古巣へ戻った狂犬
「…マッドドッグが戻っただと?今更か?」
その一報を耳にしたジンは、酷く残虐な笑みを浮かべた。
「わざわざ始末されに戻るとは…見上げた忠誠じゃねぇか。…おい、すぐにマッドドッグを俺の前に連れてこい」
横に居たウォッカですら背筋に冷や汗を感じるほどの、愉悦と嗜虐を溶かした声。いっそ愛しい女にでもかけるような。
「………了解しやした」
ああ、殺されるな。
――いや、死ねたならまだマシだろう。ジンのマッドドッグへの執着は、それほど深い。ウォッカは帽子をかぶり直しながら、マッドドッグと呼ばれた憐れな少女に少しだけ同情した。
*
「………っはー、はー、はーっ、うっ…ああ」
悪趣味な、黒い革のソファ。ベルベットのカバー。そこから伸びた銀の鎖と、繋がれている少女。苦しそうに漏れるうめき声。
出来の悪いAVみたいだ、とバーボンは目をそらし、拳をぎりりと強く握りしめた。さっきバーボンと入れ違いに部屋を出て行ったジンはこれから任務らしい。聞かなくてもさっきまで何があったのか分かる部屋の惨状は、いっそ目を覆いたくなるほどのものだった。
バーボンはまず部屋中に散らばる汚れたシーツと、もはや服の形状を残していないシャツ、血に濡れた縄などを片付けた。ついでに盗聴器や監視カメラの類を確認する。盗聴器はあちらこちらに仕掛けられているが、カメラはないようだ。
「………うぁ、あ、」
「……マッドドッグ。何をご所望ですか?」
「み、みず…、水…っ、」
飽くまでただの世話係として、バーボンは彼女といくつか会話をかわし、彼女の口元に水の入ったコップをあてがってやった。
と、不意に首元を掴まれ、ぐい、と顔を引き寄せられる。
「…!」
「ん…っ…ふ…
――――ピル寄越しなさい。それと、あなたの精液が残っていないと役目を果たしたか怪しまれるわよ」
キスの合間に、小さく無声音で囁かれた言葉。どうやらまだ理性ははっきりしているらしい。バーボンはほっと息を吐いた。ジンの甚振りようではもはや理性も何もかも壊されてしまったかと思っていたが。
バーボンはポケットに隠し持っていたピルを口移しで彼女に飲ませ、そのまま深い口づけをした。未成年だと思うと罪悪感でおかしくなりそうだが、下手に情けをかければお互いに危うい。飽くまでバーボンは調教の一環としての世話をジンに任されているのだから。
途中、マッドドッグがバーボンの唇をがりりと噛んだ。もっとちゃんとやれ、ということだろう。いつどこでジンが盗聴器でこの音を拾っているか分からないのだから。
「………ハッ、まだ抵抗する気力が残っていたとは。驚きですよ、マッドドッグ」
白いシーツにぷっと血の混じった唾を吐き出すと同時に、バーボンはスイッチを切り替えた。安室透、あるいは降谷零から、バーボンへと。
「折角おこぼれをもらえたんですから。僕のこともきちんと楽しませてくださいね?」
「っ、私に痕なんかつけたら、飼い主が黙ってないわよ…っ」
「その飼い主から好きにしていいとの許可をもらっているので。」
「っああ!」
正確には受けたのは許可などではなく、彼女を痛めつけろ、という命令だったが。
彼女の頬を伝った涙が、演技だったのか、本物だったのか。それすら考えることを止めて、バーボンはただ彼女の体を貪った。
*
数週間に及ぶ調教の後、マッドドッグは監視付きで任務への復帰を認められた。黒革に銀の留め具がついた首輪には、GPSが仕込まれている。盗聴器は通信のノイズになるので仕込まれていないが、常に誰かの監視がついた。
その日はバーボンが彼女の監視役だった。
「…盗聴器は?」
「ないわ。それより、ピル持ってる?」
「………またですか」
「ええ。…早く。あいつの子どもを孕むなんて冗談じゃない」
言うもおぞましい、というようにマッドドッグは自分の体を抱きしめた。ジンはゴムを使うのも止めたらしい。恐ろしいほどの執着だ。
努めて冷静な態度を保ちながらも、マッドドッグの精神状態がぎりぎりのところにあるのは見て取れた。こうしてバーボンと二人の時は普通に振る舞っているが、他の幹部と共にいる時はもはや狂気の向こうに堕ちた言動をしている。それが演技なのか、あるいは本当にジンの調教に堕ちてしまったのかは、バーボンの知るところではない。
「………どうぞ。」
バーボンは自分の上着を彼女の肩にかけてやりながら、ピルと、ふたを開けてやったペットボトルのミネラルウォーターを渡した。彼女は皮肉気に笑ってそれら全てを受け取った。
「バーボンとあろうものが、随分かいがいしいのね。ただの犬っころに。」
「………僕の前でまで強がる必要は」
「
――――あるからしているのよ!!私はあなたほど器用じゃないの!!」
一瞬前まで平衡を保っていた何かが、崩れた。彼女はヒステリックに叫び、バーボンを睨み付けた。しかしそれも一瞬の揺らぎで、またすぐに平衡は戻される。無理やりに。
「…………ごめんなさい。…でもあなたみたいにころころ自分を変えられないの。随分ぬるま湯に浸かりすぎたみたいだわ
――――狂犬に戻るのにこんなに苦労するなんて。」
「…いえ、こちらこそすみませんでした」
何の義務も責務も負わない未成年の少女。そう思っていては成り立たないのだろう。
残酷で、言われたことには従順で、命じられれば何でもする、組織の
――ジンの犬。そう思わなければやってられなかった。彼女自身も、バーボンも。