Nothing seek, nothing find

「シュウ!」

 すれ違った横顔に何度目を見開き、過ぎ去った後姿に何度そう呼びかけたことだろう。今日も彼は振り向かなかった。

 この落胆にも、もう慣れた。

 新しい友人と遊ぶことや、講義をうまくサボること、レポートの前に徹夜することにも、そろそろ慣れた。大々的なカミングアウトはまだできていないにしろ、親しい幾人かには打ち明けた。過去の話も語った。つらかったね、よくがんばったね、とハグをされたこともあった。そのたびに頑なな虚しさは解けていったけれど、心のどこかにはいまだにぽっかりと穴が開いていた。

 真夏に空いた巨大な輝く円い穴が、ナマエの視界をじり、と焼いた。
 その眩しさを直視できなくて、道路に目を落とす。真っ白に敷き詰められた小石が、また目を焼いた。どこを見ても結局は見ていられなくて、その眩しさから逃げるには、目をつぶるしかない。

(……どうして)

 考えてはいけないことを、普段は考えないようにしていることを、ナマエは考えだしてしまった。

(シュウ、レイ、どうしてあなたたちは)

 最初から近づいてはいけない関係だと分かっていたのなら。一時の邂逅しか許されていなかったのなら。

 どうして期待させるようなことを言ったの。これからも続くだなんて期待させて、そして、どうして何にも言わずに消えてしまったの。もし彼らが私をカリフォルニアまで届けてくれて、“See you”ではなく“Good bye”と言ってくれていたなら。きっとナマエだって諦められた。出会いと別れは表裏一体なのだと自分に言い聞かせて、きれいごとを並び立ててでも、どうにか折り合いをつけられたはずなのだ。

(あと一度だけでいい、あとたったの一分でいい。……さよならを言わせてくれたらそれでいいのに)

 その考えがどれだけ子どもじみたものであるかは分かっているつもりだ。分かっていながらこんなことをやっているのだから、もうきっと救いようがない。あるいは分かっているつもりで何も分かっていないのかもしれない。どちらにせよただのガキだ。彼らが扱ってくれたようには大人のレディになんてなり切れていない。

 ハ、と息をついて、ナマエは、目についたカフェに入った。同じカフェには二度は入らない。店主が不在でもない限りは。そうして渡り歩けばいつか巡り合えるかもしれないから。

 奇跡は二度は起こらない。起こった一度を握りしめて離してはいけない。
 今なら絶対にその通りにできるのに。気づいた時にはどうしていつも遅いのだろう。

 ギィ、と軋んだドアの音。少しペンキが剥げた青いドア。そういえば、夢に出てきたカフェはこんな感じだった。少しの期待と諦めを織り交ぜてカウンターの奥を視線で追う。店主の後姿は、レイにもシュウにも似ても似つかない、恰幅のいい女のものだった。

「ハーイ、見ない顔ね。注文は?」

「……サンドイッチひとつ、コーヒーと一緒に。」

「O.K.」

 珍しく愛想のいい店主だ。エプロンの紐はぎりぎり腰に回っているくらいで、リボン結びが今にも解けてしまいそうだった。大げさに腰を揺らしながら歩く仕草にもそろそろ慣れた。……この落胆の感覚にも。

 窓際の席を陣取って、スマホを取り出した。FacebookやTwitterも貴重な情報源だ。スラングや略語や若者言葉の入り混じった英語を読み流してスワイプしていくのにもいい加減慣れてしまった。

「Here you go!」

「Thanks.」

 目も合わせずにトレイを受け取り、本当に何気ない仕草でスマホを片手にサンドイッチを口に運んでから、驚いて声を漏らすまでには数秒のラグがあった。

「……おいしい!」

 カウンターへ戻ろうとしていた店主が振り向いてウィンクをした。

「キュートでセクシーなジャパニーズに教わったのよ。ずいぶん気前のいいボウヤだったわ。あなたも日本人?」

「……、ええ……そうです」

 心臓がとくりと跳ねた。理由は全くもって不明だが。

「だからかしらね。日本人ウケするのよ、これ。あなたは分かりやすいわ」

「他にも、日本人が来たことが?……分かりにくいような?」

「というか、教えてくれた彼が日本人ぽくなかったのよね。ま、アジアンらしいベビーフェイスだったけど」

「……どうして日本人らしくないと?どこを見てそう思った?」

「そうねぇ、」

 とくり、とくり、――――ドクリ。

「髪かしらねぇ。日本人といえば黒髪黒目っていうステレオタイプがあるのよね。型に当てはまる人間ばかりじゃないって分かってるんだけど。あなたはその点イメージぴったり。とってもナイスよ。私、日本人って贔屓しちゃうの。昔付き合ってた女の子も素敵な日本人だったわ、……あ、あなたホモフォビアだったりしないわよね?」

「私、……私は、あの、私も、女の人と付き合ってたことがあります。その、……それで、もしかして、その“彼”は褐色に青い目をしていませんでした?」

「まあ!まあまあ、でも、そうよね、この辺りはゲイ地域よね。そう、その通りよ、お嬢ちゃん。知り合いだった?」

 ああ、やっと。



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