◎本丸運営一日目
「酒とご飯と男と刀」

固い奥歯で飯の粒を潰すと、口の中に甘い香りが広がった。
5月に揺れる田んぼの青さと、この豊かな香りとが一口目では結びつかなくて、もう一度、もう一度と、箸をいったりきたりさせる。何度も噛み締めてみてようやく、腑に落ちたような気がした。
この世に生まれてからそれなりに長い時間が経つ自分でさえ途方もなくなるような時間の中、人間たちが繋いできた「農業」という技術。その結晶がこの米、一粒一粒なのだ。
生物が生きるための手段として不可欠な食という文化を、人は自らの手で旨味を追求することで、一種の娯楽としたのだ。
米が美味くなって、そうだ、そのおかげで酒も美味くなった。

「豊作の年に、人がよく笑うようになる理由が分かったような気がします」

卓を挟んだ反対側で背筋を伸ばす前田藤四郎が、独り言ちるように呟く。そして、ほとんどカラになった茶碗の底から一粒の米を箸でつまみ上げ、自分の目の高さまで持ち上げて、しげしげと見つめた。

「この一粒が、僕たちにどれだけの力をくれるんでしょうか」
「だなぁ。しかし、そう考えてみるとアレだな、米何粒で酒一滴になるのかね」
「あんた顕現してから酒の話しかしてないぞ」

隣でみそ汁を啜る山姥切国広がのんびり口を挟む。

「それよりお前、食事中くらいその布取ったらどうだ」
「ほうっておいてくれ」
「三日月のじいさんもなんとか言ってやれよ、こいつ布に飯粒つけてんぞ……ってあんた、まだ冷奴しか食ってねーのかよ」
「じじい故な、ゆっくり食したいのだ」

三日月がようやく白米に箸をつけたのを横目に、熱めの緑茶を啜った。
奴が、そろそろ戻ってくるはずなのだ。

「よおし待たせたな諸君! 飯の後は酒だぜ!」

厨から戻ってきた鶴丸が鋭い音を立てながら障子戸を開け放った。その後ろでは、主がなにやら皿をひょいと持ち上げている。

「つまみもあるよ、俺あんまり料理できないからチーズ鱈をレンチンしただけのやつしかないけど」

チーズ鱈だとかレンチンだとか、言葉の意味は分からないが、言葉で入ってくる情報よりも確かなものがあった。
肉が焼けるのとも違う、米が甘いのとも違う、香ばしい匂い。何か分からないなりに「美味そうだ」と理解できるのは、機能として嗅覚というものが備わった、この身体のおかげだろうか。

やいのやいの言いながら初めて食った飯の味を、いつまで覚えていられるのだろうか。
こんな感動が毎日積み重なって、やがて当たり前のこととなる。身体を持つ、ということはそういうことなのかもしれない。
鶴丸が小さな杯を配って回るのを眺めながら、頭の隅でこれからの毎日について考えてはみたが、もう眼前に迫ってきている「酒」という一大事の衝撃に備えて、訳もなく居住まいを正したのだった。


◎本丸運営二日目
「合戦場:農耕の記憶with鶴丸」

「ほうれん草、ピーマン、人参、リーフレタス。とりあえずこれだけ育てるらしいぞ」
「いやいや人間の身体二日目でやる仕事じゃねぇだろ……」

鍬を肩に担いだ鶴丸国永が、歌でも詠むように青果物の名前を羅列させる。
呪文のようなそれに半ばうんざりしながら、手にしていた踏み鋤に全体重を預けた。
だだっ広いだけでまだ何もない土の地面が広がる中、厩からほど近い一部分に、細い竹の棒がちょんちょんと広く四方を囲うようにして立っている。主曰く「政府側があらかじめ示してくれた『土壌がいいのはここら辺だよ』の目印」だそうだ。
何もないなりに、野郎数振りでもなんとかなる程度の糸口があるのは政府の人間からのせめてもの気遣いなのか。あるいはギリギリ苦情が来ない程度の手抜きであるとも言える。

「歴史上、正三位に畑仕事させたのはこれが初めてじゃねえか?」
「はは、全くだ。刀に畑仕事させるなんてねえ。たしかにこれは驚きだわな」

軽い笑い声を上げながら、鶴丸は鍬をざっくりと地面に刺し立てた。そうして、もう片方の手に持っていたらしい鮮やかな紙袋のような物から、何かの種を一粒取り出す。

「しっかし、こうして植物の種子ってのを見てると、これ一粒がどれだけでっかくなるのか、気にはなるよな」

米粒ほどの大きさのそれを、人差し指と親指で器用につまみながら、鶴丸は語尾を弾ませた。
前田も昨日、同じようなことを言っていたのを思い出す。米一粒がどれほどの力に、とかなんとかってやつ。

「それ、何の種なんだ」
「人参だそうだ、百日あれば収穫できるらしい」
「へえ」

どれ、と手のひらを差し出せば、鶴丸はその中央に人参の種をのせた。
自分の手のひら何百何千分の一程度しかない種を前にしてみると、なるほど鶴丸のいう事にはすんなり共感できた。
この一粒が緑の葉を茂らせて、やがて橙色の根を太く張る。それを思うと、この小さな一粒が持つ爆発的なまでの生命力に改まって感心してしまう。
しかし、考えてみれば自分たちも似たようなものである。
小さなちいさな鉄が集い鍛えられ、俺たちはその姿を現す。辿ってみれば案外、万物すべてが小さな点のような粒から始まっているのかもしれなかった。

「おっと、そうだ。この人参だがな、ある名前があるんだそうだ」
「名前?」
「ああ、その名も黒田五寸」
「黒田! へえ、そんなもんあるのか」
「ああ」

白い人差し指をまっすぐに立てながら、鶴丸は歯を見せて笑った。

「主からのサプライズってやつだなぁ。ま、その期待に応えるには、まず土を耕すところから始めないとな」
「先は長ぇなあ」
「ああ、だがやるからにはとことんやってやろう、いずれ料理の得意な刀が来るかもしれん」
「おお、そん時ゃあ美味いつまみが食えそうだな」
「な、楽しみだろう」
「ああ」

だんだんと湧いてきたやる気に任せて、体重を預けてだらけるための道具と化していた鋤を肩に担ぎ上げる。
小さな一粒の爆発の日は、多分そう遠くない。


◎本丸運営三日目
「だんしめし」

とりあえず包丁を握ってみる。しばらく眺めてみて、しかしいまいちしっくり来ず、一度手にしたそれをため息まじりでまな板の上に戻した。
まな板はヒノキで出来た上等な物で、ひとつの本丸に必ずひとつは支給される物らしい。
政をやってる連中ってのは、いつの時代もどっかずれているような気がする。金の使いどころは厨の調度品でいいのか。もっと他にあるんじゃないのか。

「日本号さん、大丈夫そうですか?」

共に炊事場に立つ前田藤四郎は、玉ねぎの皮を剥く手を止めることなく器用にこちらの様子を伺っている。

「ああ、いや。出来ねえわけじゃないが、どうも手に馴染まねえなと思ってな」

包丁。
戦で振るっているものとは、形も重みもまるで違う刃物。
刀剣がわざわざ人の形を現すのに理由があるとすれば、それは人に使われるために生まれた道具である自分らを、自身が人の器でもって振るうことで最大限の力を引き出すためなのではないか、と思う。つまりは、自分で自分を一番の得物とすることができるのだ。
だから包丁がしっくりこないのは、まあ当然のことと言えるんじゃないだろうか。
と、いくらでもやらない言い訳はできるわけだが。

「しかし、働かざる者なんとやらって奴か。人間は厄介な言葉を作ってくれたなあ」

前田は眉を八の字にして困ったように笑いながら、でも、と口を開いた。

「料理ができるようになるということは、自分の好きなものも作れるようになる、ということですよ。日本号さんも、美味しいおつまみをご自身で作れるようになれば」
「酒がより美味くなるな」
「はい」

そのとおりです、と晴れやかな声が聞こえてきそうなくらいに深く頷きながら、前田はやわらかく破顔した。
つまみを自分で、というのは何とも夢がある話だ。
人間同士に相性があるのと同じように、酒とつまみにも相性ってのがある。
熟酒に角煮、薫酒におひたし。
自ら最良の組み合わせを生み出すことができるようになるのは、たまらなく幸せなことだ。
あとは刺身も必須だ、魚でも捌けるようになりゃ活きが良いのをすぐに食える。天ぷらを揚げたそばからつまんで呑むなんてのも、きっと至福の時だろう。

「まずは一歩一歩、着実に進んでいきましょう。まだまだ僕らはこれからなのではないでしょうか」
「だなあ。とりあえず今はおひたしだな」
「はい。では、僕はお味噌汁を」

とびきり美味しいご飯を作りましょう、と拳をつくって意気込む前田の言葉に頷きながら、再び包丁を手に取る。
まな板の上に広げた菜花を左手で押さえると、いかにも旬のものらしい柔らかな感触が指の先から伝わってきた。
茎に刃を入れると、ざくりとみずみずしい音がする。獲物を刺す感覚とはまるで異なるが、案外悪いものではない。旬のものというのは多分、音まで美味しいのだろう。

そのうち、鯛を捌いてみたい。赤の鱗を白くきらめかせる鯛を、自分の手で刺身にできたら良い。脂がのったものは包丁の通りが良く、きっと美味いだろう。

「前田は何か自分で作りたいもんとかねえのか? 好きな食い物とか」
「ええと、そうですねぇ……」

二つ目の玉ねぎを剥きながら、前田は視線を宙に彷徨わせた。ややあって、少しだけ俯きながら恥じらうように小さく口を動かした。

「いつか同じ粟田口の兄弟が来た時に、何か好きなものを作って出せるよう、精進したい……と思います。それから、主君のお好きなものも」

はにかむ前田の百点満点な答えに、思わず包丁から手を離し、調理台に両手をついた。

「ど、どうかされましたか?」
「我が身を省みてる」


◎本丸運営四日目
「景趣まだ買えなくてごめんね」

太陽が高く昇る正午である。
執務室の前に広がる中庭に、主が佇んでいるのを目に留めた。昼飯は何がいいか相談に来たのだが、向こうはこちらに気づく素振りも見せない。
無駄にだだっ広い本丸の庭は、まだ庭木が数本、本丸を囲う塀沿いに申し訳程度植わっているだけの、あまりに質素なものだった。
裏を返せば、審神者ごと本丸ごとに好きにしていいよという政府からの好意とも取れる。もちろん「景趣」なんていうシステムもあるので、金さえあれば特別手を加えずとも庭を美しくする手段はあるのだが。

「何してんだぁ、あんた」

声をかければ、乾いた土に視線を落としたままぼんやりとつっ立っていた主は、ゆっくりとこちらをふり仰ぐ。そうしてこちらを見上げたかと思うと、眩しそうに数回瞬きをし、それから眉を下げて笑った。

「いやぁ、淋しいからね、庭」
「あー、まあな」
「なにか植えようと思って。ネットで色々調べたら通販で苗木買えるみたいなんだ。で、アマゾンで色々見てみたんだけどね、何を植えたもんかなぁって、想像してたんだ」
「ほー」

ねっとだあまぞんだってのが何なのかはよく分からんが、しかし主が少年のようにはにかむものだから、ねっとだあまぞんだってのがなんだろうが、どうでも良かった。

「ま、何か手伝うことがあったら言えよ。まだ刀剣どもの数は少ねぇが、手は多いに越したこたぁねーだろ」

庭を整えるなんざ、武具のするこっちゃないだろう。だが、自分は思っている以上に、この主に恩を感じて始めている。
人の肉体を得た日の夜、さっそく酒を飲んだ。
透き通った酒が溢れんばかり、なみなみと注がれたデカイ盃を、難なく支え持ち上げられる手があった。
そいつをチョイと傾ければ、澄んだ酒の香りに鼻腔をくすぐられ、やや辛口の酒が舌にじゅわりと沁みて、目の奥が熱を持った。
そうして舌の上で散々転がし味わった酒が、喉元を通り過ぎていった。

全てが痺れるほどに心地良かったのだ。
美味い酒が飲めるという、ただそれだけのこと。それは人の体がなければ味わうことのできない、ほんの一瞬の至高である。
その日、眠りにつくまでに何度もその一瞬を反芻した。多分、尋常じゃないほど浮かれていたのだと思う。
そういう感動を与えてくれたのは、紛れもなくこの主なのだ。

「あんたには恩がある」
「恩?」

思い当たる節がない、みたいな感じで、主は片眉を上げて首を捻る。

「ま、いいさ。これから先、俺が勝手に恩を返していくってだけの話だ」
「うん? よく分からないけど……じゃあ庭に手を入れる時はお願いしようかな」

ただの更地同然の庭を、腰をぐっと伸ばしながらぐるりと見渡した主は、改まった感じでこちらに向き直った。

「よろしく頼むよ、日本号」

顔を綻ばせる主に名を呼ばれ、「任せな」と短い返事をしながら、美しくなった庭を頭の中に描いた。

春には梅が咲き匂えば、その香りにきっと背筋が伸びるだろう。
夏には紫陽花でも朝顔でも、とにかく涼やかな青があるといい。
秋は色づいた紅葉に、この小さな世界を鮮やかに染め上げてほしい。
冬は生命が息を潜める季節だ、真っ赤な椿でも咲いていればきっと寂しくならない。

人の身を得て、改めてこれから巡る一年に思いを馳せてみれば、槍であった頃の感覚のそれとは随分と違って感じるように思う。人の身に積る一年という歳月は、多分ずっと重いのだ。
人の身も心も、重いからこその生命なのだと、胸のうちに火が灯るように、そう思った。