従順な飼い犬

 コナンと灰原が博士宅のリビングで話をしている時。どこかの部屋から物音がした。コナンが警戒の表情を浮かべるのを、灰原が制した。

「気にしないで。猫が入り込んだだけだから」
「は?猫って、オメェ」
「ちょっと行ってくるわ。最近よく来るのよね。すぐ戻るわ」

 なんでもないように灰原が立ち上がったのを呆気に取られて見送ってしまったが、猫が閉められている窓から入ってくるわけもない。コナンはこっそり灰原の後をつけた。

 そして、とある一室にて。

「うっ…うっ…志保さぁん…」

 こっそり部屋の中を覗いたコナンは、あまりの衝撃に固まった。全く想像がつかなかった光景が目の前にある。
 部屋の中ほどに座る小さな少女は灰原だ。そしてその膝の上に頭を乗せ、母親に甘える幼子のように灰原の腹に頭をこすりつけているのは、

「……ナマエ…さん?」
「沖矢の野郎が…うっうぅ…」
「はいはい。酷いわね」
「志保さぁあん」

 あまつさえ灰原は本当に猫にやるようによしよしとその頭を撫でてやっている。思わずコナンはがたりと音を立ててしまった。瞬間、灰原にじろりと冷たい視線をもらう。

「あ…悪ぃ、気になってつい。それ、ナマエさん…だよな?」

 ため息と共に肯定が帰ってくる。コナンはそっと傍まで近寄った。と、ナマエが一瞬にして灰原の膝の上で身を起こし、警戒姿勢をとる。思わずコナンが固まると、灰原がぽんぽんとナマエの頭を叩いた。

「大丈夫、彼は噛みついたりしないから」
「噛み…ってオメェなぁ。つーかもしかして、ナマエさん、酔ってんのか?」
「そうみたいね。あの人が言うには、弱いくせに毎度毎度晩酌に付き合ってはこうなるらしいわ。まぁ、あの人が毎度毎度この子を泣かせてるっていう可能性も否定できないけど?」
「この子って……」
「あら、この子、私より年下だもの。組織に居た時もたまにこうして甘えに来てたわ。男嫌いだし、近くに同年代の女性は私しかいなかったから。この子はよく過酷な任務を任されてたみたいだしね。…そういえば昔も酷い任務の後は黙って縋りついてきたわ。なぜか今は億面なく甘えてくるけど」
「…仲よかったのかよ?」
「仲がいいというか…他に甘えられる相手がいなかっただけでしょ」
「じゃあ何であんときあんなに…」
「それは悪かったと思ってるわ。黒の組織のプレッシャーのせいで私も必要以上に警戒してしまってたみたい。思い返せばこの子、任務の時は凶暴でも、女の子には優しいし私に牙を剥いたことはないもの」

 よしよしと背中を撫でる手は優しい。甘えるナマエはまるっきり犬猫のようだ。コナンは呆気に取られた。

「ほら、そろそろ戻んなさい。あんまり長居するとあの男が来ちゃうじゃない」
「うん…わかった」
「それと、私を志保とはもう呼ばないで」
「うん…」

 こんなに素直だっけ、この人。コナンは目を点にした。
 と、チャイムの音が響く。

「ごめんね、哀ちゃん。戻るね。…また来てもいい…?」
「……好きにしなさい」

 酔ってとろけた瞳が嬉しそうに細められた。喜色を満面に浮かべたナマエは、ひらりと身軽に窓から出ていった。隣は工藤宅だ。本当に酔っているか怪しいくらいしっかりした身のこなしだったのは、気にしてもしょうがないのかもしれない。

「…じゃ、私は地下室でやることがあるから。あの人の相手はよろしく」

 先ほどまでの優しげな雰囲気はどこへやら、灰原はさっさと引っ込んでしまった。仕方なくコナンが玄関に向かう。

「こんばんは」
「…こんばんは、昴さん。ナマエさんならたった今戻ったよ」
「そうですか。彼女を引き取りがてら、ご迷惑をかけたお詫びをしようと思ったのですが」
「灰原ならやることがあるってさ。しばらく出てこないと思うけど…」

 コナンは声をひそめて昴を引き込み、こそりと聞いた。

「ナマエさん、どうなってるの?」
「どう、とは…」
「毎回あんなに酔うって、信じられないんだけど?」
「ああ。そのことですか。えぇ、哀さんもそう言って初め血相を変えてこちらへ乗り込んできましたけどね。信じられないようだったので、一緒に酒を飲むところを最初から見てもらいましたけど、やっぱりああなりましたよ。どうも彼女は酒に弱いみたいですね」
「…灰原が血相を…やっぱ意外に仲いいのか?」
「どうもそのようですね。妬けてしまいますねぇ」
 にこりと人畜無害な顔で笑う昴を、コナンは微妙な面持ちで眺めた。



真相。

 酒にかこつけて組織の情報を引き出そうと多少ナマエを追いつめると、なぜか彼女は隣宅に逃げ込んだ。それも窓からだ。不法侵入になるのでは、と慌てて隣へ駆けつけると、逆に血相を変えた小さな少女に怒鳴りつけられた。あなたこの子に何したのよ、と。どうやらナマエの涙に弱いらしい。新たな灰原哀の情報をそれとなく頭に刻み込みつつ、昴は状況を弁解するべくナマエを回収した。そして今度一緒に飲むときに様子を見ていてください、と言ってその場は何とか逃れて。
 翌日、約束通り灰原の目の前で二人して酒を飲んでみせると。

『…私もロックがいいです』
『慣れないうちはやめておいた方がいいですよ?』
『やです。沖矢さんに飲めるなら私にも飲めます』

 と、既に酔ったような口調でナマエが無理やりロックでウイスキーを飲みだし、数杯飲んだところで泣き出し、なだめる昴の言葉になぜか怒りながら号泣する、という一連の流れを灰原に見てもらったのだが。
 灰原はジト目で沖矢を見てはいたものの、一応納得したらしく、ナマエに「お酒はほどほどにしなさい」と言い残して帰ってくれた。

 灰原が帰った後。

「…こんくらいじゃ酔えないんだけどね。これは貸しひとつでいいかな?沖矢さん」

 当然、酔ったのも泣いたのも演技だ。酒だけではさすがに泣くまでには至らない。

「元はと言えばあなたが…いや、まぁ、いいでしょう。あれだけ追いつめた僕に非があります」
「へえ、フィフティーフィフティーとは言わないんだ。見くびってたかな?まぁこれで志保さんに甘えられる口実ができたから貸しは軽めにしておくけど」
「それはありがとうと言うべきなのかな…?」
「別に。それより暇さえあれば私を暴きにかかるの、やめてくれないかな?身が持たないんだけど」
「おや。昔の男よりは優しくしてあげられているつもりでしたが。僕も精進が足りませんね」
「…本気で志保さんに何もかもばらしてあげようか?隣に住んでるのが実は盗聴が趣味の変態ロリコン男だってこととか」
「人聞きの悪いことを言うのはやめてください。僕はただ彼女をお守りしたいだけですよ。君だってその目的は同じでしょう?ならば余計な真似はしないことです」
「……先にしてるのはどっちよ」
「おや、何か?」
「いーえ?お説教が終わりなら今日はもう寝るわ。おやすみなさい、沖矢さん?」
「……ええ。おやすみなさい、ナマエさん」



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