共犯者たち

 日常は過ぎ行く。
 事件が幾度か起こり、いくつかのイベントが過ぎ去った。
 昼間の疲れを癒すべく、ナマエは静かになれる唯一の場所―別に阿笠邸が騒々しいというわけではないのだが―に来ていた。

 だが忘れていたのだ。そこにいる彼がいつでもナマエを放っておいてくれるわけではないと。
 そして今日、彼はナマエを逃がしてくれるつもりはないらしかった。用意してくれた飲み物をもって部屋に閉じこもりたくなったが、それはかなわなかった。

「何のために彼らを助けたんだ?」

 話は唐突に始まる。詳細な形容詞がなくとも二人の間では問題なく成立する会話。
窓の外では雨が降っていた。ザァ…と街中を包むささやかな騒音はナマエの心のざわめきを鎮めるのに役立った。それでも、赤井の問いに答えるのには少しの時間を要する。

「…………理由を、説明する必要が?」
「もちろん、君の兄が人の命を救うのに理由を必要としないことは承知している」
「私は違うと言いたいんですか」
「少なくとも、全く同じ思想を抱いているとは思わんな。それに君は過去に、兄が救われるのなら他人はどうなってもいいという趣旨の発言をした」

 沖矢の姿をした赤井の前にはウイスキーのグラス、ナマエの前にはホットミルクのマグカップがそれぞれ置かれていた。

「なるほど。それなら質問は正確にはこうですね。なぜ兄に、彼らが生きているのを伝えないか、と」
「……そうなるな。正確な記述は重要だ」

 夜にこうして会話を交わすことは時々あった。チェスや将棋をさすことも。囲碁だけはしたことがないが。

「伝えてなんになるっていうんです」
「伝えられないなら、彼にとってその事象は起こっていないのと同じことだ」
「彼らが生きていると知って兄が救われる、だから伝えるべきだ、と?」
「そのために助けたんだろう?」

 振り出しへ戻る。そのために助けたんだろう、そうでないなら一体なぜ助けたのか、と。
 何のために彼らを助けたのか。本当に知りたいのはその理由なんかじゃないくせに、ずいぶんと遠回りをした切り口で話を始めたものだ。ナマエは少し笑った。口角は持ち上がらず、ホットミルクに味はない。少しとろみのついた熱い水。それ以上の感覚を得得ない。

「……兄は強いから、もうきっと、乗り越えてる」
「だとすれば君のしたことは、」
「だから、なんにもならないことですよ、知ってます」

 ほんの少し、ナマエの声に切羽詰まった響きが混じった。自嘲も自省も自問もし尽くした。この問答に意味はない。ナマエは赤井が次に何を言い出すかを知っていた。
 赤井は辛抱強く待ち、ナマエの表情が平静に戻ると、静かに口を開いた。

「彼らと接触したい」

 初めからそれが目的のくせに、本当に、随分と遠回りをした。

「だめだと言っているのに。」
「……君は物語だと言ったな、この世界を」
「証拠が見たいならお見せできます」
「不要だ、俺は君を信じている」
「……そういう、」

 その後に続く言葉は、ささやかすぎて赤井の耳までたどり着かなかった。赤井は聞き返す仕草をしたが、ナマエは首を横に振った。

 ―あなたのそういう言葉が私にこの世界を信じられなくさせているのに。

 そんな言葉を言ったって仕方がない。おそらく赤井秀一は、ナマエが知っているよりナマエに優しい。優しいと信じられないから優しくしないでほしいだなんて、身勝手にもほどがある。

「……物語だとしても、物語じゃないとしても、私は、すでに助けた彼らをもう失いたくない」
「“もう”?」
「私がこの知識で初めて助けた人は、……とある事件の被害者でした。たまたま粗筋を覚えていたから、試しに助けたんです。犯人は殺人未遂で捕まって、その人は助かった。私にお礼を言いました。私は少し晴れやかな気持ちになりました」

 ぴく、と、顔面の筋肉がほんの数ミリ痙攣するのが分かった。一体どんな表情を作ろうとして失敗したのやら。ナマエは自嘲した。

「……でも、その人は、私にお礼を言って踵を返したその数歩先で死にました」

 暗い話はもうしたくないなあ、と、思いながらナマエは言葉を止められずにいた。
 助けた人が死ぬのはもうたくさんだ。無意味なんだと思い知らされるのはもう。

「一人や二人なら偶然ともいえるでしょうけど。……それとも、何十回偶然が続いたとて諦めるべきではありませんか?すべて私の思い込みで、私がただ悪いほうに考えているだけなんでしょうか?」

 暗くなりがちなのはナマエの悪い癖だ。たった一人事情を知る赤井に八つ当たりをしてしまいがちなのも。この世界に来て悪化はしたが、元の世界にいるときからその傾向はあった。この世界のせいにできない、ナマエ本来の恥ずべき癖だ。明るく笑い飛ばせたほうがいいに決まっている。

「その議論は後だ。それより、何か方法はないのか」

 ナマエの八つ当たりを、赤井はいともたやすくさらりと受け流してしまう。それはナマエを安堵させると同時に少し不満にもさせる。不和など起こらないほうがいいに決まっているが。

「……この数年いやというほど試しました。実験も」
「俺が彼らに接触するのはアウトということか?しかし彼ら同士は会えているのだろう?複数人で協力しているようだしな」
「…………確かに。でも、あなたのさだめはまだ狂っていないんですよ」
「具体的な名前と人数だけでも聞けないのか」

 ナマエはため息をついた。こう現実的かつ具体的な返答をされると、自分がまるでとても感傷的で気恥ずかしいことを口走っているような気分になる。普段はこの男だってずいぶん詩的な物言いをするのに。
 だがまあ、どうせ手詰まりなのは本当だ。ナマエの知る最新の情報まで到達してしまったのだから。

「……わかりました、今度データという形でお渡しします」

 やけくそのようにナマエはそう言った。ダメ押しのように「今度とは具体的にいつだ」と言ってきた赤井秀一という男が憎らしかった。



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