Sünde und Strafe

もうすぐ朝日が昇る頃だろうか。分厚い雲で覆われた空がうっすらと明るみを帯びてくる。
王都からは離れた『この場所』は、かつて一度だけ"連れられて"来たことがある。
知る人ぞ知る『歴史的建造物』の"それ"は自分にとっては全くもっていい思い出なんかない。
自分を縛める物のひとつの象徴だった。

生い茂った木々の中に建てられた教会を模したような真っ白い建物はもう既に廃れていて側面の壁を覆う青々しい蔦がざぁっと音を立てて吹く風に揺れる。ある意味『神秘的』とも言える情景だった。

ここに来るために使った『手段』はもうない。
きっと賢い子だから、自分が居なくても・・・・・・・・元いた場所に帰れるだろうと手放した。
ーーーーー元より、もう帰るつもり・・・・・帰れる保証・・・・・も無かったのだけれど。


古びた木製の押し扉を開ける。油の切れた金具はよく響く音を立て、扉が閉まる音、自らの足音が長く広い廊下に木霊していた。



ーーーーー気が重い。
正直それ以外の、何物でもない。
二度と会いたくなかった。
二度と『その名前』を口にしたくなかった。
二度と《その名前》で呼ばないと思っていた。

けれど、全て終わらせ無ければならない。
宿命から逃げることはもう許されない。
自分自身が逃げることを許せなくなっていた。

天井までの高さがある最後の扉を押し開ける。
建物の外見に見合った内装の大広間だが、所々に老朽化で崩れた跡が見える。白い背景に一際目立つヴィンテージレッドの玉座が中央置かれていて、そこに足を組んで腰をかける1人の人物。彼は伏せた目をゆっくりと開けてこちらを見据える。そして口元に緩やかに弧を描くと、懐かしい声で名前を呼んだ。


「ーーーーーー久しいな、我が息子、いや、我が"血縁者"と言うべきか」
「………どっちでもいいよ」
「なんだ、つれない返答だ。まぁ、この"器"で言うならば息子が正しいか」
「…………」記憶にあるまま。悲しいぐらいに何一つ変わっていない姿。
何一つ変わっていない声。
何年も前のあの日のまま、全て時が止まった姿で目の前に居る。



「では、改めて。会いたかったぞ、我が"息子"ーーーー"アルド・アレル"」
「…………久しぶり、僕はもう会いたくなかったよ」


「ーーーーー"父さん"」


"父さん"、と、呼ばれたその人はアイスブルーの瞳に彼のーーー"息子"の姿を映す。

ーーーあぁ、本当によく似ている。自分の今の体・・・・・・に。


「もう"父さん"と呼ぶべきじゃなかったな。あの時に死んだんだ、僕の本当の意味での"両親"は」
「なに、その呼び方は間違ってはいないさ。少なからず私にはこの"器"の持っていた記憶は全て継承されている。"父親"である事には変わりなかろう。何なら、お前自身にとっても、この"器"の最期・・にとっても、たんと甘やかしてやってもいい」
「………気持ちの悪い事を言うな。アンタがそんな下らない話をする為に態々遣いを寄越した訳じゃないだろう」


張り詰めた空気が二人の間を漂う。続いた沈黙を破ったのは玉座に座った男ーーーアレルによく似た男だった。くつくつ、と喉を鳴らして笑い、ゆっくりと立ち上がる。


「ーーーーあぁ、もちろん。私は唯一残された最高傑作の血縁者であるお前を待っていた。もうこの"器"は時間切れだ。間もなく使い物にならなくなる、"新しい器・・・・"が必要で、な?」
「……僕はアンタの新しい器になる為にここに来たわけじゃない」
「………と、言うと?」


するり、と鞘からサーベルを抜き銀色の刀身を見せ、切っ先を真っ直ぐ『その男』の方へと向けた。
そして自分自身に掛けた『封』に終わりを告げる言葉を小声で零す。それと同時に光が弾け飛んだ。長い間これ以上受け入れないように、と、普通の人間に化けられるように、と、塞き止めていたマナが流れ込んで全身を満たす。そんな懐かしい感覚が襲ってくる。その感覚にどこか切なさを感じて胸の奥が少しだけツンと痛くなった。


「ーーーはっきり言おう。僕を含めて"魔導師"はこの世の中に必要ない、人を人形のように操れる力を持つこの血筋は絶えなきゃいけない、残っていてはいけない」


「ーーーいにしえより同じ魂が器を変え常にその血筋の長としてあり続ける"魔導師"の当主、エミハルト。僕は僕自身の意志で貴方をーーーー唯一の血縁者・・・・・・を殺しに来た」


自分がまた人として生きるために。
『いつか来るかもしれない未来』をもう恐れないで済むように。
例えあの場所に戻ることが出来なかったとしても。
二度と誰かと共に生きることが出来なかったとしても。
自分の"全て"を以てして。



「ーーーここで"魔導師"の全てを終わりにする」



はっきりとした言葉であった。心からそう思っているのだと、その願望が必ず成し遂げられると信じている声だ。
それはそうだ、彼は最初から魔導師を毛嫌いしていた。自らの父親が父親では無くなったあの日から、それより前からかもしれない。"在るべきではない"と自分自身すら否定し続けて来ていたのを知っている。器を変える度に継承された『父親の記憶』が教えてくれた。
だからこそ、その信念ごと粉々にしてやりたいと言う気持ちが高まっていくのを感じる。反抗の意志を微塵も抱かない程にどん底まで叩き落としてやりたい。久々の感情に鳥肌が立つ。
腹の底からその興奮が這い上がって来て、気付いた時には声に出て笑っていた。



「ーーーーハ、面白い、やれるものならやってみろ、私に手が出せる・・・・・・・のなら、な…!」
アイスブルーの瞳が一瞬更に鮮やかに発色すると、その左頬にはあの歪な刻印が浮かび上がる。それと同時にどこからとも無く同じ刻印を持った『人間』が割り込んで来て、二人の間を阻んだ。


「………刻印持ちマリオネットか…!」
「一先ず私が用意した"手下"を相手とするがいい、それすら倒せぬのなら到底私に手を出すことなど叶わないだろう」


概ね予想が付いていたことではあったが、実際に刻印持ちを目の前にするとただ純粋に彼に対する怒りが湧き上がってくる。こうなってしまってはエミハルト自身が彼らに掛けた魔法を解かない限りその命が尽きるまで、半永久的に彼の手駒となる。所有物の証がその顔に刻まれた歪な印。故に刻印持ちマリオネット。掛けられてしまってから逃れる術はないに等しい。"無関係"を巻き込むのはある意味彼の十八番と言っても良かった。


ーーーーー彼らを救う術は、ひとつ。


ナイフやら何やらを手に佇む彼らへと一歩踏み出すと同時に刻印持ちマリオネット達も動き出す。
特別それ用に訓練された訳ではない為に動きは鈍い。ただ闇雲に振り翳すだけの武器を避けることなど容易かった。
懐に入り込んで一突き、倒れる身体を避けながら引き抜いてまた一突き。隙を見て飛び込む刻印持ちの腹に蹴りを一発入れて呻く姿を一瞬見てから一突き。
宛ら舞う蝶の如く斬り倒して行く。斬られた本体は糸が切れたように倒れ、その身体は動く事はなく地面に赤い水溜りを続々と作っていった。それはそうだ、一突きは全て身体の真ん中を狙っている。残酷なまでに的確に心臓を貫いていた。
流れるように次々と斬り倒して行って目に付く限りでは最後のひとり。その動きに今までと幾分の差もなく、振り翳されたナイフをサーベルで受け弾き、そのまままた中心へとその刃を向け走らせたその瞬間ーーーー刻印持ちの刻印が途端に消えた。
自我を取り戻したその人間は迫り来る切っ先にすぐ気付き、酷く怯えた声を漏らした後腰を抜かしたようにその場に膝を着いた。


「ーーー!?」


勢いに任せたその手を貫く間一髪で止め、切っ先を下ろした。その恐怖からかガチガチと歯を鳴らしてこちらを見ている姿が目に焼き付いた。


「ち、違う!俺は、なにも、何もしていない!勝手に……頼む!助けてくれ!!」


その男は縋るように手を伸ばす。気が付いた時に自分に切っ先が向いているなんて誰も想像しないだろう。酷く怯えたその表情は間違いなく『本心』であった。
反射的にその縋り付くような、小刻みに震えた手を掴もうと腕が伸びる。
『大丈夫だ』と言う言葉が口から出かける。そっと震える手に自らの手を添え掛けた、その刹那。瞬く間に再びその男の顔に刻印が浮かび上がる。
一瞬の油断を取られた。添えようとした手を逆に掴まれて力任せに腕を引かれる。コンクリート張りの床に投げ捨てるように叩き付けられて首元に片手が掛かった。その手を緩やかに締め上げて、その下で息苦しさに表情を歪める姿を何の感情も持っていないような虚無の瞳で見つめていた。
ほんの一瞬『戻された』自我はただその一瞬の油断を得るためのエミハルトの策略であったのだろう。
押し返そうと肩を出せる限りの力で押してはみたが、びくともしない。上から圧を掛けるみたいに体重を掛けられて首元を締め上げるその手を解くのも厳しいものがあった。
どこか遠いところでぼそり、と『殺しはするなよ』と呟く声が聞こえる。男はまるでそれに反するように逆手に持ったナイフの銀色が視界に入ってきた。どこに刺そうか、なんて考えているのかどうかは分からないがその切っ先がゆらゆらと揺れて場所を探しているようにも見える。このまま振り下ろされれば避けることは疎か下手をすれば致命傷にすらなり兼ねない。どうにか身を捩って右大腿部に付けたホルスターに指を伸ばし拳銃を引き抜いた。切っ先が止まるのと銃口が上に向くのはほぼ同時で、そしてまた腕を振り上げたと同時に銃声が響く。
身体の真ん中に赤い花が数秒遅れで花開き、握ったナイフは手から抜けてコンクリートの上に落ち、その身体は静かに横に倒れた。
息苦しさから解放されて喉に冷たい空気が一気に入ってくると何度か軽く咳き込む。ゆっくりと起き上がり周りを見れば、辺りもその両手も自分のモノではない血液あかで染まっていた。


「ーーーーいや、実に見事だな。よくここまで鍛えてくれた・・・・・・ものだ。益々"器"としたい欲が湧いて出たぞ。見ず知らずの人を躊躇いもなく一突きで殺せるなんて中々出来ることではない」
「………アンタに、一生、遣われるくらいなら苦しまずに終わらせた方が彼らの為だよ」


そう、自らの心に言い聞かせるように答えた。
これは『救い』なのだと。
これは『正しい選択』なのだと。


「そうか、どう思うかは勝手だがーーーー、ああ、その姿、実に"魔導師"らしい。生きるためには誰かの命を得なければ生きられないうつくし'我々に相応しい姿じゃないか。似合っているぞ、赤に染まったその姿、見惚れる程だ」
「……………、ッ、黙れ」
まるで『自分の為に彼らを殺した』と言っているような口ぶりに腹が立った。絞り出すような低く掠れた声で発した一言は益々エミハルトの余裕を誘ったようにも見える。


「ーーーまあ今のは前座に過ぎん。本命は後から登場するのが決まりだろう?一番盛り上がるタイミングで投入するのが物語のルールと言うものだ。お前の為に『特別仕様』にしておいたぞ」


緩やかな風が凪いだ。その風と一緒に黒い影が視界を横切る。殴るように振り下ろされた"何か"をサーベルで弾き、その黒い影は宙を一回転して少し離れた所へと足を着ける。

ーーーー嫌な予感がした。胸騒ぎがする。
目の前に立つ影の正体を知っているような気がしてならない。
そうであって欲しくない、と叶うはずのない願いを抱いていた。
"黒い影"は自らを覆うフード付きのケープをゆっくりと剥ぎ捨て、真っ直ぐにこちらを見つめて、見慣れた微笑を浮かべて名前を呼んだ。


「ーーー久しぶりだな」
「ーーーーー、…アー、ネスト……!」


どうしてここに、と聞きたい気持ちが募る。
聞かなくても見れば分かった。見慣れたその姿のまま、ただ1つだけ違うことを挙げるのであればあの印が彼にもまた刻まれていた。
とは言え、先程までの刻印持ちとは少し様子が違うように見える。
『彼ら』には無くて、『彼』にあるもの。それはーーー。


「どうだ?喜んでくれただろうか?私からお前に送る贈り物だ。先程も言ったが少し勝手を変えていてな、比較的言動に自由を利かせたんだがな…」


少しだけ伏せたアーネストが仄かに口元を緩めたのを目視して、地面を蹴る音と風を切る音がほぼ同時に聞こえる。
一瞬でその間合いを詰めると、まるで嵐の如く刃が振り落ちて来た。動きが見えないわけではないが少なからず知っている以上の動きであるのは確かであった。アレルはアーネストが振り下ろすサーベルの刃を弾くように受け流し防ぐ事しか出来ず、またその表情には動揺が強く滲み出ていた。


「っ、待、って、アーネスト!止めろ!」


その言葉を聞く耳は持たず、容赦なく切り込んで来る。少なからずお互いの戦い方を知っている仲だ。絶妙に避けにくいタイミングを見計らって踏み込んで来て、直面することを避けることは出来ても僅かに切っ先が掠って浅い切り傷を作っていく。
大きく振り上げた一発を正面から受け止めた際に二人の顔がぐっと近付いた。
お互いに拮抗を続け小刻みに震える金属同士がぶつかる軽い音が鳴る。


「俺さぁ、見りゃ分かると思うけど、"刻印持ち"にされたんだよなぁ。あの時に怪しい影なんか追わなければこんな風に操り人形みたいにされなくて済んだのかなって思うとすげえやるせない気持ちなワケ」
「………」
「しかもお前"あれ"と一緒なんだってな?魔導師だっけ、まっさか追ってた側に追ってるやつがいるなんて微塵も思わなくてさぁ……騙された気分っつーの?」
「…………それ、は…」
「ただでさえ同期二人がハイスペックで、何かと比べられたりしてたの正直結構キツかったな〜〜。俺ら格下見てるの楽しかった?高みの見物みたいに、多少のことで必死に駆けずり回ってる部下見るの楽しかった?」
「っ、違う!それは違う!下に見ていたつもりも、そんな事も…!」
「ーーーでもさぁ、もういいや」


囁くように低い声で呟かれた言葉に何故か寒気のようなものを感じて、近かった身体が弾かれるように距離を置く。


「ーーー"心"を無くしてくれたおかげでさ、なんにも、思わなくなったんだ」


銃のように突き出した指が真っ直ぐこちらに向いて、銃の真似後の様に軽く弾いた。炎と風が混ざりあった塊がそれを合図に形成されて弾丸の様に飛び交う。咄嗟に己の前に張った結界は耐久性に劣っていて脆く硝子の様に砕けた。その2つがぶつかった衝撃で巻き上がった砂埃が視界を遮って薄モヤが満ち、気配が読み取りにくくなる。その中から突っ切るように身を飛び出させたアーネストはどこか歪んだ笑みを浮かべてアレルへの攻撃は激しさを増す。

闇雲、と言うよりはよく見知った仲だからこそ出来る攻め方だと思う。アーネストは刻印持ちではあるが自分自身の『思考』は制限されていないように見え、おそらくそれは間違いではない。
彼の、彼自身の一番動きやすい方法を取っていた。魔術と剣術、そして体術と、アーネスト自身はどれかひとつが特別特化しているようなタイプの人間ではなかったが、どれも人並みか若しくはそれよりも少し上ぐらいのレベルの所謂バランス型である。故に特攻として何かと先駆けて前線に出ることが多かった。今の彼もそうで、速く軽い一手の中に重い一手を打ち付ける。
猛攻により1度巻き上がった砂埃は収まることを知らず変わらずの視界不良で辛うじて受け流すことが精一杯であった。

話を聞け、と叫んでも、彼の名前を呼んでも、聞く耳は持っていない。
どうにかしてでも止めなければとひたすら防ぐことしかしてこなかったアレルの動きが逆転する。全く見えないわけではない。視界の端で動く影を追ってサーベルを振るい今度はアーネストへ攻撃を下して行く。
それを何度も繰り返して生まれる一瞬の隙ーーーー剣を弾いて弾いてを繰り返した先にある守りきれない間を生み出し、そこへ踏み込む。

アーネストと目が合う。
彼は静かに、見慣れたいつもの・・・・・・・・笑みを浮かべてたいた。

そのまま迷いなく、上から下へ払い落とせればよかった。
そうすれば彼をーーー刻印持ちとして使われる彼を救うことが出来たかもしれない。
先刻の刻印持ちのように、躊躇いもなく殺せたなら。

躊躇ってしまった。払い落とせなかった。
その手を下すことが出来なかった。
自身の中に残された記憶が『彼を救う殺す』と言うことを許さなかった。

振り上げたその手が止まる。
もらった、と小さく呟くアーネストの声が聞こえた。ほんの一時の迷いが逆に隙を生む。懐に入り込むように身を滑らせて脇腹に足を叩き込んだ。勿論避けきれるはずも無くほぼほぼ直面したそれを受けて、その身体は吹き飛んで転がり倒れ込む。
遅れて来る鈍痛に顔を顰めて、咳き込みながら身体を起こそうと腕に力を込める。それと殆ど同じタイミングで全身に伸し掛るような重圧が掛かった。


「っ、く……!」


動けない、と言うわけではないが立ち上がることは出来ない。辛うじて身体を起こすことだけは出来た。
掛けられた圧力に骨が軋むような感覚を覚える。
恐らくそれはアーネスト自身が仕掛けた魔法ではなく、エミハルトが仕掛けたものだと思われる。重力を変えるといった魔法は余程の人間で無い限り正式に発動するのは難しい。"魔導師"の長たる彼であれば造作もないことだが。
どうにか顔を上げてアーネストを見る。いつもの彼ではないかと思ってしまう程に、刻印持ちであることを認めたくない程に、記憶と変わらないままだ。



「本当にさ、何も、なんにも考えなくて済むんだ。アンタに感じてた劣等感も、憧れも、みんな無くなった。"心"が無くなるって凄い楽だなぁって」
「………アー、ネス、ト…」
「地面に這い蹲る気分はどうだ?高いものを下から見上げる、その気分はどうだ?」
「………」
「何であの時止めた?何であの時、あのまま手を振り下ろさなかった?アンタぐらいなら俺1人ぐらい簡単に殺せる。なのになんで躊躇った?」


ーーーー出来るはずがないんだ。出来ない。
友人を殺すなんて出来ない。
自分のやっていることが身勝手で薄情でどうしようもないことはよく分かっている。
見ず知らずの人間は『刻印持ち』だからと言う理由で救え殺せたのに、ただ深く関わりがあったからと言うそれだけの理由で 友人アーネスト救え殺せない。
本当に救いようがないな、と情けなく思えてきた。


「ーーーーッ、答えろよ!」


投げかけられた質問に何も答えることが出来ないまま黙り込んでいると、その声に怒りを顕にしたアーネストがそう叫んで、隠し持っていた短いナイフを取り出して逆手に持ち大きく振り下ろす。
圧を掛けられたままの身体を動かすことは不可能。押し潰されそうなそれに抗うように右腕を必死に振り上げ落ちる刃の先に翳した。
刃はそのまま右腕に深々と突き刺さり、数秒遅れで電気が通るような激痛が身体中を走る。
袖には次第に血が滲んでその範囲を広げて行った。


「君が、……っ、僕に対して思っていたことがあったとしても、それが恨みとか妬みとかが含まれていたとしても、僕は君を殺せない。殺すことは絶対に出来ない」
「っ!」
「…君が刻印持ちになってしまったのが僕の所為で、それを恨んでその結論が僕を殺すと言うことならそれで構わない。僕が"魔導師"の血縁であることを言わなかったことで、こんな風になってしまったのなら、その責任は僕にあると思ってるよ」
「………アレル、」
「っ、でも、それは今じゃないんだ…!この後、全てが終わったらいくらでも相手をするから、いくらでも君の、今までの思いを聞くから、好きなようにしていい、殴られても刺されても、八つ裂きにされても構わない!だから今は………っ、そこを、退いてくれ…!!」


掛けられ続けた重圧を押し返すように同じような魔法を発動させて相殺させる。バチン、と大きな音を立てて身体が跳ね上がるように軽くなった。その余波を受けたアーネストの身体も真反対に跳ね上がり距離が開く。動かす度に刺された所が痛むけれど、それよりも先に終わらせなければいけないものがある。アーネストのその後ろで悠々と見ているあの男エミハルトを、"魔導師"を終わらせなければ。
刻印を打った張本人が消えれば自然と刻印持ちも解除されるその仕組みは、友人アーネストを殺せないアレルにとっての最大の救い方である。

両手を突き出して銃を撃つように手を弾く。アーネストが1度だけ繰り出せた魔法を何発も撃ち込む。地面にぶつかったそれはコンクリートを抉り、かなり濃い砂埃を巻き上げた。
それからすぐに頭上へ氷で出来た杭が生成されると雨の如くそれは砂埃の中へ打ち込まれた。決して身体には当たらないところでありながらも直ぐに身動きが取れないよう、杭は地面に当たるなり地面を飲み込むように広がり縫い止める。アレルはその間を縫って地面を蹴った。向かった先はエミハルトの元へ。
元よりエミハルトに魔術で挑んだとしても五分五分か若しくはこちらが劣るだろう。少なからずその頂点に立つ彼には叶わない。
そう簡単には縫い止めた氷を抜け出すことは出来ない。不意を突くなんて1度しか出来ない。今を逃すわけにはいかなかった。
自らに生じている痛みなんて気にしている暇もない。突き抜けるように前へと進む。目の前のエミハルトは相変わらずの余裕を持った表情を浮かべていた。自らの腕の周りに結界を張り強度を高め、それを盾のようにして弾いて受け流す。火花が散るような激しい攻防が続く。


「このままでは埒が明かない…いや、私が折れるより先にお前が折れそうだが。利き手ではないとは言えその腕は嘸かし痛かろう?」
「こんな傷、慣れてるよ…!」
「………強がりは変わらずか。随分とあの刻印持ちに肩入れをしていると言うか、必死になっているんだな」
「………それの何が悪い」
「悪いとは言っていない。ただ、甘いな・・・と思っただけだ」


ふっ、と力を抜くようにエミハルトは笑った。
それと同時に視界にひとつ、影が揺れる。
満身創痍と言っても過言ではない程に酷く傷を追った状態で、打って変わって何の感情も持たないような冷めた光を宿さない瞳でこちらを見つめるアーネストの姿がそこにあった。
正直立っているのが不思議な程だ。無理やりそれを解いた、と言うよりは呼ばれてそうせざるを得なかった、と言うのが正しいだろうか。
動かなくなるまで使う。それが魔導師エミハルトの刻印持ちの使い方である。


「っ、お前……!!!」
「殺せないと言うお前の甘さが、仇になったな……?」


二人の間を断つように身を割り込ませたアーネストは力強くアレルの右腕を掴むとそのまま投げ捨てるように自らの後ろへと引き、手を離す。軽く宙に浮いたような状態で放り出された身体は少し離れた所に足を着いた。
ーーーー足を地面に着けたその瞬間である。
地面には複雑怪奇に組まれた魔法陣が姿を表し、それを映すかのように同じ組みの小さな魔法陣が頭上にいくつも描かれた。しまった、と声に出るよりも早くその魔法陣から無数の鎖が伸びて来て、陣を踏んだアレルに巻きついて行く。
腕、手首、胴体と絡みつくように鎖が巻かれまるで吊るし上げるみたいに拘束された。

この魔法陣にも、鎖にも見覚えがある。
数年前に父親がその中心にいた・・・・・・・・・・その光景は強く記憶に残っていた。

頭を下げて肩を大きく上下させなら早い呼吸を繰り返す。心臓の音と一緒に無数の傷が痛む。
わざと革靴の音を立ててエミハルトは陣の方へと近付き、顎先を掴んで顔を持ち上げると半ば強制的に目を合わせさせる。


「ッ離、せ!!」
「ーーーなるほど、まだ諦めていないと言ったをしているな」


愚かだな、とどこか嘲笑うように小さく笑う。


「何れ私の器になる以上あまり傷付けたくはなかったのだが……中々面白いものも見れた。良しとする。面白いものを見せてくれたことと、まだ諦めていないその意志を評して"真実"を教えてやろう」



「ーーーーーお前はいつから、自分の意志で・・・・・・私の元から離れられたと思っている?」
「…………、は…?」
「お前が私の元から逃げ出してそのままずっと、今に至るまで最高の器お前を探すことなく手放していたと、本当に思っているのか?」


胸の奥が低く唸るように苦しくなる。
あれは、数年前の雨の日。今日によく似た天気の日。
まるで愉しむように人を殺していく『父親の皮を被った悪魔』を見て、彼の元から一刻も早く離れたくて、彼と同じにはなりたくなくて、行く宛もないのに逃げ出したあの日。
迫り来る追手を背後にただ闇雲に走った。そこで巡り会ったのは1人の男だ。
怯えて、騙されまいと警戒心を剥き出しにした少年に笑いかけてただ一言。


「ーーーー"俺と一緒に来るか?"と、声を掛けて来た男がいるだろう」
「っ、!」


記憶とぴったりと重なるその言葉にまた胸の奥が低く唸る。


「あの日、お前を直ぐに追いかけることも、捕らえた後に逃げ出すことがないように拘束し"その時"が来るまで閉じ込めておくこともできた。だが私が何故それをせず、今の今まで"来る時"を待っていたのか疑うことはしなかったようだなぁ…?」
「ッ、違う、違う!!あの人は、あの人はそんな、僕を、アンタから逃げて、行く先も無かった僕を……!」
「残念だったな、正しくは『行き場を無くしたお前を受け入れ保護した』のではなくて、『万全な器にするために私が預けた』んだ」


ーーーその日、逃げ出す前に少年は言った。
『生きる為じゃない、愉しんでいるだけのただの人殺しだ』と。それに対して別に腹が立った訳ではなかったが、如何せん自分の性格がその瞳を赦せなかった。真っ向から反対してくるあの瞳が。自分と『同じ』でありながらそうではないのだと訴えてくるあの瞳が。
その心が折れるまで『現実』を叩き込まなければとその時は思っていた。幸いこちら側に手駒は山ほどある。子供1人捕まえる事などいとも容易い。少しだけなら泳がせてやろうと息を吐いたその矢先、手駒ではない気配を感じる。
意識を集中させるとその気配は案外近くにあり、隠れることもなく堂々とその姿を見せた。中年の如何にも慕われていそうなガタイの良い男であった。


『ーーー貴様、何用か?』
『すまない、驚かせる気は無かったんだが背後から現れては敵と認識されても仕方ない。安心してくれ、と言っても無駄かもしれないが安心してくれ、俺はアンタの味方だ』
『そう言って後に欺くつもりか?貴様が私を知っているのかどうかはどうでも良いが生憎人付き合いは悪い方でな』
『知ってるよ、"魔導師"の長ーーーエミハルト、で合ってるか?……おぉ、そんなあからさまに敵意剥き出しにするなって!』
『知っているのなら話が早い。それを着ていれば分かる。騎士だな。しかも筆頭だ。追放された忌々しき種族を根絶やしにしろ、とでも命令されたか?あの傍若無人な王家王族に』
『それは違うなぁ、本当に個人的な用事だ。ぶっちゃけ俺自身的には"魔導師"が忌み嫌われているだとかはどうでも良くてな、寧ろ興味の対象……いや、手を組みたいと思っているーーーー単刀直入、結論を先に言おう』



「ーーーー"今逃げ出したあの少年を一時的に、来る時まで俺に預けて欲しいんだ"、と」
「……!」


無論最初は疑っていた。突拍子の無いことを言い出すのかと驚いたと言うこともあったがこの男を信頼するに値する情報が全く無かったのだ。これまでに受けてきた仕打ちの所為か、人の嘘には敏感な方だった。だがその男の顔は嘘で塗り固められた顔ではない。
間違いなく、本気で言っている。

完全で完璧な状態で私の元へ戻す、と。
最高傑作を磨いて磨いて最高の器にしてみせよう、と。
仮に自分が死んだとしても意志を継ぐ者がいるのだ、と。


「その男はな、私にはっきりと言った。"世界の天地をひっくり返したい"ってな…あの時は思わず反射的に笑ってしまったさ。嘘ではなく本気でその言葉を私に言ってのけた」
「………そ、れで、アンタは………」
「言わなくても分かるだろう?優秀な頭を持ってるんだ、本当は言わなくても理解しているのにそれを言ったのが違う人間であると、私の答えが違うものだと思い込みたいんだよなぁ?」


激しい動揺に揺れる瞳に面白さを感じながらエミハルトはさらに顔を近付けて耳元で囁くように、優しい声で質問に対する『答え』を告げた。


「ーーー私はそれを引き受けた。アイツは死んでも約束・・を守って私の元にお前を送り込んだ。当時の騎士団主格ーーークロスビー筆頭の手を私は取ったんだよ」
「っ!」
「残念だったなぁ…お前は最初から『敷かれたレールの上を走っていた』だけに過ぎないんだ、それに今の今まで気付かなかった……可哀想に?」


ゆっくりとその手が離れて行く。
また残酷な程に優しい顔で笑って目を合わせた。

少しずつ、少しずつ。
立っている為の気力が、崩れ落ちていくのを感じた。
その毒はじんわりと全身を蝕んでいく。
どこからどこまでが嘘でどこからどこまでが本当か、なんて、聞く必要も無い。決定的となった答えを否定したくて聞いたその『答え』に嘘は感じない。彼が嘘を見抜くのに長けていたのと同時に嘘を付くことはしなかった。

ーー最初から、そう・・だったんだ。
利用されていたと言うことを、全て計画の上だったのだと言うことを信じたく無くて必死にあの男クロスビーの事を思い出そうとした。向けられた優しい言葉も、笑顔も、色々と褒めてくれたことも、自らの技能を買って特別部隊に呼ばれたことも、歳に見合わず少しだけ馬鹿なことをしたのも、全部。

全部、シナリオ通り。


「ーーーー…あの人は、僕を、ただの…駒としか、思ってなかった……?」


否定の言葉も無く、そのか細い声で呟かれた一言は静寂へと溶け込んで消える。

もう一度、あともう一度だ、とその様子を見たエミハルトは思った。彼の対抗心を完全に折るにはあと一押しだと確信していた。向いた視線の先はーーーー。


「さて、そろそろ終わりにしようか。私も暇じゃあない、『1人の少年の逃走劇』を終演させよう」


ぱちん、と指を鳴らしたのと同時に離れた所に呆然と立ち尽くしていたアーネストが膝を付く。ただ一点を見つめて動くことはなかった。その2つの音に意識が現実に戻されたアレルはアーネストの上に静かに作られていく無数の槍に目を疑い、エミハルトに問う。


「…何を、する気だ…」
「使い終わった人形の処分だよ、もうあれは不要だ。役には立たぬ」
「っ、待て、よ!なんで、っ、アーネストが殺されなきゃいけない理由なんて…!」
「理由?あるよ、ちゃんとある。ひとつはまぁ…私個人の理由だが、器を替える際に前の器で作った刻印持ちは稀に持ち越されない場合があってなぁ……万が一そうなったとしても厄介事は無いがやるに越したことはないだろう」
「ひとつ"は"…?」
「あぁ、そうだ、あともうひとつ、ふたつめの理由がある。こっちの方が重要かもしれないなぁ?」


小突くようにアレルの胸元を叩く。


「ーーーお前だよ、お前と、関わったからアイツは殺されるんだ」
「ーーーー!?」


アレルの足元に元々描かれていた魔法陣の上に重ねるようにひとつ魔法陣が描かれる。それは自らを守るものではなく、視線の先の動くことすら出来ない彼に向けた結界魔法だ。 特別な場合を除いて基本的には魔法で出来た物に対しての魔法で作った結界は有効である。剣やら銃と言った人間の手で作られたものに対しての効力は無いに等しいが、例え本物と同じであっても元が魔法で作られたものであればそれには値しない。
故に今出来る『彼を守るための方法』はそれひとつしかなかった。
自身の全てを以てして発動したそれは、儚く散る。魔法陣が発動したところまではよかったのだが、効果が発動される間もなく弾け飛んだ。発動出来なかったと言うのに身体には発動した時の負荷が普段以上にずしりと伸し掛る。今か今かと振り落とす合図を待つかのように宙に浮く槍に更に焦りを覚えて何度も発動しようとしては消されて、を繰り返した。


「あー、無駄無駄、お前の下の魔法陣それ、私が作り出した絶縁結界魔法だ。中に捕らえた対象の人間は一切の魔法が発動出来ないようになってる」
「っ、煩い、…煩い!」


守らなきゃと言う意志に反して彼を守るための方法は一向に発動されない。ただただ負荷だけが重く伸し掛り、疲労させていくだけだった。

アーネストの名前を呼ぶ。
目覚めてくれ、と。
そして今すぐ逃げてくれ、と。
叶うならあの槍の下に己の身を差し出したかった。
離せともがいても絡みついた鎖は重く、固く、逃すことを決して赦しはしない。
エミハルトは静かに手を上げ口を開く。


「ーー終演と行こうか」
「……やめろ」
「ーーさようならだ、哀れな人形よ」
「彼は何も…!」
「ーーコイツと出会ってしまったことが運の尽きだなぁ」
「やるなら僕にやればいいじゃないか、彼には…アーネストにはなんの罪もない!」
「そうだ、彼には何の罪もない」
「なら…!」
「さっき自分で言った言葉を忘れたのか?」


「ーーー"彼がこうなった事の責任は自分にある"って言ったばっかりだろ?」
「…!」
「つまりは、お前の所為・・・・・で死ぬんだ」


挙げた手が静かに払われる。
宙に作られた槍は真っ直ぐに勢いをつけて地面へと雨のように降り注ぎ、叫び声と、肉を裂く音と、地面に金属がぶつかる音が全て重なって、それからすぐ大量の赤を咲かせながら地面に倒れる身体の音が静まり返った空間に響いた。
見ないようにと頭を垂らすアレルの前髪をぐっと掴んで引っ張り持ち上げる。


「っ!」
「目を逸らしたらダメだよなぁ…現実はちゃんと見ろ。 お前の所為で憐れにも死んだお仲間の姿を見届けろ」
「違う、違う、彼は、まだ…」


動かない。決してもう動くことはない。
分かっているのに否定の言葉しか出てこない。
糸の切れた人形のように横たわっているだけの友の姿が嫌と言うほど脳裏に焼き付く。



「ーーーお前には何も守れない。何も誰も救えない」


少しずつ、少しずつ。


「ーーお前の存在は罪だ」


自分の中にあった信念が 崩れ落ちていくのを感じた。


「ーーお前が生きてきた時間が彼を殺した。それは変えられない『真実』」


腕の傷よりも、身体中に作った傷よりも、胸の奥が痛い。
焼けるように熱くて息が苦しい。
目の前に広がる現実が、静かに囁き続ける彼の言葉が鋭い凶器となって深く深く傷を付けて抉っていく。


「それでもまだ、"お前"はここに居続けるつもりか?」


ーーー怖くなった。
自分が居続けることで誰かを傷付けてしまうことがどうしようもなく怖くなった。
敷かれたレールを知らずに歩き続けた果てがこれだ。自分で言ったじゃないか。責任は己にあるのだと。こんな未来が訪れてしまったのは全部『あの日逃げ出した自分』にある。そんな人間がこのままここに居続けるとしたらーーーー。


「ーーーまた、誰かを、死なせて、しまうんだね」


膝から崩れ落ちる。己を捕らえていた鎖はゆっくり解けて行ったが、そのまま目を伏せて出せない涙を堪えるように小刻みに震えていた。

立ち上がる力はもう残ってない。
反抗心も残ってない。
全て粉々に砕かれて、砕かれて、目に見えなくなるぐらいに何も無くなった。
悔しいのか、悲しいのか、辛いのか、怒っているのか、感情がぐちゃぐちゃで今どんな気持ちでこの場にいるのか自分でも全く分からない。

複雑怪奇に組まれた魔法がアレルを中心に地面に描かれる。赤い光は下から仄かに照らし緩やかに飲み込んでいく。昔客観的に見ていたこの光景をまさかその中心から見ることになるなんて思ってもみなかった。
目の前を覆うように広げられた掌の隙間からエミハルトの姿が見える。
彼は憎たらしい程に勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「ーーーーAuf Wiedersehen.Allel.」


眩しいぐらいの光とまるで祈りの言葉のように優しい声で呟かれたそれを聞いて『意識』はどこか遠くへと消えていった。




[ 6/6 ]

[*prev] [next#]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -