出会う

 それはスネイプがホグワーツに入って二年目の秋のことだった。
 湖畔で、一人の少女が泣いていた。夕暮れの薄暗さの中で、赤い髪の毛が憧れている幼馴染みのもののように見えて、スネイプは思わず足を止めた。
 一歩、二歩と近付いて、その髪が幼馴染みのものではないことに気付いた時には、少女は顔を上げてしまっていた。しまったと思う間も無く、泣き腫らした顔とばっちり目が合う。

「………どちらさま?」

「………すまない、知人に見えた。失礼する」

 薄暗い中で確認したネクタイの色が同寮のものだったので、最低限の礼儀だけは取り繕いながら目を逸らす。軽く会釈をして踵を返そうとしたとき、間の悪いことに、一陣の風がざぁ…っと二人を包んだ。スネイプが手に抱えていた数枚の紙が攫われて、湖の方へと飛んでいく。明日提出の魔法薬学のレポートが。
 ちょうど彼女の足下にひらりと舞い落ちたそれは、水に濡れてしまう前に彼女の手によって拾い上げられた。

「…ごめんなさい、少々濡れてしまわれたかもしれませんが」

「いや、湖に落ちてしまうよりましだ」

 差し出された羊皮紙は確かに涙にか湖畔の湿り気にか少々濡れていた。いかにもスリザリンらしい淑女然とした口調にスネイプ思わず反射的に怯んでしまう。貴族の多さは既に知っていたものの、マグルも同然の環境で育ったスネイプはその華やかさや優雅さに馴染むことができずにいたのだ。

「あなたは、もしかしてミスター・スネイプ?」

 恐る恐る問われた言葉に、スネイプは微かに眉を顰めた。間違いでは無いが、自分の方は少女の名前を知らなかったので。

「ごめんなさい、不躾でしたわね」

 そう言って少女ははにかむように微笑んだ。スリザリンらしからぬ、あどけない笑みだった。そしてやっと涙を拭う。
 スネイプはよっぽどその場を立ち去ってしまいたかったが、幾つか上の同寮の先輩に言われた言葉を思い出して、その場に何とか留まっていた。
 曰く、泣いている女性を放っておいてはいけないと。
 スネイプは相手に伝わらないように微かに溜め息を吐いて、湖畔に跪いた。懐からハンカチを取り出して、清く冷たい湖水に浸す。幾度か絞ってから、少女に差し出す。少女は目を丸くして差し出されたハンカチと、差し出すスネイプとを見つめた。

「………腫れていては、困るだろう」

「ああ、そう……ですわね」

 貴族の集うスリザリンでは、感情を露わにすることは良しとされない。泣きはらしたと分かる顔で戻れば要らぬ誹謗の種になってしまうに違いなかった。まあそれでも半純血であるスネイプほどではないだろうが。

「………もしかして、ミスターはマグル出身ですの?」

 素直にハンカチを受け取って目元に当てた少女のそんな言葉に、スネイプはかっと顔に血が集まるのが分かった。
 何故、それを。

「あっ、違うのごめんなさい!嫌味とかじゃなくて、その、杖じゃなくて湖の水で濡らしてたから、そうなのかと思って。私も時々自分が魔女だって忘れてやっちゃうの」

「………ぼくは、魔法使いであることを忘れたりしていない」

「そうだよね、ごめん………あ、」

 その言葉からすると、どうやら少女はマグル出身であるらしかった。焦って言い訳をしたせいか、言葉遣いも崩れてしまっている。こちらが地であるらしかった。

「………あーあ、だめだなあ」

 少し眉を顰めて、自嘲するような笑み。スネイプにも覚えのある感情だった。

「………お前の言う通り、ぼくも純血ではない。ぼくの前で無理に淑女面しなくてもいい」

 言ってから、言い方がきつかっただろうかと少し不安に思う。スネイプの方に自覚は無いのだが、ルシウスによく女性の扱い方は注意されていた。
 しかし、少女は一瞬きょとんとした顔を見せて、そしてまたあどけなく笑って見せた。

「ありがとう。実はあの喋り方好きじゃないの。緊張しちゃって」

 お喋りに興じるつもりは無かったが、立ち去るタイミングは完全に逃してしまっていたし、その気持ちはスネイプにも分かった。立ち居振る舞いや、序列が上の者への態度など、スリザリンでは全てが美しく厳密に秩序付けられている。

「いつまで経ってもお友達もできないし。あ、一応ひとりはいるんだよ、同じマグル出身の子なん、だ、けど…」

 不自然に途切れた言葉に少女の方を向いたスネイプはぎょっとした。
 何がスイッチだったのか、少女の瞳からは止まっていたはずの涙がまたぽろぽろと零れだしていた。

「…っ、ごめ…ん、…うわ、あれ、止ま、んな…っ…」

 少女自身も酷く戸惑っているようだったが、それよりもスネイプの方が焦った。とりあえずこれを放っておくことだけはいけないことだと頭の中でルシウスが告げてくるが、何をどうしたらいいのか分からない。

「……っ、は、ハンカチ、明日返すから…っ、もう、…行って。」

 立ち去れ、という意味だろうが、どう見ても彼女はまだ大丈夫そうでは無かった。立ち去りたい気持ちでいっぱいながらも、スネイプは恐る恐る彼女の傍へ歩み寄った。
何で今ここにいるのがルシウス先輩じゃないんだ…!と内心で百篇くらい唱えはしたが。

「おい、その、」

 慰めようとして、スネイプはまだ少女から名前も聞いていないことに気付いた。掛ける言葉もろくに思い浮かばないというのに。

「…………泣き止め」

 辺りは薄暗く、少年と少女は影と溶けるようにひとつになって佇んでいた。



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