突然

 落ち着く前に取り乱すことすらできなかった。それくらい、余りにも自然にここへ来てしまった。ここは、私の知っている世界だ。とある漫画の世界。そう、漫画の。

「あ、マスタング大佐!お疲れ様です!」

 急に周りの人が立ち上がり、気を付けの姿勢で敬礼をした。あ、何かこれ知ってる。っていうか今マスタング大佐って言ったし。もう間違いねーわこれ。ここ、ハガレンだ。

「おいお前、何ぼさっとしてんだ、敬礼は!」

 近くにいた、青いスカートみたいなジャケットを身につけた人がひそひそ声で話し掛けてきた。どうやら目上の人間が訪れたときはそうするものらしい。何が何だか分からないが、見よう見まねで敬礼をしてみる。初めてやった筈なのに妙にしっくりくる動作だった。

「いい、いい、楽にしろ」

 漫画のキャラが、目の前で動いている。驚くなり感動するなりしても良いはずなのに、不思議なくらい私は自然にそれを眺めていた。まるで自分の体が自分じゃないみたいだ。しばらくしてマスタング大佐は誰かを伴って去っていった。敬礼を解いて椅子に座り直すと、足下でかしゃんと華奢な音がした。割れた眼鏡を踏んでしまったらしい。もう使い物にならなくなってしまったそれを見ながら、私はどこか冷静に、この世界に眼鏡屋はあるのだろうかと考えていた。

何が怖いって、パニックにならない自分がいちばん怖い
(まあ眼鏡屋はあるだろう。機械鎧があるくらいだ)



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