◎本丸運営十七日目
「土いじりが趣味(になる予定)の鶴丸」

「鶴丸よお」

帰陣し、戦の疲れも落ち着き始めた昼下がり。
広間でテレビを見ながら煎餅をかじっている鶴丸に声をかけると、口の中で威勢よく煎餅をかみ砕きながら、不思議そうに丸くした目をこちらに向けた。

「畑んとこにある花壇、あれお前さんがやってんのか」
「おお! 堀川に聞いたか」
「ああ」

ぱっと顔色を明るくした鶴丸は、口の端についていた煎餅の欠片を指でつまみ、そのまま口の中へ放り込んだ。

「何だって急に花なんて育て始めたんだ?」
「いや、何。主に聞いたんだよ。俺が何をしたら驚くかって。そしたら『ガーデニングが趣味だって言われたらちょっと驚くかも』と返されてな。なんともパッとしないというか……意外な答えだったが、まあそれで主が驚くんならやってみるもの悪くないかと思ってな」
「なんだそりゃ」

拍子抜けして肩をがっくり落とすと、鶴丸は軽やかに笑いながら卓上に頬杖をつき、茶を一口啜ってから口を開いた。

「あのネモフィラってやつ、聞いた話によると、数を増やすと相当に美しいらしい」
「ほお」
「俺がガーデニングを趣味にして、さらに本丸のどこかに青い花の花畑を作って、主を二重に驚かせるって算段さ」
「よくやるなあ、あんたってやつは……」

半ば呆れたような笑いまじりに言ってはみたが、あの青い花で花畑ができたら、それは鶴丸の言う通り、本当に美しいのだろう。
本丸の中、その一面だけ、空が落ちてきたような色に染まるという景色はなかなか美事なんじゃないだろうか。

「で、どうだ。花を育てるってのは。楽しいか? 野菜育てるのとはまた違うんじゃねえのか?」
「ああ。今のところそんなに楽しさは見い出せてないな」
「本っ当によーやるな」
「ま、同じ土いじりにしたって、墓発くより花植えるほうがよっぽど良いもんだろう」

のんびりと目を閉じて、茶を啜りながら鶴丸はあっけらかんとした口調で言った。比較対象が明らかに間違っている。
ツッコもうとしたが、鶴丸が何事か思い出したように目をぱっちりと開いたので、思わず閉口した。

「おっと、そうだ。これは俺一人で成し遂げるつもりなんでな、手伝いは無用だぜ」
「へえ、ま、好きにすりゃあいいさ。続けるもやめるもな」
「言ってくれるなあ。まあ、絶対にやめないさ。そんな風に言われちゃあ、やるしかないだろう」
「おー、楽しみにしてるわ」

笑いまじりで言うと、もっと気持ちを込めて言え、とよく分からない無茶ぶりをされた。
しかし本当にそれが出来たら、鶴丸の目論見どおり、主は本当に驚くだろう。主だけじゃない、この本丸にいる連中全員が驚くはずだ。その中でただ一振り、こいつだけが「してやったり」とほくそ笑んでいるのだろう。
大広間の卓上の、小さな一輪挿しに咲く青の花も、そういう日を待っているのかもしれない。


◎本丸運営十八日目
「風呂で飲み食いとか信じられない山姥切」

本丸にある風呂は、野郎十人入ってもまだ余裕があるほどに広い。
そういうわけで、手も足も伸ばし放題。毎日出陣以外にも何かしらの仕事がある俺らにしてみれば、そうして気を抜ける場所があるのはありがたい話だ。

「武具が風呂ってのもよ、最初こそ訳わからねえと思ったが、慣れちまえば欠かせなくなるよなあ〜」

思わず語尾をゆるくしながら呟くと、隅のほうで風呂べりに頭を預けている山姥切から言葉が返ってきた。

「人間にとっては、手入れみたいなものなのかもな」
「人間の手入れか。はは、確かにな。真っ当に働いた後の風呂は格別だしなあ」

両手で湯を掬い上げ、そのまま顔に浴びせかけた。少し熱めの湯のおかげで顔の筋肉が隅から隅までほぐれていくような気がする。緩みきった頬をそのままに「あー…」とだらけた声を出すのを止められなかった。
畑当番をした後の体の凝り方は、特に慣れない。
もともとが戦道具であるが故なのだろうか、明らかに身を削っている戦よりも畑当番のほうが翌日に響きがちだ。
戦場に出た日の風呂も格別だが、本丸で一仕事した後の風呂もまた違った気持ち良さがある。

「風呂が気持ちいいという感覚が分かっただけでも、この身を得た甲斐があるというものだなあ」

手拭いを頭のてっぺんに乗せた三日月が、ほくほくと笑いながら言うのに頷いた。

「だよなあ〜、ここで一杯やれたらもっと最高だな」
「のぼせるぞ」

山姥切に素早くツッコまれはしたが、まあ飲み過ぎなけりゃいいわけだ。
小ぶりの枡に酒を注いでおき、それを桶に乗せて、プカプカ浮かべて、一杯。
さらに風呂がデカい分、窓も同じだけデカく、ほとんど露天風呂のようなもんだと来た。夜、良い時間に入れれば、ほんのり橙色の月がぽっかりと光っているのが見えたりする。
つまり月見酒である。たまらん。

「そのうちやるかあ、月見酒。枡と桶買おうぜ」
「俺は風呂で酒より風呂でアイスクリームを試してみたいなあ」
「正気かあんたら」

風呂で飲み食いが信じられないらしい山姥切が怪訝な表情をしているのを横目に、風呂でしてみたいこと談義に花を咲かせた。

いつか三日月が言っていたこと。
『せっかく得た人の身。心ゆくまで各々が楽しみ、各々の幸せを見つける』ってやつ。
こういう些細な幸せを思い描く時間もまた、ささやかな愉しみとして身に積もっていくのなら、それもまた一つの幸せなのかもしれない。


◎本丸運営十九日目
「合戦場:農耕の記憶with骨喰」

「畑の匂いがする奴を、知っている」

今日は午前中にサーっと水撒きするだけだから楽だぜ〜などと、畑当番が初めてだという骨喰に機嫌よく吹き込んでいた矢先のことだ。
共に畑へやってきた途端、骨喰はそう言ったきり、その場に立ち尽くしてしまった。
土の柔らかな匂いが少しだけ濃くなったかと思うと、隣を歩いていたはずの骨喰が足を止めていた。
振り返ってはみたが、骨喰はごく小さな緑がちらほらと芽吹いている畑を大きな瞳に映したまま動かない。

「畑の匂い? て、あれ、お前さん記憶が」
「戻ったわけじゃない……が、何か……」

棒立ちのまま何かを言いかけて、しかし一度開いた口は再び閉ざされてしまった。
拳を固く握りしめながら眉間に皺を寄せている様子は、何かに耐えているようで、何となく痛ましい。

「おいおい、大丈夫かよ。無理すんな、ちょっと休んでからでも……」
「いや、いい。大丈夫だ」

思ったよりもずっと元気な声できっぱりと言い切られ、一瞬面食らった。

「本当か? まあ今日はそんなキツい仕事じゃねえけど、どっか悪いなら」
「いい。今は土の匂いの中にいたい」
「そうか、ならいいけどよ……」

眉間の皺はそのままに、けれど真っ直ぐに畑を見据える目にはだいぶ生気が戻っている。
記憶が戻るきっかけが、少しだけでも掴めるかもしれない。
そういう予感に骨喰自身も気づいた上で、逃げずに受け入れようとしているのだ。
「ぶっ倒れたりすんなよ」と一声かけながら立水栓のほうへ向かい、先がじょうろのようになっている散水ホースを取り付ける。そいつを畑のほうへ引き、骨喰に渡してやって、ざっと使い方の説明をした。
骨喰は片眉を上げ、怪訝な顔でホースの先を弄びながら口を開いた。

「柄杓で水を撒くのは駄目なのか」
「伸びたばっかりの芽はまだ繊細らしくてな、傷つけずに水やりするためにこれ使うんだとよ」
「なるほど」

小さく頷いた骨喰にホースを任せ、水道に戻り蛇口に手をかけた。

「水出すぞー。ホースの先、畑の方に向けとけ」
「分かった」

骨喰が言う通りにしたのを見届けて、蛇口をひねる。キュイ、キュイ、と音を立てながら数回、蛇口を回す。少し間を置いて、ホースの先から水が散った。
さんさんと静かな雨のような音がしばらく響いて、土の色をじわじわと濃くしていく。

「土に……」
「ん?」

骨喰が何事かを言いかける。そばへ寄ると、唇が震えているらしく、ぎょっとした。

「水が染みていく」
「あ、ああ……」
「当たり前のことだ」
「……どうした?」
「秀吉だ」

何かに縋るような、必死さがにじむ声。

「……秀吉だ。俺はなんで、こんな事も忘れていたんだ」
「あ、そうか、太閤殿下か」

なるほど、骨喰の言う「畑の匂いがする奴」とは刀ではなく人だったのだ。
元の主、豊臣秀吉。

「太閤様もなぁ、どれだけ偉くなっても爪の奥で固くなった土の匂いまでは消えない人だったな」
「日本号も秀吉の元にいたのか」
「ほんの一時だけどな」
「そうか……」

骨喰の表情がほんの少しだけ曇った。
それがどういうことを意味するか、理解するのは容易かった。記憶が全て戻ったわけではないのだ。

「秀吉様も、まさか土の匂いで思い出されるとは思わなかっただろうなあ」

笑いまじりに言うと、骨喰もほんの少しだけ口の端を上げた。
水が撒かれた土は太陽の光できらめいている。
多分、人が農耕を始めたその瞬間から、いつの世にも同じ景色があった。そういうものが記憶のスイッチとなるのは、不思議なことではないのかもしれない。

「焦るこたぁねーさ。消えた記憶は逃げもしないし、死にもしないんだ」
「……ああ、そうだな」

でも、いつか必ず。
はっきりと言い切る骨喰の目元は、柔らかかった。


◎本丸運営二十日目
「まだスクランブルエッグ段階」

雨がさあさあとそぼ降る夜のことだ。
明日の出陣に際して装備する刀装の相談がてら晩酌でも、と主の部屋を訪ねた。そうしたら、先客がいた。

「あれ、日本号さん」
「わあ、さすが日本号。ナイスタイミングだなあ」

執務室の縁側に主と並んで座っていたのは、前田藤四郎だった。
膝の上できっちりと手を揃える前田の、その膝もとには皿が二つ。ふわりと白い大根おろしののった卵焼きが、明るく光って見えた。
それより何より、それと共に並べられた徳利、そして二つの杯。

「何で……」
「え?」
「なあ〜んで誘ってくれなかったんだよぉ!!」

その場に膝から崩れ落ちながら叫ぶ。
前田の困ったような焦ったような謝罪と共に、主の軽い笑い声が遠く聞こえるような気がした。

「あはは、ごめんて。前田、ずっと俺の仕事の手伝いしてくれてたからさ。美味しいものちょこっとずつ食べて飲んで、休憩しようってなったんだよ」
「す、すみません。僕、厨から杯をもう一つ持ってきます!」

慌てて立ち上がろうとする前田を制するように肩に手を置き、自身の懐を探った。

「ほれ」

取り出した小さな杯を指でつまみ、ひらひらと宙を扇いでみせた。

「え?」
「持ち歩いてる」
「ええ、な、何故……」
「強者ってのはいつ如何なる時も戦に備えてるもんだろ」
「な、なるほど……?」

前田が眉を八の字にして、頭のてっぺんにハテナを浮かべながらも頷く。
そう、こういうチャンスはいつ舞い込んでくるか分からないのだ。そこに敵がいるならすぐ斬り込めるようにしておくのと同じこと。そこに酒があるならすぐありつけるようにしておくことこそが俺の流儀である。

「さー飲もうぜ飲もうぜ。ほれ、杯出しな」

徳利を手に取り、主と前田の杯に酒をとくとくと注ぐ。前田が酌をしてくれて、全員の手に酒が回った。

「それじゃあ、花散らしの雨に」

主の音頭に杯を掲げて、まずは一口。
すっきりした香りのわりに、舌にはしっかり染みてくる。いい酒だ。聞けば、主が生まれた地の酒らしい。今度、この酒を買った店を教わることになったのは嬉しい収穫である。

「で、こいつはだし巻き卵か? 前田が作ったのか?」
「はい、最近ようやく上手く巻けるようになったんです」

前田は、小さい両手でフライパンと箸とを動かすような身振りを交えながらはにかみ笑い、おもむろに皿を差し出してきた。

「よろしければ、日本号さんも」
「ん? ああ、いや俺は」
「いいんです、味をみてやってください」

意図せず催促したみたいな流れになってしまったことに若干気まずい汗をかき、しかし前田の厚意を無碍にするのもいかがなものかと思案しながら皿を受け取る。
箸と皿を手にしばらく考えた末に、箸で一口分を切り分け、そいつを指でつまみ上げて口の中に放り込んだ。大根おろしの水分が指を冷たく濡らしたが、不快感はなかった。

「いやうまっ、美味いな」
「本当ですか? 良かったです」

薄めの出汁が染み出して、口の中に残る酒の香りと良い塩梅で調和する。
大根おろしのおかげでさっぱりと胃に収まるのが心地よい。

「だし巻き卵をつまみに呑むの、やっぱりいいよなあ」

いかにもご満悦といった具合に頬を緩める主の言葉に頷きながら、もう一度杯を傾ける。

「だなあ。自分でも作れりゃいいが、暦を捲る前にゃ俺の料理の腕も上がるかねえ」

喉元を過ぎていく酒の香りが鼻から抜けていくのを感じながら、部屋にかかる暦を仰ぎ見た。「4」が「5」になるまではそれなりの時間がある。

「まー分かんないけどさ、日本号がだし巻き卵作れるようになったら、まず一番に前田と俺に食べさせてほしいよね」
「はい、ぜひ」
「そーだなあ」

半笑いで答えながら、暦の日付を数えてみる。
いつの間にやら過ぎ去った3月と同じように、4月もあっという間に終わっていくような気がした。
そうだとしても、まあそのうちに。膨大な時間に生み出された俺たちの前には今、それよりもっと膨大な時間が待ち構えている。
いつになるかは分からんが。

「ま、気長に待っててくれよ」