこと…?」
「はい。食べたいもの、したいこと、見たいもの、何かありますか」
姉様の視線が、天井から私に移る。
数秒の沈黙が、何分にも感じられた。
「私の代わりに死んでちょうだい」
耳を、疑った。
今、姉様は、何て。
「紬、私の代わりに死んでちょうだい」
「ねえ、さま……?」
絞り出した声は、先程水を飲んだばかりなのに、掠れていた。
「自分がもう長くないことは、分かっているわ」
静かに、起伏のない口調で、姉様は言った。
何も言えなかった。
姉様が先程言った言葉だけが、私の頭の中に響く。
また天井に視線を移して、姉様は話し始めた。
「元々父様と母様は淡泊な方だけれど、山吹が生まれた今、あの二人の興味も愛情も期待も、全てあの子に注がれて、私を構うのは貴女くらいだわ。幼い頃からそうだった。貴女は私を慕ってくれて、私は貴女が可愛かった」
思い出すように、目を細める姉様。
「でも、貴女が生まれて、貴女が美しく成長する程、母様は凡庸な容姿の私を忌み嫌うようになったわ。自分の凡庸な顔が似たのにね、母様は何を勘違いされているのかしら」
おかしそうに、姉様が小さく笑う。
「山吹が生まれて、病弱で嫁がすことも出来ない私は、この家にとってお荷物になった。当たり前だわ、こんな容姿では、こんな身体では、役に立たないもの」
「いいえ…!」
思わず、否定する。
姉様の視線が、私に移る。
心臓が、どきりと音を立てる。
「私は父様と母様の子で、貴女は妾腹で、それなのに、どうして私が?器量も悪くて身体も悪くて、貴女は健康で美しい。ねぇ、どうして?どうして貴女ではなくて私が死ぬの?」
思考が、止まる。
姉様の細い腕が伸びて、掌が私の頬に滑る。
「貴女は美しい。貴女の顔を見る度、私はその顔を滅茶苦茶にしてやりたかった」
息が、出来なくなる。
「貴女が好きよ、可愛い私の妹。だけど貴女が大嫌いなの。憎らしくて美しい私の妹」
苦しくて、痛くて、それでも、目が離せない。
「伊織が、貴女を好きなんですって」
姉様が、眉根を寄せる。
「ねぇ、どうして?」
姉様の手が、私の浴衣の袖を掴む。
心臓を鷲掴まれたのかと錯覚した。
「貴女は私の全てを奪っていった。唯一の望みさえも、たった一つの希望さえ、貴女は私から奪った」
姉様の胡桃色の瞳から、ぽろりと滴が零れて、その白い頬を伝った。
「貴女が好きで、嫌いで、愛しくて、憎くて、どうしようもなくて、もう辛いの」
姉様の瞳から、それは次から次へと零れて、枕を濡らす。
「紬、」
苦しそうに顔を歪めて、それから吐き出すように、姉様は言った。
「貴女はどうして生まれたの」
目の前が、頭が、真っ白だった。
唯その一言が、私の頭に響いて、何度も何度も、木霊して、止まらなかった。