ラブユー、ベイビー
※カミングアウトの続きです
陳腐な言葉を吐かれたことはある。ナマエがそれを打ち明けた時に。
大学に入って、言う相手を慎重に選んでやったカミングアウト。でも返ってくる言葉は大抵似たり寄ったり、どこかで聞いたことがあるものだった。
『それでもナマエはナマエだよ、何も変わらないよ』
『私、そういうの気にしないから、大丈夫だよ』
そんな言葉が欲しかったんじゃなかった。もちろん拒絶されないことに安堵はしたし嬉しくも思いはしたけれど。
でもじゃあ何て言ってほしいの?と言われたら言葉に詰まる。自分はきっと我儘なんだと思った。受け入れてもらえているだけでありがたいのに。拒絶されないだけ、仲間外れにされないだけでも喜ぶべきだったのに。
「辛かったね。よく一人でがんばった」
そう言ってレイに優しく抱きしめられただけで、涙が溢れた。
そう、本当は。
ずっとこうやってほしかった。変わらないんじゃない。変わるんだ。そうじゃない人なら経験しなかったあれこれの苦悩を一人で乗り越えて来た。時には乗り越えられなくてずっと悩み続けて。それでも生きて来た。そのことを、辛かったね、がんばったねって認めてほしかった。何も変わらないわけがない。辛かった。辛かったんだって。気にしてほしかった。ナマエがどうであれどうでもいい、じゃなくて、ゲイで、そのことを悩んできたナマエという人間を、認めてほしかった。
「………っ」
そんなのはわがままだってずっと押し込めて来た。誰だって人に言えない苦悩を抱えているし、傷ついたことだってあるはずだから。そんなことくらいナマエだって分からないわけじゃない。でもだったら誰にも受け入れてもらえないことを当然だといって割り切ってしまえばよかったのだろうか?
ジェンダー学の助教授に打ち明けた時にも言われた。「君は自分が性的少数者であることをひけらかしたいのかい?深刻に捉えすぎているんじゃないのか」と。
そうじゃない、と思いながら、そうなのかもしれない、と思って、それ以上もう誰にも何も言えなくなった。だってナマエにとっては深刻な問題だったのだ。だから兄に深刻ぶるな、と言われた時もとても悲しくて、酷いことを言ってしまった。せめて兄には、と、期待しすぎていたのかもしれない。
「………お兄ちゃん、っ」
後悔している。すぐに謝らなかったことを。
だって、まさか、いなくなるなんて思わなかった。そこからもう六年も会えなくなるなんて。
「君のお兄さんの代わりに、とても勝手なことを言ってもいいかな」
レイが優しくそう言った。ナマエは無言でレイの胸に顔を押し付けた。
「……ナマエ。君がゲイでも、バイでも、あるいはどれに当てはまらない厄介なセクシャリティでも、僕は君をずっと愛してる。僕には分かってあげられないことかもしれないけど、君が話してくれるなら、一緒に悩んであげる。悩んでも答えが出ないなら気晴らしに連れ出してあげる。一緒に素敵な人の話でもしよう。夜通し恋バナもしよう。君は一人じゃない。一人じゃないんだ」
ナマエは目を丸くした。
「…な、…なんで…っ」
レイの白い薄いTシャツはもう汗と涙でぐっしょり濡れて、褐色の肌が透けるほどだった。
「…何で、私の欲しい言葉が、わかったの…?」
「実は、君のお兄さんに聞いたんだ」
「うそ…」
「本当だよ。君がテキサスの砂漠のど真ん中で寝てる時に、彼もスタンドにスプライトを買いに来てたんだ。カシューナッツとハーシーズのチョコレート・バーも。その時に教えてくれたんだ」
兄はコーラよりスプライトが好きだった。ナッツの中では一番カシューナッツが好きで、いつまでたっても子どもみたいにチョコレート・バーを喜んで食べた。
「………君が酷いことを言ったのも、もう気にしてないって。君が悩みを打ち明けてくれたときも、軽んじるつもりは全くなくて、ただ君に、そんなに悩まなくてもいいんだ、って言ってやりたかったんだって。お兄ちゃんがついてるんだから、って。…君の話を聞いてやれなかったことを後悔してる。僕たちに、君の話を自分の代わりに聞いてやってくれって言ってたんだ」
もうその後は、訳が分からなくなるくらい、泣いた。
その夜は、汗でぐっしょりになりながら、前にレイ、後ろにシュウと挟まれて三人でぎゅうぎゅうになって寝た。