8月が終わる、最後の日。
少しずつ日の落ちるスピードが早くなって、気持ちを秋へと切り替えるよう急かされているみたいな、そんな季節がやってきた。
けれど、いまだ勢いの衰えない日中の太陽に照らされると、結局は夏気分から抜け出せない。むしろ一層凶悪にすら思える気温の上昇のせいで、毎日選ぶ服はいまだ夏の素材に、夏の色だ。

シフォン素材の白のシャツに、青い花柄のフレアスカート。スカートの花と同じ、青色のクリスタルが揺れるイヤリング。水色のアクセントが入ったベージュのサンダル。
乱と加州がなまえの部屋の箪笥から夏服という夏服全てを引っ張り出した上で散々あれやこれや組み合わせた末の、最終選別を生き抜いたものだった。

本日、待ち合わせ。
午後二時、本丸の玄関口。何となくそわそわして、意味もなく前髪に触れる。

「お、早いな」

どことなく嬉しげに弾んだ日本号の声に振り返る。
みょうじなまえ、日本号が修行から帰還した日から、初めてのデートである。

「て……日本号さん、服が」

目を瞬かせながら、なまえは日本号の頭のてっぺんからつま先まで、何度も視線を巡らせた。
いつものツナギ姿ではない、黒無地のTシャツにチャコールグレーのカーゴパンツ。シンプルだけど、だからこそ、いつもつけているシルバーのネックレスがアクセントになっている。
かっこいい。シンプルなのに。全体的にかっこいい。
脳内で浮かぶ具体性がまるでない感想を口に出すか出さまいか迷って固まるなまえの様子に苦笑して、日本号は乾いた笑いと浅いため息とを一緒くたにこぼした。

「……まぁ話すと長くなるんでな、歩きながら話そうぜ」



さて、ことは二日前に遡る。
御手杵との手合わせ後、道場の隅でちゃっかり冷酒をキメていた日本号は、突如乱入してきた乱と加州の手により半ば強引に人気の無い道場裏に連行された。
道場で一杯やっていたことを咎められシメられでもするんじゃないかと肝を冷やしたが、どうも二振りとも様子がおかしい。口元がずっと緩んでいる。
あ、これひょっとして面倒なやつじゃ。
察して、じりじりと足を擦りながらこっそり逃亡を図ろうとした日本号の前にぴょん、と躍り出て立ちはだかった乱が、予想通りの一言を元気いっぱいに発した。

「日本号さん、おめでとう!!」
「…………あ〜、極の祝いならもう十分だぜ」
「いや、そういう分かりやすいごまかしいいから。俺らもう主から聞いちゃったし」

あからさまに目をそらす日本号を制するように手のひらを向けた加州が、呆れたように言い放った。小さく「良かったじゃん」と言い添え、ほんの少しだけ目を細める。

「やっぱお前らにはもう割れてんのか……耳が早ぇなホント」
「まーね」
「ボクらは前から二人のあれこれ知ってたし」

ねー、などと顔を見合わせ花を咲かせる二振りの空気に、日本号は置いてけぼりで苦笑いするしかなかった。

主とのことを本丸の連中に話すか否かという点については、主と二人ですでに決めてあった。
『積極的に言うことはしないけど、聞かれたら本当のことを言う』
主はこの決めごと通りにしたのだろう、それで今こういうことになっている。
かなり前から事の始まりを知っていた乱と、なりゆきで知ってしまった加州。多分、ずっと気にしていてくれたのだと思った。

「ま、そういう訳だ。多分、全部お前らが聞いた通りだぜ。主と俺はそういうことになりましたっと」

日本号は両手を広げ、「降参です」とでも言いたげなポーズを投げやりに取ってみせた。
もう全てを知られているのなら、隠すことは何もあるまい。
そもそも、全員にわざわざ知らせることをしなかったのは、主の「何か……わざわざ言いふらすのも浮かれてるみたいで……」という一言によるものだった。
自分としては隠したいという意思は特に無い。が、付き合いたての浮かれっぷりをわざわざ全員に晒すのも、という考え方は理解できたので、そういうことになった。自分は別に、何を聞かれてもオープンで構わないと思っている。

「うんうん、お付き合いの件もおめでとうだけど、主さんと日本号さん、今度デートするんでしょ?」

人差し指をまっすぐに立てた乱に明るく言われ、古典的なひっくり返り方をした日本号は、そのまま画面から姿を消した。

「は、なに、主そのことまでお前らに話しちまったの……」
「うん、デートとかしないの? って聞いたら、今度約束してるって教えてくれたよ! しぶしぶと」

よろ、と起き上がってきた日本号に向けて、乱は「えへへ」と声に出しながらハートを飛ばした。ちゃっかりしていやがる。日本号は内心で舌を巻いた。

「前に俺が主に教えてあげたお店行くんでしょ?」

加州が冷静に言うのに、日本号は浅く頷く。

「ああ、そうだ」
「じゃ、俺らがコーディネートしてあげる」
「は?」
「服。コーディネートしてあげる」
「は?」
「お洒落なカフェ行くならそれ相応の格好しないとね」

てなわけで、2人の気迫に押されながら怒涛の勢いで合戦場・コーディネートが幕を開けた。
本丸内にある槍でも着られるサイズの服を片っ端から集めた加州と乱の二振りは、あれやこれや散々っぱら組み合わせた挙句日本号に試着までさせた。
そうして最終的に出来上がったのが。



「これって訳だ」

目的の場所へ向けて歩きつつ、みぞおちの辺りを手のひらでぽん、と軽く叩いた日本号が、目を線にしながら言った。

「はあ……乱ちゃんと加州くん、私の服だけじゃ飽き足らず日本号さんまで……」
「よーやるわ本当に」

全く、とは口に出さなかったが、そんな一言が聞こえてきそうな調子で、日本号はため息をついた。

「でも、似合ってますよ」

隣を歩く日本号の姿を改めてまじまじと眺めていたなまえは、小さく呟いた。

「かっこいいです、すごく」

言ってから、途端に恥ずかしくなって目を逸らす。

改めて周りを見てみると、審神者と連れ立って歩く男士たちのほとんどが普段着ている戦闘用の装束、もしくは内番着だということに気づく。もちろん、流行に敏感らしい刀が各々異なるファッションで出歩く姿もちらほら見かけるが、時折すれ違う他の本丸の日本号は大体が内番着だった。
ひょっとして、こうしてわざわざ着替えてくれているという事態は結構特別なのではないか。
そう思うと、途端に謎の照れに襲われて、暑さでやられていた頭にさらに血が昇った。
多分、自分が日本号にとって特別な相手になったという実感が、いまだに追いついていないのだと思う。

「あっここですこの喫茶店! ここのチーズケーキが食べてみたくて!」

急に湧き上がった照れをごまかすみたいに早口で言って、何か言いたげな日本号から逃げるように店内へ足を踏み入れた。



淡いオレンジに近い照明が照らす店内は、天井が低めな分、そのおかげで隠れ家的な雰囲気になっている。調度品は和モダンなアンティーク家具で統一されていて、つややかな飴色のテーブルや、同じ材質であろう椅子がいくつも並んでいる。
数組の審神者や男士が腰を下ろして談笑する席の合間を縫って、店員が盆片手にやってきた。

「お待たせしました、こちら夏季限定天の川チーズケーキです」

窓際の席で向かい合って座る二人の元に、皿が一つ運ばれた。

「わ、綺麗」
「おー、すげえ」

先に来たコーヒーを啜っていた日本号が、素直に感心したような声を上げながらなまえの手元のチーズケーキを覗き込んだ。
ベースとなる真っ白なレアチーズケーキの上には吸い込まれそうに深く濃い青が広がり、そこに粒状の金箔が散りばめられている。なるほど、確かに天の川のようだ。8月いっぱいまでの期間限定商品なので、今日がコレを食べられる最後の日、ギリギリだったのだ。
スプーンの先で青の真ん中をそっと触ってみると、想像していたよりも硬い感触が伝わってきた。

「あ、この青いのはチョコレートなのかな」
「へえ。見かけだけじゃねえんだな、普通に美味そうだ」
「ですね、楽しみ……っと、その前に」

さっそくスプーンを入れようとして、寸手のところで止まったなまえは、ポケットからスマホを取り出した。

「加州くんが写真撮ってきて見せてーって、言ってたの忘れちゃうところでした」
「はは、食いかけじゃカッコつかねぇもんな」
「セーフです」

言いながらシャッターを押したなまえは、今度はカップ片手に眉を下げて笑う日本号にもカメラを向けてみた。
のんびりとカップに口をつけていた日本号は、カメラが自分に向いていることに気付き、空いていた片手でピースサインを作った。冗談まじりでカメラを向けてみたが、意外なほどノリがいい。

「し、写真慣れしてる……」
「まあ常設展示だからな」
「あ、そっか。そりゃ写真慣れもしますよね」

平然と言ってのける日本号の言葉に納得しながら、スマホをポケットの中に押し戻した。
一旦手放したスプーンを再び手に取り、今度こそケーキにスプーンを入れる。しっかり固まっていた青色のチョコが薄氷のように割れて、下から真っ白いチーズケーキが顔を出した。チョコとチーズケーキを一緒に掬い上げて、まずは一口頬張る。

「あ、ホワイトチョコですね、これ。青いけど。上品な甘さで美味しいです」

パリパリのホワイトチョコは、舌の上ですぐに解けて滑らかなチーズケーキと混じり合った。ほんのりレモンの風味がきいたさっぱりめのチーズケーキとホワイトチョコの甘さが、口の中でいい具合に調合されていく。

「あ、日本号さんも一口どうですか? せっかくですし」
「ん、いいのか?」
「はい、もちろん」

なまえは「どうぞ」と軽く言い添え、スプーンの柄のほうを差し出した、その格好のまま固まった。
かたや日本号は、一口分のチーズケーキが口元に運ばれるのを待っているかのように、あ、と口を開けた状態で固まった。

壮絶なすれ違い事故を起こした二人の間に、数秒の沈黙が降りてくる。
永遠にも思えた沈黙を先に破ったのは、なまえのほうだった。

「いやすいません、まさかそう来るとは……」
「いやまさかじゃねーだろ、そう来ると思っちゃったよ俺は……」
「ホントに……今のは8割くらい私が悪いです、すいません……」

卓上で手を組んで、そこに重たい額を乗せた。どんよりと反省でもするみたいな格好をしたまま、なまえは「でも」と口の中をごにょごにょさせた。

「なんか、恥ずかしくて……ダメですね、照れに勝てませんでした……」
「そこはなんとか打ち勝ってくれ、こういうのは照れたら負けだろ」
「それはそうですけど……」
「勝てない内は経験値がついてこねぇ、まずは一勝しようぜ」
「何の話してるんですかねこれ……何で恋愛というもののあれこれを勝ち負けで語ってるんでしょう、私は何と戦ってるんでしょうか」
「さてねぇ、自分自身じゃねーの」

投げやりに言ってから、日本号は仕切り直すみたいに軽く咳払いをした。

「ていうか、本丸じゃーそれこそこんなこと出来ねーだろ。こういう時だからこそあんたが恥ずかしいと思うこともできるんじゃねえか」
「それはそうですけど……」
「ちょうど周りに客がいねえ今がチャンスだ、ほれ」

力強く言って、日本号は再び口を開けた。
ぐ、と押し黙ってから、肺の中に溜めていた空気をゆっくり吐き出す。
腹を括ったなまえは一口分掬い上げたチーズケーキを、日本号のほうへ差し出した。
日本号はそのまま、スプーンの先に乗ったチーズケーキをぱく、と口に入れる。

「うん、美味いな」
「それは良かったです……」

余裕のある微笑みを前に、なまえは熱くなった額を手で押さえ、内心で白旗を上げた。
自分はひょっとしたら、自分自身の内側で生まれる照れにも、日本号にも、いつまでも勝てないのかもしれない。
今日は完全に私の負けです、日本号さん。



ついこの間までは、夜7時近くまで空が明るかったはずだったが、午後の6時を前にした帰り道では、すでに少しずつ日が傾き始めていた。
やはり、暦の上ではすでに秋なのだ。季節はきちんと、正しく回り続けている。

「なあ」

隣を歩く日本号に呼びかけられ、その顔を見上げた。

「今日撮ってた写真、見せてくれよ」
「あ、はい! ええと……」

ポケットを漁ってスマホを取り出し、アルバムを開く。画面をそのままに差し出すと、日本号は鼻唄でも歌い出しそうなゴキゲン顔で写真を見始めた。

こういう、無邪気な表情も好きなんだよなぁ。
ふと、胸の内に浮かんだ気持ちに一人で恥ずかしくなって、日本号の顔から目を逸らした。夕陽に染められたオレンジ色の地面に二つ、黒い影が長く伸びていくのを眺めながら、夢心地で足を動かす。
自分の思う「好き」という気持ちが、日本号から自分へも同じ形で向けられているという現実は、いつになったら自分の中で正しい現実として理解が追いつくようになるのだろうか。結局、理解が正しく追いついていないせいで、恥ずかしい気持ちがいちいち大きくなってしまうのだと思う。自分から「好き」だの「手放せない」だの、散々恥ずかしいことを言ったくせに、これじゃあ世話ない。
分かってはいても、想い続けた時間が長い分、受け入れるのにも時間がかかりそうだ。

「主」

呼びかけられて、ハッとした。
弾かれたように顔を上げ、声のした方を見上げた直後、シャッター音が鳴った。
へ、と間の抜けた声を出すのと同時に、何が起きたのかを理解した。
日本号が、こちらにスマホを向けている。

「ふ、不意打ちはやめてくださいよ!」
「はは、怒るなよ……あ、ちょっとブレたな」
「そりゃそうでしょうよ……」

日本号の、ちょっとしたイタズラみたいな行動に半ば呆れながら、なまえはがっくりと肩を落とした。きっと、アルバムには間抜けな顔の写真が残っているに違いない。
日本号は口元を抑え、小さく笑いながら口を開いた。

「いや、悪い。あんたは俺の今日の格好、似合ってるって言ってくれただろ? けど、あんたの格好もなかなか良いもんだと思ってな」

眉を優しく下げながら、日本号はゆったりとした口調で言って、静かに瞼を下ろした。

「だから、残しときたいと思ったんだよ」

低く、語りかけるように言われて、胸のあたりが苦しくなるような愛しさが体中に満ちたような気がした。

「さ、ほら。今度は不意打ちじゃねぇから。こっち向いてくれ」

甘やかすみたいな言い方をされて、胸の内で湧き上がった気持ちを押さえ込むように、一度、深く深呼吸をした。
それから、カメラに向かって小さく笑ってみる。小さなシャッター音が、今日一日の締めくくりみたいに響いた。

今日という一日を、ずっと覚えておくために。
そういう気持ちは、間違いなく二人の間で共有されていたのだと思う。
何度季節が巡ったって、ずっと変わらない想い。ずっと覚えておきたい思い出。
そういうもので、人の体はどんなに苦しくたって頑張ることが出来るのだと、私たちはよく知っているから。
これからたくさん、いくらでも、二人の時間が積み重なることを願わずにはいられなかった。

もうすぐ、夕焼けの空に夜の帳が降りてくる。
明日もまた、新たな思い出を、あなたと。