Stoop to conquer

 裏路地から男たちが消えても、ナマエはしばらく立ち上がることができなかった。
 数歩離れたところで、シュウが壁にもたれながら煙草を吹かすのが分かった。
 地面に横倒しになった視界の中、黒のジャケットが地に落ちているのが目に入る。行為をしている間、邪魔だからだろう、途中で脱ぎ棄てられたシュウのジャケットだ。
 それを拾い上げる手が目に入った。白く、骨ばった、大きな手。

 拾ったジャケットを片手に近づいてくる、シュウの立ち姿。それだけで冷徹だと分かるような。……これがレイなら、間違いなく、ナマエの肩にそのジャケットが掛けられただろう。いや、そもそもこんな事態にはなっていないに違いない、先に自分を見つけたのがもし彼だったなら。痛む胸に苦労して呼吸をしながら、ナマエはぼんやりとそんなことを考えた。

 ナマエの目の前に、シュウがしゃがみこんだ。ナマエはまだ地面に頬をつけて転がったままだ。
 カシュリ、と音がして、新しい煙草に火が点けられる。
 フー、とシュウはナマエの顔をめがけて煙を吐き掛けた。
 ゴホリ。咳をしたかったのに、折れた肋骨が燃えるように痛くて、それすらかなわなかった。ポロリと涙がこぼれた。

「…………馬鹿な女だ。これで分かっただろう」

 駄目押しのように、もう一度、白い息がナマエの顔めがけて吐き出された。酷く屈辱的な心地がした。相手もそれが目的なのだろうから、意地でもナマエは、シュウを睨みつけたりはしなかった。努めて穏やかに、なるべく真摯に見えるように、彼の目を見つめた。恨みがましくならないように。
 シュウが立ちあがる気配がした。何もしなければ、彼はきっと路地に捨てられた子猫を見捨てるよりもあっさりとナマエを見捨て、二度と振り返りもしなければ、二度と会うこともできなくなってしまうだろう。ナマエにはそれが分かっていた。

「…………赤井さん。」

 ナマエは呼びかけた。久しく口にすることのなかった、自分の生まれ育った国の言葉で。
 ここ最近はすっかり英語の方が口に馴染んでしまっていたけれど、口にすると、……それを理解してくれる人間がここにいるのだと思うと、泣きたくなるほど安堵した。

「私の兄を殺したのは、降谷さんですか」

 言葉の内容など、その時のナマエには、どうでもよかった。
 今。彼が決して見過ごせない言葉を並べられるのならば、その質問の答えなどどうであろうと。
 そして彼の足を止めることに、ナマエは成功した。

「…………俺の恋人を侮辱するな。殺されたいか」

 ふ、とナマエは思わず口元に笑みを浮かべた。シュウからそんな言葉と表情を引き出せるとは思ってもみなかったので。これくらいの脅しで引き下がると思ったら大間違いだ。むしろ今彼は、最大の秘密を、隠し事の確信を、ナマエに与えてしまったのだ。ナマエの言う「降谷さん」と、シュウの「レイ」が同一人物であると。全く彼らしくもないミス。少しは彼も平静さを失っているのだろうか?

「あなたの恋人?……それはシュウのディアレストで、レイのことでしょう?……“赤井さん”の愛しい愛しい“こいびと”さんは、別にいたのでは?――なぜ今のわたしの言葉が侮辱になるんですか?あなたたちがもし本当に裏の人間だっていうなら、人を殺すくらいのこと」

「お前、………一体どこまで」

 シュウの本音が漏れかけた。
 しかし途中で彼も気づいたらしい、途端に表情を消して、ポーカーフェイスでくるりと振り向いてしまった。そのまま離れてゆく気配。ナマエは最後の気力を振り絞って大声を出した。

「私は絶対に諦めません。……青いドアの――ノックなしじゃ入れないあのカフェで、毎日、いつまででも、待ってますから!」

 背中はびくともせずに、一定のスピードで小さくなっていった。
 大概、私も諦めが悪い。薄れゆく意識をどうにか保とうとしながら、少し笑うと、折れたのだろう胸のどこかの骨が酷く痛んだ。



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