愛すべき敵

食事に誘うと、彼女は思った通りあっさりと承諾してついてきた。

「こうも素直について来られちゃあ、裏があるのかと疑いたくなるな」

「あら、何なら今からでもお断りしましょうか?こんなお高そうなレストランで一人寂しく食事をするあなたを遠くから眺めるのもそれはそれで楽しそうですし」

「相変わらず口の回る…そのつもりも無い癖に帰り支度を始めるな。安心しろ、おれが払う」

冗談ですよ、と至極楽しそうに彼女はにこにこと笑っていた。だが彼女のこの表情はいわば標準装備のようなものなので、彼女が実際に自分との時間を楽しんでいるとまではベックマンとて思っていない。

「趣向を変えてきましたね?まさかあなたがこの条件に肯くとは思っていませんでした」

「一度腰を据えて話すのも悪くは無いかと思ってな」

食事に誘ったのはベックマンだが、条件として店を指定したのはナマエだった。予約を取らないと入れないような少々値の張るレストラン。照明の抑えられた店内には耳障りでない程度の心地よいピアノの音色が流れており、いかにもカップルが好んで訪れそうだ。勿論ドレスコードもそれなりで、ベックマンもいつもよりは幾らかかっちりとした服装をしている。上着の裏地が虫食いだらけなのは海賊のご愛嬌というものだが。

「そうですね、私としてもその方が都合が良いですし。乗って頂けて良かったですよ」

当然ナマエも普段の全く色気のないズボン姿ではなく、辛うじてドレスに見えなくもない品の良いワンピースを着けていた。身動きをするたびにひらひらと舞うシフォンは、まるでひらりひらりとこちらに真意を掴ませないナマエの言動そのもののようだった。

「…だがまあ、積もる話は後だ。好きに頼め」

気負わないベックマンの台詞に、ナマエは従順な女のように可愛らしく小首を傾げて見せた。言葉のひとつ、仕草のひとつが駆け引きだった。互いに頭脳派であることは自覚している。時折ちらりと交わる視線には色っぽさなど欠片も無く、無関心を装いながらただただ相手の内心を探っていた。

「では、折角ですから存分に堪能させて頂きましょうかね」

にこりと笑ったその裏ではおれに対する言葉と思考だけが渦巻いているのだろうなと思えば、なかなかどうして悪くない気分だった。

そしてメインディッシュの皿も下げられて、二人の前には黄金色の液体の入ったグラスが置かれる。仄かに泡が揺れているそれは、いかにも女性の好みそうな、口当たりの良い蜂蜜酒だった。

彼女は食事を終えてナプキンで口元を拭う仕草をしてはみせたものの、手元といい口元といい全く汚してはいなかった。普段がラフな格好であるから見逃しがちではあるが、姿勢ひとつ取ってみても彼女は酷く品が良い。そしてナプキンを置き、蜂蜜酒をひとくち飲んで口を潤した彼女が先に口を開いた。

「そもそも、ベックマンさんは私のどこがそんなに気に入ったんです?」

それくらいの質問は聞かれるだろうと予想していたので、特に悩むことも無く答える。

「理由は無い。感覚だ」

「おや、感覚派には見えませんけれど」

「欲しいと思っただけだ。無理矢理攫ってもいいが…そんなことをすればどんな報復が来るか知れたもんじゃねェからな、真っ向勝負だ」

その時初めてナマエは苦笑らしきものをちらりと閃かせた。今までは完璧過ぎるほど完璧な愛想笑いしか見せてこなかっただけに、酷く印象的な表情だった。少しくらいは揺らいでいるのだろうか。そうでなければ甲斐も無いのだが。

「今からあなたを侮辱するような事を言いますが、まあここまで来てそれが嫌だなんて仰ることもないでしょうね」

「…おれ自身がどうこう言われる分には幾らでも構わないさ。頭と仲間に言及するんで無い限りはな」

「ええ、あなた自身に関することだけですよ。今はあなたと私のお話をしているのですから」

当然のように彼女は真っ直ぐな目をして言い切った。何故こんなに拒絶されてまで彼女を求めるのか。その理由は彼女のこういうところにあるのかもしれなかった。期待を持たせる素振りすら見せず、どこまでもその態度は冷たいくせに、こんなにもその言葉は真っ直ぐなのだ。嫌われたいのならば、仲間を侮辱するなり頭を侮辱するなり幾らでも手段はあるだろうに、彼女はそれをしない。自分を貶めることも他者を貶めることもせず、どこまでも真っ直ぐに受け止めて真っ直ぐに返すのだ。

「では。例え話で恐縮ですが…あなたは私が仮に同じ思いを返したとして、その後私をどうするつもりなのです?こうして私を落とす為に色々している間は良いでしょうね。けれどその後は?新しく見つけた玩具も、一旦手に入ったら後は飽きるしかないでしょう。あなたは海賊で、いつかは海へ出て行くというのに、一体私とどうこうしようと言うのですか?いつか必ずまた来るから、とでも陳腐な台詞を吐いてみます?それとも海へ私を連れ出しますか?見たところ赤髪海賊団には女性がいないようですが。ああこれはただの事実で、侮蔑ではありませんので悪しからず」

ベックマンは無意識の内にポケットをさぐっていたが、ここはそもそも煙草を吸えるような店ではない。こんな店を指定してきたいちばんの理由はそれなのだろうが、これでは苛立ちが煙草を吸えないことによるものなのかナマエの言葉によるものなのか分からない。

「何度も言っていますけれどね、おとなしく私以外の女性と短い恋をして次の島へ行き、そこでまた短い恋をするのが良いと思うんですよ。ああ、攫っていかないと確約してくださるんなら、私が短い恋のお相手になるにもやぶさかではありませんが」

確かに短気な男ならば怒っても仕方のない侮辱ではあった。思いに応えてもいないのに、仮定の未来にダメ出しをされているのだから。ベックマンはすぅ、と鼻腔に空気を溜め込むように息を深く吸った。嗅ぎ慣れたニコチンの香りはしないが、白煙を吐き出すときと同じようにゆったりと息を吐く。幾らか気分が落ち着いた。

ナマエはそんなベックマンの様子に優勢を感じたのか、ここぞとばかりに言葉を並べ立てる。

「率直に申し上げて、あなたの言動には…何と言いますか、私への愛情が介在していることが感じられないのですよ。私に対する好意や興味は確かにおありなのでしょうね。けれどそれが恋情や愛情であるとは感じられないのです。そして私の方にもそもそもあなたに応える意思が無い。これはもう、単にお互い遊戯に興じているだけのようなものなのではありませんか?」

なるほど、敵は手ごわい。



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